第七話 沙耶との再会(一)

 謹慎四日目。謹慎せず。

 あんな出来事があったのに、それでも俺はあの女の後を付いて回っていた。何しろ沙耶がいなくなって以来、人に怒りをぶつける以外で声を上げたのは初めてだった。驚いたり感動したり、温かい食事が嬉しかったり。この女のする事は常軌を逸した事も多いけど、それでも仕事を与えてくれて寝る場所も与えてくれて。

 俺は人生で一番生きてる気がしていた。

 それが単なる荷物持ちだったとしても。


「さあ次はあっちだあ!」

「まだ買うんですか⁉」


 何でも新しい着物と帯を買うとかで、昼寝するなら荷物持ちくらい給料内だろうと言われてしまった。断れる立場じゃ無いし断る理由もないのでついて来たが、さすがにこれは苦言を呈する。


「買いすぎですよ。回数分けたらどうです」

「おや! おやおやおや! 君はそんなに僕とデートしたいのかい⁉」

「いえ、重いんです」

「うむむ。給料内の仕事を嫌がるとは良い根性だ。減給するよ」

「どんどん買って下さい」

「よしよし。さすが男の子だ。夕飯は一人二万円もするコースのしゃぶしゃぶを食べさせてあげよう」

「え。本当ですか」

「僕は金魚のような嘘はつかないさ」

「何ですかそれ」


 餌に釣られる金魚のように、俺はホイホイと付いて行った。

 しかし着物というのは持ち運ぶのが大変だった。大きいし片手で持てるのは頑張っても二つ。それが五個もあり、それに合わせた帯も羽織も下駄も髪飾りも全て五個ずつ。無理だこんなの。

 だが高級料理にありつけるのならそんな事は言ってられない。

 俺は手も足も頭も肩も使えるところは全て使って荷物持ちをこなした。

 そして夜は約束通りしゃぶしゃぶ店に連れて来てくれて、僕のおごりだから好きなだけお代りをするが良いと言われたので俺は遠慮なく食べた。とはいえさすがにコース以上を食べるわけにはいかないからかみしめながら食べていたが、女は出目金のように目をひん剥いて叫び声をあげた。


「ええ⁉ 君は随分とみみっちい食べ方をするねえ⁉ 本当に男の子かい⁉」

「だって一気に食べたらもったいないから」

「みみっちいみみっちい。おーい、店員さんや。お肉をもう五十皿おくれ」

「ご、五十、ですか」

「うん。わんこそば形式でいいよ。食べ終わったら後ろからぱっぱっぱっと出しておくれよ。ぱっぱっぱっとぱっぱっぱっと」

「畏まりました……」


 おそらく店員の疑問は払えるかどうかだろう。それを察知したのか、女はその場で財布を開けて札束で店員の頭を叩いた。本当に叩いた。実在するのかこういう光景。


「そこの大食漢がお腹いっぱいになるまで食べるんだから早く持ってくるんだよ。しゃぶしゃぶ屋ならお肉を出しなさい」

「すぐにお持ちします!」

「うんうん。世の中弱肉強食金と権力だ」

「えげつない事言わないで下さいよ……」


 ここまで見た目と中身が不一致な人間を見た事が無い。さっきの店員もそうだろう。

 だがあんな札束を出されては店としては断る理由がない。あっという間にわんこ蕎麦ならぬわんこ肉が用意され、さらには俺達専任の店員が付いた。彼らがどんどん肉と野菜を鍋に入れ、出来上がった端から俺達の皿に入れてくれる。こんな贅沢があるだろうか。

 俺は人生初めての事態に困惑しながらも遠慮なく箸を伸ばしたが、その調子で頑張れたのは五皿が限界だった。五十は無理だと言おうとしたが、女はしゅっと勢いよく手を上げて叫んだ。


