第五話 金魚屋バイトは分給五万円

「俺を殺したい人間がいるって事ですか」

「殺す事が目的では無いよ。君に未練があり憑いてしまった。その結果君は死ぬというだけのことさぁ」

「未練て何ですか。何で俺が未練になるんですか。俺はそんな、恨まれるほどの人間関係持ってないですよ」

「そんな事はない。人間は生まれながらにして持ってる人間関係があるじゃないか」

「生まれながら?」


 家族か。俺を産んだ母親。遺伝子を分け与えた父親。

 そして、同じ血を引く妹。


「金魚帖に宮村沙耶の名前は無いよ」


 びくりと俺の身体が震えた。

 今何て言った?

 この女は何て言った?

 女は目を細めて口角を吊り上げてゆっくりと唇を動かした。


「金魚帖に宮村沙耶の名前は無いよ」


 沙耶。

 宮村沙耶。

 それは俺の妹だ。

 金魚帖は金魚屋が回収する金魚、すなわち死んだ人間の魂の在処が書いてある。


「そうですよ。沙耶は生きてるんだから」


 そうだ。だから俺に憑いてるのは沙耶じゃない。ありえない。だって沙耶は生きてるんだから。

 だが女はなるほどね、と呆れたような顔をして肩をすくめた。大きくため息を吐くと、一旦帰ろうか、と言って金魚屋へと戻って来た。まっすぐ葬儀場へ入ると、この前のように金魚を水槽へ割り当てていく。また転ばされてはたまらない。俺は扉に背をべったりと付けて寄り掛かった。


「前も言ったけど、この子達は冥福を祈られ未練くさりを断ち切ったから連れてこれた。けど僕にできるのは弔う事だけで、未練くさりを断ち切るのは金魚を想う誰かがやってくれないと」

「それが沙耶に何の関係があるんだ」

「君は沙耶の冥福を祈ったかい?」

「だから! 沙耶はまだ生きてるんだよ!」

「冥福を祈っていないという事だね」

「祈る必要無いんだよ! 沙耶は生きてる!」

「では死んでいたら?」

「し、死んでないんだよ!」

「それは君の願望だろう? 確かに彼女の遺体は見つかっていないから生きてる可能性はあるだろう。だが同じように死んでる可能性もある。五分五分さ。その場合沙耶は永久に彷徨うんだよ。君が死に輪廻転生してもその後もずうっと独りぼっちだ」

「死んでない! もうすぐ見つかる! あいつは帰ってくるんだよ!」


 死んでない。

 死んでなんかない。

 だから金魚になんてならない。

 だから彷徨ったりしない。


「それに沙耶が俺を殺すような事をするわけがない! 絶対に違う!」


「分かったよ。君に憑いたのは沙耶じゃないとしよう。じゃあ誰なんだい。心当たりはあるのかい?」

「そ、それは……」


 俺が未練になりそうな人間。沙耶と沙耶の担当医や看護師以外の人付き合いなんてした事が無い。バイト先だって友達のような相手はいないし、大体死んだ人間はいない。だが知らず知らずのうちに誰かに恨まれるような事があったのだろうか。


「早く見つけた方が良い。死んでしまう」

「見つければ俺は助かるんですか」

「僕が弔ってあげるよ。人間に害をなす金魚は強制的に弔う方法があるからね」

「見つける方法を教えて下さい。どうすればいいんですか」

「知らんよ。僕は探偵じゃないんだ」

「俺はもっと分からないですよ! それにバイトもあるんです。家賃滞納してるから今月払えないと追い出されるんだ」

「ああ、生活に困ってるんだったね。ではここで住み込みのバイトするかい?」

「バイト? このガラガラの店で?」

「四月と五月は繁忙期なんだ。僕は外に出てしまうから店番が欲しいんだあよ」


 何の繁忙期だ。

 大体ここは金魚の卸業者でも水族館でもない。金魚の葬儀場じゃないか。

 忙しくなるなんて、それは――


「四月と五月は死亡者が多いって事ですか」

「どういうわけかね。四月病とか五月病というのだっけ?」


 知るかそんなの。

 季節によって気分が左右されるくらい生活に余裕があるのに、わざわざ死を選ぶ奴らの事なんか知るわけが無い。俺も沙耶は一日を生きるのに精いっぱいだったんだ。


「たくさん金魚を探しに来るんだよ。そうして巡り合えればお互い未練から解放され、自分達の力で輪廻転生できる。もしかしたら君の力になってくれる出会いもあるかもしれないよ。どうだい?」

「バイト代によりますよ。今の時給より低いならやりません」

「君のバイトはコンビニだったけか。そこの時給はいくらなんだい?」

「九百五十円」

「なるほどなるほど。では僕は分給一万円出そうじゃないか!」

「……何言ってんだあんた」

「むむ。少なかったかな。では分給五万円でどうだい? 奮発だ」

「からかってんですか? 一分五万出すなんてあるわけがない」

「むむ。高額じゃないと嫌なのに高額じゃ納得しないとは矛盾した子だね。では時給二千円とインセンティブでどうだい?」


 スマホを知らないくせにナビだのインセンティブなんて横文字は知ってるのは何なんだろうか。大体何をすればインセンティブが付くんだ。しかし時給二千円というのは良い。インセンティブなんか無くても十分良い。

 だが問題は業務内容だ。まさかこんなガラガラで接客も無いだろう。


「ああ、労働条件が気になるんだね。そうだねえ。労働時間は固定ではなく裁量労働制? あれにしよう。最低週三で各三時間以上は来ておくれ」

「仕事内容は何なんです」

「接客だよ。ここは喫茶店なんだ」

「喫茶店……」


 そういや最初注文を聞かれた気がする。だが俺以外の客を見た事が無い。接客する必要がどこにあるというのだろう。


「人間が迷い込んだらお茶を出してあげてくれたまえ。それが仕事だ」 

「客が来ない間は? どう考えてもそっちの方が長い」

「掃除でもしていてくれたまえ。雑巾とモップは無いから買ってきておくれよ。後で経費精算してあげよう」


 魂だのなんだとと言っておいて、こういうとこだけ現実的なのは何なんだ。


「ここは色々な人間がくる。生者も死者も金魚もだ。君の探し人も来るかもしれないよ」

「沙耶のことですか」

「インセンティブのことさ」


 来るかもじゃない。

 沙耶はここに入っていった。

 ここにいる。

 この女が知ってるはずだ。


「やるかい、バイト」

「やります」

「そうかいそうかい。ではそこに銀行口座を書いてくれるかい。給料は振り込み式だ」

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