第9話 決意

男は足早に待ち合わせ場所へと向かう。真実を確かめるために。


待ち合わせ場所は、男の自宅からは電車で1駅、恐らく相手からも遠い場所であるが密会であるため仕方のないことだと男は割り切って駅へと向かう。


 男は、今日まで不安な日々を過ごした。しかし、今日すべてが終わる。なにがあろうと受け入れるそれが男の出した答えであった。そんな決意をして、男は喫茶店の引き戸を開ける。


 シャラシャラと軽い鈴の音を聞きながら男は店内へと入る。


「お待ちしておりました」


カウンターから70歳前後の男性が声をかける。白髪交じりの短髪に、メガネをかけており、年齢を感じさせない背筋の伸びた立ち姿。一目見ただけでもこの喫茶店の店主だとわかる。

店内は、縦長の作りで通路はさほど広くない。カウンター席とボックス席がいくつかある。

壁の色や、革張りの椅子は茶色や、ブラウンと言った色では言い表せない歴史を感じさせる色をしている。しかし、古臭さを感じさせないのは、壁も椅子もテーブルもきちんと手入れがされているからだろう。まさにレトロという言葉がよく似合う喫茶店だ。

 本来であれば客で賑わっているだろうが、今は男と店主、そして男と待ち合わせをしている3人しか店にはいない。店主と待ち合わせ相手は知り合いらしく、店を貸し切りにしているようだ。


「渡辺さん、こちらです」


 一番奥のボックス席から、男を呼ぶ声が聞こえる。男がそちらを見ると、35~40歳ほどの男が席の横に立っている。身長は170センチほどだろう。しかし、引き締まった体によく似合うスーツによく手入れされた革靴そしてこの人物の雰囲気が、彼をより大きく感じさせているのだろう。

 男が待ち合わせをしていたのは、竹久秀智たけひさ ひでともである。隣町で竹久探偵事務所という探偵事務所を経営している人物だ。


「竹久さん、お待たせしました」


 男の名は、渡辺真わたなべ まこと。1ヶ月前に探偵事務所を訪れている。


「いえ、私の方こそ少し早かったようで……」


暫しの静寂の後、テーブルにコーヒーが運ばれてくる。彼らはそれを受け取ると再び会話を始める。


「竹久さん、お店を貸し切りにしていただけたのは、ありがたいのですが良いんですか?」


「えぇ、マスターの増田さんとは長い付き合いで、たまに事務所を手伝って頂いたりしているんですよ。それに今日は渡辺さんのプライバシーにも関わる重要な報告ですので……」


 竹久は、少しの間を取り続ける。


「事務所で、お話しさせていただこうと思っていたのですが、別の方への中間報告がございまして。申し訳ありません」


そう言って、竹久は頭を下げる。彼の真摯な姿勢は多くの人の信頼を勝ち取るには必須なスキルだと、営業をしている、渡辺は感心しつつも答える。


「いえ、私がここでも良いと言ったのですから、お気になさらないでください」


「それはそうとして、竹久さん……」


 渡辺は言葉に詰まる。それを見た竹久がすかさず話を始める。


「では、こちらが渡辺麻衣わたなべ まいさんの調査報告書となっております」

と、彼の両手には、茶封筒が握られている。


 この茶封筒の中には、渡辺真の妻である渡辺麻衣の調査報告書が入っている。


渡辺は、それを受け取ると、一度深呼吸して封筒の中身を確認する。


「では、ここからはそちらの報告書と、調査中の写真や、動画を交えながら、ご報告させて頂きます」


「お願いします……」


渡辺は、目を伏せる。


「渡辺さん、大丈夫ですか?」


竹久は、分かり切っているような質問を投げかける。


「はい、大丈夫です」


渡辺は、そう言うと、コーヒーを飲みほした。


「では、結論から申し上げます」


竹久は、声のトーンを下げて言う。


「今回の調査の結果、奥様、つまり、渡辺 麻衣さんが不倫をしているというのは間違いないでしょう」


竹久は、冷静に渡辺に結果を伝える。


「……そうですか、続けてください……」


渡辺はあくまでも冷静さを保とうとしている。だが、彼の唇や手の震えが彼が感情を押し殺しているという証拠であった。


「かしこまりました。まずこちらの写真をご覧ください」


そこには、渡辺の妻である麻衣と見知らぬ男がホテルに入る様子が写っていた。男は、渡辺と同じ30代前半であろう、180センチほどある長身にも関わらず、スリムな体をしている。顔だちもよく、エリートという言葉があっているだろう。


