第5話

 しかし、そうなることで、逆に僕たちの考えは変わっていった。運命を恐れて結婚を避けたとしても、その運命から逃れられないことに気づいたのだ。ミアが持つ記憶の人物、僕の記憶を持つ人物、その人たちは、僕たち二人がどうなろうと、同じように出現する可能性がある。たとえ一人でいようとも、他の誰かと結婚しようともだ。引き起こされる結果は多少違うかも知れないが、避けることができないことは同じだ。

 不慮の事故死や病死は、誰にでも降りかかる危険性がある。でも、それを恐れて結婚を避ける人がいるだろうか。記憶の人物が現われることなんて、その程度のことだ。そのときはそのとき、まだ現われてもいない影におびえてどうする。僕もミアも離れていて同じ考えに達した。

「結婚しよう」

 僕の方がミアより一瞬早く電話したらしい。

 僕はミアに会いに行く。直接自分の声で伝えるために。


 鳥取に出張があり、その用事が済んだらそのまま休みをもらって岡山に向かうことにした。入社して一年と一月がたとうとする四月十五日だった。僕の仕事は営業だった。できるだけ長期にわたる安定した契約をとることが目標だった。鳥取にある製薬会社の出荷業務の契約をとることが仕事だった。特殊冷蔵車両の稼働効率を高めなくてはならない。

 岡山に寄るために、旅費は製薬会社までの片道にしてもらった。仕事が済んだら、有給休暇をとる。

 十四日午前中に東京を出て、鳥取には夕刻についた。すぐにホテルに入った。

 十五日朝、予約していた駅近くのレンタカーを取りに行った。これで会社に向かい、その後岡山に行く。車は岡山の系列会社に戻せばよかった。

 約束の時間は十一時。あと三時間ある。早く借りたのは、国立公園となっている山陰海岸を走ってみたかったからだ。季節もいい。知らない道を走るのは気持ちがいいだろう。

 砂浜に沿って走る三一九号線をしばらく行くと、海からいったん離れていく。そこから岩見町の海岸線に出る道に入った。そのまま浦富海岸までいこう。

 小さな漁港を過ぎると道幅がかなり狭くなり、山道となって海は全く見えなくなった。そのまま走ると看板が見えた。「加茂ヶ崎ジオパーク・ビジターセンター」とある。ここなら海が見えるだろうと左にハンドルを切った。切り通しのような道はまだ新しい。すぐに広い駐車場が見えた。Yの字型の屋根がビジターセンターなのだろう。

 車を止めて、建物に向かう。建物の横から海がみえる。正面はガラス張りで、高い吹き抜けがあるきれいな建物だ。右側に、展示室と映写室がある。入り口にある案内を読むと、まだできて二年だった。そのまま進むと建物内から海に出られるようだった。ガラス越しに海が見える。

 ドアを開けて外に出ると、海沿いに遊歩道があった。時計を見てまだ時間があることを確認すると、歩き出した。歩道にはしっかりした柵がある。ところどころに地層の説明や岩の成り立ちを説明する看板があった。二〇〇メートルほど歩くと芝生の広場に出た。

 これはどこかで見たような景色だと思った。幾つかベンチが置いてある。芝生の先は平坦な岩場だった。沖に島は見えない。

 はっと気づいた。ここだ。ミアのスケッチそのものの光景だ。なんという偶然。今頃になって、思わぬところで場所を突き止められたのだ。

 しかし、ここは二年前に作られた場所だ。ミアの記憶の人がここを訪れることはできないはずではないか。

 そのとき、僕の後ろの方から、子供たちの声が聞こえた。振り返った僕は、驚きのあまり声を出すところだった。

 先生に連れられてこちらに向かってくる小さな子供たちは、灰色のブレザーと半ズボン。赤いリボンをしていた。かわいいリュックを背負っている子供たちは、立ちすくむ僕の前で広場に散っていく。

 ああ、スケッチ通りだ。これはいったいどういうことだ。何年もこの遠足が繰り返されているということか。いや、この施設はまだ二年目なのだと、すぐに自分で否定する。

 先生が海岸線のところに立っているのは、岩場に入らないようにするためだろう。僕は先生に近づいていった。

 制服の子供たちは、鳥取市に五年前に開校した私立の小学校の児童だった。このビジターセンターができてから、ここに遠足に来るようになったという。展示は一年生には難しいけれど、キャラクターが解説する映像は分かりやすく面白いそうだ。そんな話を聞いていると、なんだか地響きのような音がした。ポケットの中のスマホのアラームが鳴る。

 突然地面が揺れ出した。子供たちの悲鳴が聞こえる。先生が、「その場にかがんで動かないで」と叫んだ。子供たちは素直に従った。

 揺れはそれほどひどくはなかったが、長く続いた。揺れがおさまった。

 僕がやるべきことは決まっていた。ビジターセンターまで戻るのは危険だ。広場を回り込むと、やはりあった。神社への階段だ。すぐに先生と相談し、その高台に避難することにした。緊迫感を感じたのか、ゆっくり、と先生が声を上げても、子供たちは駆け足で登る。僕と先生は最後にその子供たちを見上げながら登った。これはミアの記憶の通りだ。その人は小学生ではなかった。紛れもない今の僕。ミアの記憶は未来の僕が見る光景だったのだ。

 神社の前で海を見下ろす。そのときスマホで知ったニュースでは、津波はおよそ五〇センチメートル。ほとんど被害はないようだった。

 すべては杞憂だった。僕とミア以外にもう誰も輪の中にはいない。二人で完結した世界だった。通話が回復したら、すぐにミアに電話する。何が起きて、どうしたか、スケッチよりも詳しい話を聞かせてあげるよ。そこにはちゃんと子供たちの声も僕の声も入っている。音が入っているんだ。

 早く君の声が聞きたい。

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僕の中の君の瞳 嘉太神 ウイ @momizi2067

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