「五十皿追加っ」

「は⁉」


 ちらりと見ると、なんと五十皿が全て無くなっていた。何だこれは。まさか俺が味わってじっくり食べている間に食べたのか。どんなスピードだそれは。

 俺が驚いてる間にも女は食べた。俺よりも食べる。しかも早い。噛んでないだろ。

 ぺろりぺろりと飲むように食べていき、しかも女は締めはうどんと雑炊だと言ってまた大量の皿が登場した。


「うどんはどれくらい食べるんだい?」

「うどん⁉ 俺もう無理で」

「じゃあ五人前にしとくかい。やあやあ、この子はたったの五人前でいいそうだ。僕はその三倍ほどおくれ」

「は⁉ あんたどんだけ食うんですか!」

「雑炊もくるよ」

「無理ですよ! もう食えませんて!」

「そうかいそうかい。僕は食べるよ。店員さんや。この子はもう食べられないそうだから持ち帰れるようにしておくれ」

「畏まりました。デザートはいかがいたしましょう」

「おくれ。君はどうする?」

「いや、俺はもう……」

「ではそれも持ち帰るようにしておくれよ。この子は五人前。僕はその三倍」

「畏まりました。よろしければご自宅に郵送もいたしますが、いかがでしょうか」

「それは大丈夫だよ。この子が持つからね」

 俺も店員も、え、と固まった。俺のこの荷物を見て言ってるのかこの女は。

「持つよねえ、食べたし」

「……もちろん」


 俺は膨れた腹が裂けないか心配したが、女は三時間かけて店の肉と米を食い尽くし、帰りにはオーナーだか店長だか、偉い人がずらりと並んでお見送りしてくれた。

 そらそうだろうよ。


「人生初ですよ、こんなの」

「美味しかったかい? 楽しかったかい?」

「はい。俺の知ってる最高級の肉はコンビニの焼き肉弁当なんで」

「ほおお。あれはあれで悪くはないがねえ」

「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「君に笑顔が戻ったのなら安いものだ」


 女はくすくすと笑っていつものように軽いステップで歩く。もしや今日はこの前の詫びか何かのつもりなのだろうか。

 贅沢を与えられたら出目金の断罪を忘れられるかというとそうではないが、これはこの女なりの誠意なのだろう。


「この辺は金魚が多いですね」

「そうだね。人が多いしお店も多い。楽しい場所には多くの未練が残り、自然と金魚も多くなる」


 ここは料理店や洋服店、雑貨屋、劇場、広場や公園などが集約された商業施設だ。家族連れも多いしカップルも多いし劇場には大勢の人が詰めかけている。母数が多けりゃ金魚も多かろう。


「聞いてもいいですか?」

「聞くは自由だが望む回答が得られる保証はしないよ。さあ言うが良い」


 何でこの女はこういう言い方しかできないのか。前半いらないだろ。


「出目金を金魚に戻す方法は本当に何も無いんですか?」

「君は今ここでネアンデルタール人に戻れるかい? 戻れたら戻れるかもしれないよ」

「冥福を祈られても駄目なんですよね」

「食った全金魚分が同時に冥福を祈られて新たに食わなけりゃ何とか」


 女は言っていた。俺は沙耶の冥福を祈っていないと。当たり前だ。祈れるもんか。祈ったらそれは沙耶の死を認めるという事だ。それは駄目だ。

 それを認めてはいけない。

 それを認めたら俺は――


「残された人間は愛する人の死を認めたくないものだ」

「……沙耶は生きてる」

「そうかい。では会ってみるかい?」

「は?」 


 女はふふ、と笑って正面を指差した。そこにいたのは金魚のような真っ赤なワンピースを着た少女だった。その姿に、俺は抱えていた女の荷物をぼろぼろと零した。


「……沙耶?」

「お兄様」

「沙耶!」


 俺の目の前に沙耶が立っていた。以前と同じようにほほ笑む沙耶に駆け寄り、俺は力いっぱい抱きしめた。


「無事だったんだな! どこにいたんだ!」

「ごめんなさい。なかなか補えなくて」

「補う?」


 ふいに視界が黒い何かに遮られた。驚いて沙耶から体を離すと、そこには五匹ほどの出目金がいた。沙耶の周りをくるくると漂い離れようとしない。

 俺の身体は急に体温が下がり、つう、と冷や汗が流れた。


「……お前、沙耶か?」

「はい。沙耶はお兄様の沙耶です。家に帰りましょう、沙耶のお兄様」

「何言ってるんだ。病院に行かないと」

「いいえ、もう大丈夫ですわ。怪我もこの通り。だから家に帰りましょう」

「駄目だって。発作が起きたら」

「必要ありませんわ。だって沙耶とお兄様はずうっと一緒にいられるのだから」


 沙耶はにこにこと明るく微笑み、俺の言葉を遮って身を乗り出しぎりぎりと強く俺の身体を抱きしめてくる。それは痛いほどだ。

 沙耶にこんな力があっただろうか。点滴に繋がれ注射針が幾度となく刺され痩せ細ったあの細腕に。

 ふいに出目金が俺の視界を泳いだ。


「沙耶のいない現世を生きるなんて許しませんわよ、お兄様」

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