第3話、口下手で威圧感が凄くて、勘違いされがちなうつつの日々



そして、晃が目を覚ました時。


晃はただ呆然と、坂道の終わり……急速に左へと折れるカーブのところで、立ち尽くしていた。



目の前に見えるのは、いつもと変わらないのどかな田んぼと果樹園の風景。

やはり、先程までいた女生徒の姿はない。

この、坂を駆け上がってくる数十秒の間に起こった出来事は、本当にすべて朝に見る夢、だったのだろうか?

 


「いや。そんなこと、ありえない……」


晃自身自覚のない、芝居がかった『凍えるような』呟き。

その呟きの意味がこんな事起こるはずがない、なのか。

夢であるはずがない、なのか。


ただ、その分からない答えを導き出せる可能性が、一つだけあった。

先程の女生徒。

後姿だけだったが、晃には見覚えがあったのだ。


東雲高校1年8組、上徳間柾美(かみとくま・まさみ)。

入ってからまだ3ヶ月足らずの一年生にして、演劇部期待の新人。

ちょっとした有名人であったから、晃でなくても東雲の男子学生ならばたいていのものは知っているはずで。

幸か不幸か、晃には彼女に話を聞けるつてがある。

  

そこまで考えを纏めると。

いてもたってもいられない自分を晃は自覚していて。

今起きたことが、晃の哀れな幻覚にしろそうでないにしろ、一刻も早くその答えを知りたかった。



「……さっさと終わらせるか」


晃は自分に言い聞かせるように鋭く呟くと、それを合図にして再び走り出す。

ここまでの力のない無駄に足音の響いていたピッチ走法から、重力のなくなってしまったかのようなストライド走法へ切り替えて。


その様は、ここ六加市の方言で言うところの『飛ぶ』と言う表現がふさわしく。

だが既に、思考が走ること以外に集中してしまった今となっては。

自分の走りの変化など晃にとっては些細なものだったのだろう。



そして。

晃がそんな集中から現実に帰ってきたのは。

線路のかかる山なりの陸橋を駆け抜け、その頂上、ゴールテープも何もない部員たちだけが認識するゴールの辿り着いた時だった。



ふと感じる、もし現実に殺気というものが存在しているなら、きっとこれがそうなんだろうと思える強い強い視線。


「晃君、今日ちゃんとついてこれたじゃん」



顔を上げると、胸元と背中に『しののめ』とプリントされた臙脂色のジャージを着た、小柄な少年が晃の元に駆け寄ってくるのが分かる。


「ん? ……あ、ああ」


いつの間にか追いついていたという意味に気付くこともなく、晃は曖昧に頷く。

射るような視線は、その少年のものではなく。

晃は無意識に道路脇に置いてあった、微妙に趣味の悪い臙脂ジャージを拾い上げると、その視線の主を探した。



「……」


その視線の主は、別コースを走っていた女子の集団の中にいた。

1年8組、黒彦葵(くろひこ・あおい)。

陸上未経験ながら、そのセンスのよさから早くも期待をかけられており、入学式の新入生代表(入学試験トップの成績のものに与えられる役目)を務めた才女でもある。

加えて妬みと羨望を含んだ、怜悧と揶揄されるほどの美貌の持ち主だった。

男子生徒の注目度において、同じクラスの上徳間柾美と双璧をなす人物で。

事実、彼女目当てで今年の陸上部入部希望者は大豊作だった。


もっとも、東雲高校の陸上競技部は、走ることが目的になければ生き残ることの叶わないほど過酷な部であったため、今となっては駅伝の大会に出られる人数プラス1=晃しか残っていなかったが。



とそんな事を考えながら視線を返していると。

晃と視線があったことに、烏の濡れ羽色したショートの前髪がゆれる。

同時に、光りしたたるほど混じりけのない黒の瞳の中の、苛烈な敵意に混じる動揺と怯えの波紋。


それが、はっきりと分かってしまう悲しさに、晃は思わず乾いた笑みをこぼしてしまった。

それは、周りから見れば凍えるような嘲りの含んだ笑み、に見えただろう。

そのことに気付かぬは本人ばかりで。

そんな表に出る態度とは裏腹に、晃の内心は自虐による切なさに苛まれていた。



何故なら、葵がどうしてそんな態度を自分に向けてくるのか、晃には皆目見当もつかなかったからだ。

これなら、歯牙にもかけられず無視されていた方がよっぽどマシだろうと晃は思う。

だったら晃自身が彼女に近寄らなければすむことだったのだが。

今の、自業自得かもしれないこの状況を作ってしまったのは他ならぬ晃自身なのだからどうしようもない。



部活動参加が必須である東雲高校において、入部するリストの中で最終的の残ったのは、水泳部と陸上部だった。

水泳は、運動神経のなかった晃が小さい頃からスクールに通っていて慣れ親しんでいたという理由から。

陸上部は経験こそ皆無だったが、昔から走ることが嫌いじゃなかったというか、

自分と世間とのズレを初めて感じたものだから(体育の授業でのマラソンといえば、晃のように運動神経のなかったものが不平不満を上げる代表のようなものだが、何故か晃はそう言った不満の感覚がなかった)と言う理由で。



晃はその二つのうち、どちらにすればいいのか……決まり手がなかった。

しかし今、晃が陸上部にいるのは彼女がいたから、と言うことに尽きる。

ただ、辞めていった他の連中のように、彼女目当てで、とストレートに言われるのは本意ではなく。


彼女が、晃に与えられた使命を為すための最重要人物だったからで。

あるいは彼女がまだ世間のズレを知らなかった頃、晃がよく遊んでいた友達の一人だったからに他ならない。


逆に言えば、晃がその使命に選ばれた理由はそのためでもあるのだが。

つまり、表向きに言うのならば、知っている人がいるから馴染みやすいだろうと思ったにすぎないのだ。


そんな安易な考えで、素人お断りな練習メニューが待っていたり、理由も分からず嫌われる羽目になることなど、これっぽっちも知る由もなく。

そんな晃が奇跡的に部に留まっているのは。

単にやめる勇気がないだけなのが、余計に悲しくなるわけで。



「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいい……」


ついでに晃は口下手である。

自分に何か至らぬ点があるのか、訊きたかっただけなのに、口から紡ぎだされたのは。

辛辣と取られても仕方ない、そんな言葉だった。



「……っ」


凛とした空気こそ変わらなかったが、わずかに怯んだ様子の葵。

晃は上手く言葉を扱えない自分が嫌になる。


その自嘲の笑みが、相手にどうマイナスイメージで映るのか。

やはり知らぬのは晃自身ばかりで……。



             (第4話につづく)






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