第六話 人食い出目金(二)

 まさかまだこんなのを続けるのか。こんな事なら店で待ってればよかった。

 女は再び弟の手を握り、導かれるままに歩き続けた。行く先々で出目金を見つけては捕まえていく。今まで気にしてなかったけど、よく見ると街中にもちらほら出目金がいる。少年は苦も無く怪我も無くそれをぴょんぴょんと捕まえていくので、俺はただ見守っているだけだ。

 しかし今度見つけた出目金は今までの出目金とは違っていた。二匹が喧嘩をするように体当たりし合っていて、その牙を相手に向けている。だが片方は片手程度の大きさしかないのに対し、もう片方はその倍はある。どうみても小さい出目金の方が弱くて、ついに大きい方の牙が小さなその身に差し込まれた。何度も何度も食い付いて、すっかり弱った小さい方はアスファルトにぽとりと落ちた。


「な、なん、何ですか、これ」


 小さな身には収まらないであろう量の血が流れ始め、それはどんどん広がって俺のつま先を濡らした。だが大きな出目金は躊躇なくそこに飛び込んで、あろうことか小さな金魚の身体をむしゃむしゃと食い始めたのだ。


「く、食ってる!」

「たまにいるんだよ。共食い」


 食ってるだけじゃない。食い終わると血の池でばちゃばちゃと跳ねながらその血をすすっていく。ずずずと吸い尽くす速度はすさまじく、直径一メートルは広がっていた血は数秒で消えてしまった。

 すっかり食事を終えると、出目金の身体がびくりと大きく跳ねた。そしてぼこぼこと肉が盛り上がりどんどん身体は膨れ上がり、ついには人の頭と同じくらいの大きさになってしまった。

 それだけじゃない。飛び出ていた目は引っ込んでいて、うっすらと細くなったそれはまるで人間の目そのものだった。


「何だよあれ!」

「出目金は出目金を食うと生前の肉体に戻っていくのだよ」


 そんな馬鹿な。ではこのまま大きくなり人間の形になり、それはどうなるんだ。

 出目金は次の餌を探しているのか、目に入った俺に飛び掛かって来た。


「うわあああ!」


 俺は咄嗟に顔を両手で覆ったが、それより早く弟が飛びついて出目金を抑え込んだ。こんな化け物にも躊躇しないのか。俺の心臓はどくどくと大きな音を立てているのに弟はけろりと無表情なまま、また腰の革袋に出目金を詰め込んだ。それは激しく暴れていたけれど、次第に大人しくなりぴたりと動かなくなっていった。


「……何、なんですか、あれは……」

「恨みさ」


 女は出目金が閉じ込められた弟の革袋を慈しむように優しく撫でた。


「出目金は恨みに支配された金魚なのさ。実態をもって憎い相手を殺しに行く」

「ふ、普通の人間にも見える、ん、ですか」

「いいや。普通の金魚と同じように憑くのさ。憑いて魂を食い殺してしまうんだよ」

「出目金はどうするんです。弔うんですか」

「共食いをした出目金は少し難しいね。何しろ共食いすると食った出目金あいての恨みも我が物としてしまうんだ。となると誰か一人に冥福を祈られても駄目だ。全ての出目金が祈られるまでこの子は共食いを続ける。このループだ。そうなったら誰が主人格か分からなくなり、最後は自我を失ってしまう」

「ず、ずっと、このままなんですか」

「いいや。前にも言ったけど、人間に害をなした場合は強制的に消す方法があるのだよ」

「どうやるんですか。あんなの早く消さないと駄目でしょ」

「そうだね。では一旦店に戻ろうか」


 店に戻ると、いつも通り葬儀場に入って行った。やはり金魚の弔いをするのだろうか。


「少し準備をするよ」

「手伝いますか?」

「いいや。そこで見ているんだよ。これから何が起こるかをしっかりとね」

「……はあ」


 女はいつになく険しい顔をしていた。そして大きな金魚鉢を出すと、そこに弟が捕まえた出目金をぼちゃぼちゃと入れていく。普通死んでいる金魚は水面に浮かぶと思うが、出目金は底に沈んでいた。あれほどの重量なら当然だ。随分とぐったりしているが死んでいるのだろうか。魂が死ぬというのもおかしな話だが。

 ……死ぬ?

 そういえば食われた魂は消滅して地獄へ行くと言っていなかったか。弔いは正当な手順だ。願われて輪廻転生する手助けをするのが金魚の弔いだ。だがこいつらは冥福を願われていない。輪廻転生を許されていない。

 しかしこの女は消すと言った。消す方法があると。それはつまり――


「殺すよ」

「……は?」

「この子達は出目金他人を殺した。それは犯罪だ。人間も人を殺したら裁かれるだろう?」


 女は出目金の入った金魚鉢をこつんと突いた。出目金はやはりぐったりとしている。逆らう気力も無いようだ。


「金魚屋の仕事は未練くさりで繋がれた金魚を現世から解き放つこと。だがその手段は弔いだけではない」


 女は立ち上がり両手を広げた。


「さあ、出目金の断罪だ」


 金魚鉢の中の水が渦を巻いた。

 弔いと同じように、ぐるぐると強く強く渦巻いている。力尽きている出目金は抗わずその流れに身を任せるしかないようだった。

 俺はふと虎が木の周りをぐるぐる回ってバターになるという古い童話を思い出した。幼い頃母に聞かされたそれが怖くて泣いた記憶がある。


「こ、これ、何、何をしてるんですか」


 俺は女の袖を掴んだけれど、振り払う事もせず女はじいっと出目金を見つめている。

 鱗がぺりぺりと剥がれていく。

 ヒレがびりっと身体から剥がれていく。

 肉がぼろりと取れると中から出目金が零れ落ちてきた。食った他の出目金だろうか。

 それと同時にどんどん血があふれ出し金魚鉢は真っ赤に染まっていく。小さな出目金はもう原型をとどめていなくて、水中に肉片が漂っていた。


「や、止めろよ! 何してるんだよこれ!!」

「断罪さ」

「な、何、だってあいつらもうボロボロじゃないか! もういいだろ!」

「良くないよ。だってあの子は人の魂を食った。なら同等の罰を受けなければいけない」

「なら金魚に戻してやればいいだろ! それで冥福を祈られるのを待てば」

「戻すってどうやって?」

「それは……」

「覚えておいで。金魚屋にできるのは殺す事だけだ。弔いだってそうさ。行く先は天国だが、金魚屋はそのために金魚たましいを殺してやるだけなんだよ。輪廻転生させてやるわけじゃない。輪廻転生するために殺すだけなのさ」

「けど、こんなやり方あるかよ!」

「仕方がないだろう。実体があっては魂だけにならないじゃないか」

「だから! 他に方法無いのかよ!」

「ふうん。では断罪のやり方を教えてあげるから、どうするか君が決めたまえ」

「な、何を」


 女はにゅうっと首を突き出し俺に詰め寄って、いつかのようにその真っ赤な爪で俺の唇をなぞる。


「金魚屋の仕事は殺す事だ。今ここで変更可能なのは下手人さ。僕か君のどっちかだ」


 そう言って、女は俺を出目金が浮かぶ金魚鉢の前に立たせた。


「殺すかい? それとも殺すかい?」


 あまりにも血が多すぎて金魚鉢からはそれが溢れ出てしまっている。それと一緒に何かが転がり出た。

 目玉だ。俺を睨みつけたあの目だ。

 もう半ば溶けていてもう俺の姿も映していないけど、それは確かに目玉だった。

 そして俺は逃げ出した。

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