「……」


渡辺は、唇を強く噛み、こぶしを握っている。


「このホテルの出入口はここ以外にはありません。次にこちらの写真をご覧ください」


そこには、腕を組んだ二人がホテルを出るところが写っている。撮影時刻は1枚目の写真から3時間以上経過しているようだ。


「この日だけでなく、頻繁に二人はあっているようです」


竹久は同じ情景の写真を何枚も渡辺に渡す。そこには彼が見たこともないような笑顔で写る妻がいた。


「こんなに、笑えるんじゃないか……綺麗だ」


渡辺は声を震わせながら言う。彼の口から出た言葉は、恨みや怒りではなく只々、愛の言葉であった。


「渡辺さん……」


竹久も以外だったようで、言葉を一瞬詰まらせるが、すぐに続ける。


「こちらの男性に見覚えはありますか? 」


「いえ、ありません……」


「そうですか、こちらの男性は、藤間駿ふじま しゅんさんという男性で、麻衣さんとは高校生のころ恋人だったようです」


「そうですか……」


「麻衣さんはスーパーでパートとして働いていると以前おっしゃいましたね」


「はい……」


「藤間さんは、スーパーの運営を行っている会社に勤めているようです。ご自宅も渡辺さんのご自宅から遠くはありません」


「なるほど……」


「以上が、調査の結果となっております。詳しいことは報告書にまとめさせていただきましたので、ご確認ください」


「わかりました……」


渡辺は再び、調査報告書に目を通す。そこには、妻の不倫の証拠が否定のしようがない程に書かれていた。流石はプロだなと渡辺が感心しているとそれまで黙っていた竹久が口を開く。


「渡辺さん、こちらも確認して頂いてよろしいでしょうか? 」


と竹久はカメラ映像を見せる。


「映像証拠として撮ったものですが、音声を聞いていただけますか? 」


「わかりました」


どこかのカフェだろうか、渡辺の見覚えのある景色ではないことは確かであった。


「これ、すごい美味しい」


麻衣が甘えたような声で藤間に話す。


「どれ、一口ちょうだい」


藤間もねだるように麻衣に言う。


「いいよ、はいあーん」


「確かに、美味しい」


「でしょ、ありがとね、こんな良いところに連れてきてくれて」


「良いんだよ、それよりもさ、こないだ旦那が女と話しているって言ったよね」


「そうなの、でも多分仕事先の人だと思うよ」


「いや、もしかしたらってこともあるよ、それにどうせ離婚するなら慰謝料多く貰って離婚した方が良いんじゃない? 」


と藤間が悪だくみをする子供のように興奮と罪悪感が入り混じった表情で言う。


「確かに、どうせ離婚するものね」


と麻衣もそれにこたえる。『どうせ離婚する』その言葉が意味するのは、もう麻衣に真を愛する気持ちなど残っていないということだった。


「……」

麻衣を信じ愛していた自らの気持ちを否定された渡辺の心痛は計り知れない。しばらくの間、口を開くものは誰もいなかった。


「渡辺さん、よろしいでしょうか? 」


 竹久がゆっくりと口を開く。


「はい、なんでしょうか? 」


「これからのことについてなのですが」


 渡辺の表情が曇る。受け入れがたい事実を告げられた人間の反応として当然である。


「渡辺さんには、3つの選択肢があるかと思います。1つはこのまま、奥様と離婚をなさる。

 2つ目は、奥様の弱みとして証拠を持ちつつ、生活をなさる。最後に、奥様と話し合い生活を立てなすこと。この3つがあります」


「なるほど……」


 と渡辺はつぶやくように言う。だが、それっきり渡辺は黙ってしまった。


 長考の末、渡辺は答える。


 「麻衣とは、離婚しようと思います……そうするしかないですから……」


 彼そう言ったあと唇をかみしめ、こぶしを握った。


「そうですか、もしよろしければこちらに連絡してみてください」


竹久は、スーツの胸ポケットから一枚の名刺を取り出して、真に差し出してきた。


「彼は、私の古くからの知り合いでして、良い弁護士ですので気持ちの整理がついたときに連絡してみてください」


「ありがとうございます……」


「真さん……よくここまで我慢なさりましたね」


竹久が小さいが、良くとおる声で真に声をかける。


「本当は分かっていたのではないですか? 」


「分かっていても、もしかしたらって思ってしまうんですよ……妻ですから」


「奥様のことを信頼されていたんですね」


「えぇ、信頼していたのは私だけだったようですが」


渡辺の言葉に少し怒気が感じられる。


「でも、すっきりしました」


「そうですか、良かったです。では、また何かございましたら、いつでもいらしてください」


竹久は、語り掛けるように言う。


「こんなことは、一度で十分ですよ」


と、渡辺から笑みがこぼれる


「そうですね」


竹久も答えて笑う


笑いが落ち着くと、渡辺は『では、失礼します。ありがとうございました』と頭を下げ喫茶店を出ていった。


竹久も渡辺を見送ると、鞄を持ち席を立った。


「では、マスター今日はありがとうございました」


と軽く会釈をし、扉を開ける。外は、雲一つない快晴であった。そのまぶしさに一瞬、目を瞑る。

 そして、目を開けると一度深呼吸をする。そうして、思考を切り替えると、竹久は事務所に戻るため、駅へと歩き始めるのだった。


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