最終話

「穏やかに終わってよかったです」

「普通はあんなものだよ。君と沙耶が派手なんだ」

「あはは」


 浩輔と桜子の墓参りに行き冥福を祈った翌日、俺は再び金魚屋に訪れていた。

 女の淹れるコーヒーは相変わらず粉っぽい。


「しかしまあ、よく金魚屋へ辿り着けたね」

「辿り着いたっていうか、呼んでくれたんですよね?」

「いいや。金魚屋は金魚未練を弔ってやりたいという強い想いがなければ辿り着けないんだよ。特に君達のように思い込みが激しく己の不幸に酔ってる場合は罪を受け入れるという視点の切り替えができない。だからこのタイプはあまり金魚屋に来ないのだよ」


 確かに俺も浩輔もそうだった。自分の事にばかり気を取られて、いつしか妹の事ではなく自分が可哀そうになっていたのだ。

 だが何もそんな嫌な言い方をしなくてもいいだろうに。


「あのテレポート的なのは何だったんですか? 金魚の通り道、でしたっけ」

「魂の通用口さ。そもそも金魚屋は形を持たないのだよ。ただ人間は形が無ければ存在を認識しないから喫茶店を模してるだけで、実際は魂が行き来してるだけだ。だからここへ来る方法は十人十色さ」

「え? じゃあ今ここにいる俺は何なんですか?」

「金魚屋のアルバイトさ。人でありながら魂に関与する事を許されるほんの一握り」


 女は立ち上がり窓を開けると、浮遊していた金魚に手を伸ばす。けれどそれはすうっと女の手をすり抜けて行く。金魚はすり抜けてしまったが、その代わりに弟がぴょんと飛び上がって窓から入って来た。

 あの神出鬼没さは金魚だからだろうか。


「金魚が人に戻るなんてこの数百年の中で初めての出来事だ。不思議な事もあるものだ」


 女はよしよしと弟を撫でた。この少年は人の姿をしているが、それは本来行ってはいけない共食いをした結果であり、実体は金魚だ。桜子のように自然と本来の自分に戻ったわけではない。きっと女もこの子も未練がありそれを抱えたまま生きているのだろう。

 俺は抱き合う姉弟を見て立ち上がり、女に頭を下げた。


「あの! アルバイト続けさせて下さい!」

「へぇ?」


 女は声を裏返らせた。

 顔を見ると、左右の眉がこれでもかというくらいに高低差を付けていて、出目金のように目を見開いている。

 今回浩輔との一件を経て、俺の生活で大きく変わった事がある。俺と浩輔が仲良くなった事で周囲が少しずつ俺とも距離を縮めてくれるようになったのだ。浩輔は文芸部で、社交性を付けろと言って俺を入部させてくれた。他の部員は嫌そうな顔をしてはいたけど、浩輔のおかげで少しずつ会話が増えている。

 一番驚いたのは、あれだけ殴って全治六か月のけがを負わせた吉岡が彼のバンド活動に誘ってくれた事だ。吉岡は大学内外の友達とバンドを組んで校内に留まらず、あちこちで活動をしてる。今まではオーディションやライブイベントに出ていたらしいが、近年の外出自粛傾向が続いて以来オンライン活動も始めているそうだ。そうなると配信スタッフが必要だとかで、それを手伝って欲しいと言ってくれた。本人曰く、親がいつまでもうるさいから黙らせようぜ、との事だ。どうやら俺が浩輔と仲良くなったのを見て思う事があったらしい。

 俺も浩輔も吉岡も、あの時の話をあまりしないのは臭い物に蓋をするようではあったが、それもまた人付き合いに必要な形だ。

 あの時の俺にとって沙耶が全てだった。けど世界はそれだけじゃないと沙耶が教えてくれた。


「沙耶と桜子と話して思ったんです。『未練』って生きてるうちは『悩み』なんですよ。悩みが解決できなかったから『ああ、あの時こうしておけば』っていう未練になる。そりゃあ突発的な事故とか病気はどうしようもないですけど、浩輔とか俺みたいな生きてる出目金予備軍は話をすれば消しておけるんですよ」


 俺は金魚には何もできない。それは金魚屋だってやってはいけない事だ。

 それでも、金魚屋ではないアルバイトだからこそできる事がある。


「金魚屋が金魚未練を弔うなら、俺は人の金魚悩みを弔います」


「簡単に言うけどね、今回は金魚が見えるからたまたまやれただけだ。金魚が見えなくなったらできないよ。あれ? そういや君には誰が憑いてるんだい?桜子がいなくなったのに何でまだ金魚屋にいるんだね」

「犯人は分かってますよ」

「ええ? 見つけたのかい?」


 俺が今回金魚が見えたのは桜子のためだろう。それはきっと間違いない。

 けど水槽から出られない桜子が特定の人間に何かをする事はできないはずだ。ましてや俺がどこにいるかも知らないのに迎えに来れるはずがない。となると俺を迎えに来た桜色の金魚は、俺を知っていて桜子とも話をできて、かつ姿を変えられる器用な奴が犯人だ。

 そんなの一人しかいない。


「俺に憑いてくれたのお前だよな、弟」


 弟はちらりと姉を見てからこくりと小さく頷いた。


「やっぱりな」

「お前、そんな事をしていたのかい? どうしてそんな事したんだい」

「……八重ちゃんと同じ名前だったから」

「八重ちゃん?」

「八重桜」


 ここの庭は八重桜が咲いてる。弟はよくあの桜の下でごろごろと昼寝をしているが、それと同じ名前というのはもしや―― 


「……お前、僕の事が分かるのかい?」


 八重ちゃんというのはこの女の名前か。女は弟が喋った事に驚き慌てているが、俺はその方が不思議だった。


「この子があなたの事を分からないって、何でそう思ったんですか? どうみても自分で考えて行動してますよね」

「だって、金魚とはそういうものだ」

「ははあ。さてはあなたも思い込みが激しいタイプですね」

「なんだとぅ?」

「多分会話できる回数に限度があるんじゃないんですか? 本来喋れないんだし」


 正体が金魚なら会話する機能がそもそも無いのだ。だがこの子は疑似的に生前の肉体を保っているから何とか喋れる時があるのではなかろうか。


「俺のこと心配してくれたんだよな」


 弟は少し恥ずかしそうな顔をした。こうして表情を崩すところは初めて見た気がする。決して何も考えて無いわけでもなくて、それを顔に出す機能が無いだけに思う。

 女はしゃがんで弟の両肩を撫でた。何か言わなければと迷っている姉に、弟はぎゅうっと抱き着いた。 


「夏生も一緒がいい」


 女はええ、と口をへの字に歪めた。


「この子を使うとは何て卑怯な男なんだ君は」

「未練残したくないんで」


 そしてまた女はため息を吐いて、よしよしと弟の頭を撫でると弟も姉にぎゅっと抱き着いた。


「お前が面倒見るんだよ」


 弟はこくりと小さく頷いた。まったく、と姉は弟の頭を撫で続けている。弟は俺の袖をぎゅっと掴んでうんうんと頷いてくれた。何となく沙耶の小さい時を思い出す。


「聞いてもいいですか?」

「何だい」

「名前、何て言うんですか?」

「……名前なんて聞かれるのは久しぶりだ」


 女はくすっと笑った。


「僕は藤島八重子。この子は稔。よろしく頼むよ、夏生君」

「こちらこそ」


 その挨拶は演技がかったものではなく、子守歌のように優しい声だった。

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