あんまん
凍り
第1話
母が「餡子を食べたい」と言っていたことを、私は大学の講義が終わって帰宅する電車の中で思い出した。
ここ2.3日母は体調がすぐれなかった。
めまいがすると床に手をついてふさぎ込んだり
「暑い、暑い、」と11月初旬の夜中に苦しそうにした後、トイレで吐いていた。
私はどうしたものかとおろおろしながら、「とりあえず吐いたなら消毒しておくか」と頭の隅のほうにあった「他人の嘔吐物から菌をもらって自分も吐くかもしれない」というあやふやな知識で便器の周りをアルコール消毒スプレーで除菌した。
話は帰宅途中の電車の中に戻るのだが、そんなに体調を崩すことがない母が食べたいと言っていたものをどこかで買えないかと考え、「コンビニのあんまんがいい」と自分の中で決めたのであった。
もうすぐ読み終わる文庫本を最後まで読み切ってしまいたい気持ちをギュッと我慢して本を閉じ、私はスマホを開いた。
「コンビニ 中華まん」と検索アプリに打ち込み、口コミや「2021年版!最新ランキング!」と書かれたサイトをぐるぐる閲覧して回った。
ランキングにあるのは結構なことだが、そこで私の降りる最寄り駅付近にそんなにコンビニが多くないことを思い出す。
いくらネットで評判が良くても、手に入らなければ母にあんまんを食べてもらうことはできないのだ。
「チャリ飛ばしてコンビニ巡ってもいいけど…」とぼやきながら電車の窓から外を見る。
雨は降っておらず、晴れ渡っているが雲の流れが速い。これは電車の中だからそう思うのではなく、風が強いからである。
「風が強い」
これ以上に自転車を漕ぐ際イラつくものはないと私は思う。大体私が強風の時に自転車に乗ると向かい風なのだ。無意味だと思っても強風に暴言を吐くくらいにはイラつく。これに雨なんか加わった日には人生がどうでもよくなるくらいだ。
そんなこんな考えを巡らせているうちに最寄り駅に着いたので私はホームに降り立った。
口コミやランキングで上位のあんまんを是非とも買って帰りたかったが、なにせホームに降り立った瞬間にセットしていたヘアスタイルを全てねじ伏せる強風が私を襲ったのだ。女子大生の前髪の安定は精神の安定だ。こんなの戦意喪失しないほうがめずらしい。
申し訳ないと思いつつも、駅近場のコンビニであんまんを買っていくことにした。
2軒ほどコンビニがあるので、駐輪場に近いほうのコンビニへ向かった。
駅のロータリー裏に周り、居酒屋のバックヤードが並んでいる狭い路地を通るのが近道だ。
どこかの居酒屋が店舗改装だろうか。工事の足場の鉄骨がむき出しで組み立てられていた。
そんな中をすいすい進んでコンビニ到着した。
コンビニ店内に入り、強風が打ち付けてこないことに安堵する。すでに直しようがないがいつもの癖で前髪をちょいちょいと指先でいじって整えた。
ぐるりと店内を1周して中華まんのショーケースを覗く。
「なんてことだ」
あんまんが1つしかないのである。
実は自分の分のあんまんも買って帰ろうと思っていた。
だから母と私の分、2つ必要なのだ。
だが、みごとにショーケースには1つのあんまん。
こんな強風のなか来たので、ちょっと店員さんに文句を言いたいくらいであった。
「しょうがない」
と、もう一つのほうのコンビニに向かうことにした。
来た道を駅のほうへ強風に吹かれながら戻り、2軒目のコンビニに入る。
「なんてことだ」
なんと2軒目もあんまんが1つしかなかったのである。
そこで私は考えた。なんとかあんまんを2つ手に入れる方法を。
今いるコンビニのあんまんを買い、少し手間ではあるが1軒目のコンビニでまたあんまんを買えば2つ手に入るではないか、と。
思い立ったらすぐ行動せねば。なんせどちらの店舗にもあんまんは1つずつなのだ。
味は少々違うかもしれないが、同じ餡子が詰まっている中華まんである。今は餡子が詰まっている中華まんを手に入れることが最優先だ。
あんまんを1つ手に入れて、また1軒目のコンビニへ急ぎ足で戻る。相変わらず強風だ。舌打ちしたくなる。向かい風だから。
戻った1軒目のコンビニもあんまんは無事であった。
他店のコンビニの袋に他店のあんまんを入れて持ち帰ることは何となく抵抗があったが、袋に悪意はないので「袋、いらないです」と言い、お金を払った。
こうして無事あんまんを2つ手に入れたのである。
「はぁ、やれやれ」な気持ちで自宅へ帰ろうと、路地を歩いた。
ちょうど改装工事中の足場の鉄骨が積み上げられているところを通りかかった。
その時である。
鉄骨が強風で音を立てて崩れ落ち、私の身体を貫いた。
そう、今日は「風が強い日」なのであった。
不運にも私は鉄骨の場に居合わせた。
身体に「なんか刺さったな」という認識と、すぐに熱い刺激が全身を駆け巡った。
ここまで強い刺激だと「痛い」というのを通り越してなにも感じない感覚なんだと私は知った。
本当に某有名ボーカロイド曲のような感じに鉄柱が落ちてきて刺さった。という感じだったと思う。
走馬灯のなかに生き残るためのヒントを探そうにも探せないくらい速いスピードで私はコンクリートの地面に倒れこんだ。
朦朧とするなか「死が近づいてきているんだな」という考えと、「本当に強風にはうんざりだ」というイライラが頭の中で浮かんで、そして消えた。
次に私が意識を取り戻したのは病院のベットの上だった。
色々な管が私に繋がっていて、「邪魔くさい」ともぞもぞし始めたところを巡回にきていた看護師さんが「意識が戻りました!」とどこかへ報告しにいき、私は眠っていたのだと認識する。
すぐに主治医の先生であろう人がやってきてあれこれ私の様子を確認し、「よかったです」と言った。
私は1か月くらい眠っていたらしい。
病院からの知らせを聞いて、30分もかからないうちに母が病室へ飛んできた。
目玉が飛び出すのではないかというぐらい驚いた表情をし、しばらくドアの前で呆然としている母に私はかすれた声で
「あんまん、食べた?」
と尋ねた。
母はその瞬間わんわん泣き出した。
もう私が話すことはないかもしれないと思っていたのだ。
そしてひとしきり泣いた後、母はぽつぽつと私が事故に遭った後のことを話してくれた。
警察が事故のあった場所にコンビニの袋が鉄柱の下敷きになっていてその袋の中にはあんまんが2つ入っていて、母のために買ってきていたのだと気づいたときは酷く自分を責めたこと。
私が海外の通販で買ったものが家に届くたびに、「娘は意識がないのに」と胸が酷く締め付けられたこと。
最初は母を元気づけようと私が動いていたのに、いつの間にか母が私を心配する番になっていた。
母が売店へ行ってくる、と立ち上がり病室を出ていこうとした。
「あんまん、食べる?」
今度は母が買ってきてくれるらしい。
あんまん 凍り @ko-ri06
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