私だけのヒーロー

「人はいつでも、無意識にヒーローを求めている」


 スクエアな黒縁眼鏡の縁を中指で押し上げる仕草がわざとらしい。花田はなだが何か演説をぶちたいときの、彼の癖だ。どうやら彼の長話に付き合わされることになると思って、僕は内心でため息をつく。


「ヒーローってなんだ。ウルトラマンとか、仮面ライダーのことか」


 僕はノートパソコンを叩く指の動きを止めずに、当然モニタから顔も上げずに答えた。この一年足らずで、花田の言うことを話半分に聞き流す術がすっかり身についてしまったと思う。


石田いしだ、僕が言いたいのはそういう、ありきたりなヒーローのことじゃない」

「じゃあ、あれか。最近流行りのダークヒーローって奴か」

「違う、違う。ダークとかライトとか関係ない。俺が言いたいのは」


 半ば呆れたような笑みを浮かべた、花田の顔立ちはやけに整っている分だけ神経に障る。僕の苛立ちを知ってか知らずか、花田は眼鏡に当てていた指をくるりと翻して、その先をこちらに向けてぴたりと突きつけた。


「誰しも自分だけのヒーロー、憧れの存在を抱いているってことさ」


 なんでこの男はこう、意味のないところで格好つけたがるのか。もっと自然に振る舞うことが出来れば、高校入学当初についた大勢のファンをひとり残らず失うこともなかっただろうに。


「憧れの存在ね」


 そこで僕はようやく顔を上げて、花田を見た。結局、こいつの話を最後まで聞き流すことが出来ないのだから、僕はまだまだ修行が足りない。


「僕も憧れの作家はいるし、まあ言いたいことはわからないでもない」


 花田の言うことに頷くのは癪だが、僕はかつて出会った小説に感銘を受けた日のことを思い返した。


 何かと鬱屈した日々を過ごしていた中学生時代、ひとりになるため籠もり続けていた図書室で偶々手にした文庫本は、タイトルを聞いたことも無いファンタジー小説だった。さして期待もせずに頁をめくった僕は、内容を追う内にいつしか目が離せなくなり、家に持ち帰ってからも夕食も風呂も忘れて読みふけった。


 深夜までかかって一気に読み終えたとき、僕は自分が泣いていることに気づいた。その頃はすっかり世を拗ねて斜に構えていた僕が、まさか小説を読んで泣くことがあるなんて思いもよらなかった。フィクションなんて所詮紛い物だ。誰かが作った法螺話に感動するなんて、自ら程度が低いことを吹いて回るようなものだ。そんな風に醒めた態度が大人であると思い込んでいた僕には、後頭部を強かに殴られたような衝撃だった。


 でも、不思議と不快じゃなかった。素直に感動出来ることがこれほど気持ちの良いものだと知って、目の前が急に開けた気分だった。


 あの日以来、僕の人生は変わった。あの日感じたような感動を、僕も誰かに与えることは出来ないかと思うようになった。それまで読書感想文も苦手だった僕が創作にのめりこむ切っ掛けをくれた、あの小説の作家こそが、僕にとっては間違いなく憧れの存在。花田の言うような、僕だけのヒーローだ。


 いいだろう、久々に花田の話に正面から乗ってやろうじゃないか。あの小説、そして作家のことなら、いくらでも語れる自身がある。


「なるほど、石田みたいな陰々滅々とした男にも憧れのヒーローがいるというなら、この俺にいないわけがない。いいか、教えてやろう」


 いやいや、ちょっと待てよ。そこはまず、僕の憧れについて語るターンじゃないか。せっかく人が話題に応じようと決めたのに、聞き流すのはあんまりじゃないか。だいたい言うに事欠いて、人のことを陰々滅々とか、さりげなくディスってくれるな。


 だが花田は僕のことなどまるで添え物程度の前座とばかりに、さっさと自分のことを語り出そうとする。


「いいか、石田。この俺が憧れるヒーローとは、万人が尊ぶようなありきたりのものじゃない。この俺にしかその価値を見出すことの出来ない、唯一至高の存在だ。それを明かしてやろうというのだから、ありがたく聞け――」

「いやいやいや、待てよ、花田」


 花田が言葉通りにありがたぶって語り出そうというところを、僕は立ち上がって大手を振って遮った。


「そんな貴重な存在を、そう簡単に明かしてどうする。お前だけの大事な存在なんだろう?」

「え? いや、まあ、それはそうだが」


 僕がこんなにオーバーアクションを取ることは、僕自身の記憶にもついぞない。ましてや花田は初めて見るだろう。彼は心底驚いたという風に、眼鏡の奥の切れ長の目を見開いていた。


「だがほかならぬ石田なら、打ち明けても良いものかと――」

「駄目だ、駄目だ。そんな簡単に打ち明けるなんて花田らしくないぞ。お前は自らを安売りしない男。そういうときにはまず、相手から対価を引き出してこそじゃないか」

「対価? いや、そこまで大袈裟な――」

「対価が必要なんだよな? だったらまず、この僕にとっての憧れの存在を聞き出してからだ。僕の憧れを聞き尽くしてからでないと」

「石田の憧れ? いや、正直興味な――」


 常々マイペースを貫き通していた花田が、まさか僕にペースを乱されて調子が狂ったのだろうか。それとも単に本音が漏れただけかもしれない。


 だが僕の憧れについて興味が無いというそのひと言は、珍しく僕の闘争本能に火をつけた。


「興味が無いってことはないよな? 何しろこの文芸部でほぼ毎日活動している、ほとんどふたりきりの相方同士なんだから、なあ?」

「いや、相方というよりはむしろ、主従かんけ――」

「誰が主従関係だ!」


 にじり寄る僕に気圧されて、花田は端正な顔を引き攣らせながらも、徐々に壁際に追いやられていく。きっと僕の顔は目が血走っていたに違いない。


「こうなったらとことん聞いてもらうぞ、花田。何しろ今まで誰に語っても、作者名も小説のタイトルも知ってる奴がいなかったんだ。長年ぶちまけたくてぶちまけたくて溜まりに溜まった積年の想い、今日はお前が嫌といっても聞いてもらう!」

「やめろ! そんなマイナーの極みな作家なり作品なり、まったく知りもしないオタクな話題を延々聞かされ続けるなんて、俺の繊細な神経が耐えられない!」

「繊細とか、どの口がほざく!」


 そう言って僕が奴の肩を掴もうと手を伸ばしたところ。花田はその手を器用に躱して、気がつくと部室のドアの前に立っていた。いつの間に手に取ったのか、片手には奴のデイパックがある。


「石田、お前のその想いだけは十分に伝わった! 今日のところはさらばだ!」


 花田はそう言い捨てるや否や、がらりと開け放ったドアから飛び出していってしまう。その後を追おうと僕が部室から顔を出したときにはもう、廊下の彼方まで駆け出す花田の背中がちょうど角を曲がったところであった。


「花田、逃げるなあああ!」


 思わず叫びながら、その声も届かないと知って膝を落とす。そんな僕の姿を見て、廊下にいた数名の生徒たちがぎょっとして振り返る。だがせっかくの機会を逃した僕には、彼らから注がれる奇異の視線も届かない。


 誰か、僕と共に熱く語れる同志はいないのか!


 たまたまマイナー作家作品にド嵌まりしてしまった故の業は、今日もまた僕の背中にずしりとのしかかるのであった。

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