第四話 金魚憑きの夏生
謹慎三日目。謹慎せず。
「おや、また来たね。暇なのかい?」
「ええ、まあ」
そろそろ謹慎という単語を辞書で引いた方がいいかもしれない。それを知っているのかいないのか、女は仕方がないなあと言って笑った。中毒だろうか、この演技がかった話し方を聞くと安心するようになってきた。
「ゆとりがあるのは良い事だ。だが僕はゆとり無く仕事に行くところなんだよ。君もゆとり無く一緒に来るかい?」
「……行きます」
俺は金魚の糞よろしく女に付いて行った。
女は今日も金魚帖を持っていた。魂の在処をこうも簡単に覗かせるという事は一般人閲覧厳禁という事でも無いのだろうか。魂というのを信じたわけじゃないが、他に信じる説も今のところ存在しない。それでもそれが真実だと思ってしまうほどに、金魚を魂だと言い捨てた女の目は狂気じみていた。
このすり抜ける空飛ぶ金魚は全て魂なのかと思うと、その美しさに眩暈がする。
「何をぼんやりしているんだい、ナビ君」
「ナビ君?」
「地図だよ地図。次の場所へ行くんだよ」
「スマホは使えないくせにナビなんて言葉は知ってるんですね」
「揚げ足取りはせんでよろしい。早くおし」
「はいはい」
たった二日でこの非日常は俺の日常になっていた。金魚にも驚かなくなり、むしろ可愛いとすら思い始めている。
それに怖いのは金魚じゃなくてこの女だ。弔いだの水槽だの、俺に害を及ぼすのはいつだってこの女だ。
だがこの女は金魚と違って喋る事も触る事もできる。いざとなったら女一人くらい力尽くでどうにでもできるだろう。そう思うと恐怖感はわずかに薄れた。
「この金魚もあの水槽に入れるんですか?」
「そりゃあそうさ。金魚屋だからね」
「水槽に入れてどうするんですか?」
「弔うのさ。金魚屋だからね」
「その弔うってどういう事なんですか? 全部消えちゃいましたよね」
「そうだよ。輪廻転生の輪に乗ったからね」
「……それは生まれ変わるとかそういう?」
「そうさ。金魚の弔いはこの子達を未練から解き放つ儀式さ」
「天国に行ったって事ですか」
「そうそう。そんな感じだあよ」
分かるような分からないような。いや、言ってる事は分かるのだが現実味がない。あれはCGで、俺の体調がおかしくなったのも偶然かもしれない。じゃあこの金魚が何なんだと言われれば分からないのだが。
「でも金魚屋では弔えない金魚もいる。そういう子は永久に浮遊し続ける事になるね」
「何でですか?」
「冥福を祈られていないからさ。生まれ変わる事を望まれなければ金魚屋(ぼくら)は手が出せないのさ」
「ふうん。放置するとどうなるんですか?」
「どうもならんよ。永久にこのまま現世を彷徨う。ただ稀に未練に憑く場合がある」
「人間に憑りつくって事ですか? 憑かれるとどうなるんですか?」
「金魚と同化するね。そうすると金魚が見えてしまう。そこらに飛んでるだろう?」
「え?」
俺は金魚が見えている。
これは何でだろうと思っていたが――
「俺、金魚に憑かれてるんですか?」
「そうさ。君は金魚憑きなのさ」
「金魚憑き……」
憑くという概念がよく分からない。おどろおどろしい見た目をしていたら恐怖でおかしくなったかもしれないけれど、どうにもこうにも金魚である。ゲームに出てくるモンスターのように襲ってくるわけでもなく、本当に金魚のように泳いでいるだけなのだ。特に金魚や熱帯魚が好きというわけではないが、沙耶を失いバイトと勉強だけの人生になってた俺にとって何もしてこない綺麗なだけの金魚はちょっとした癒しにすらなっている。
「害は無いから別にいいですよ」
触れる事はできないが、つい撫でてやりたくなる。目の前に浮遊する金魚に手を伸ばすと、やはり触れないけど可愛いものだ。
しかし女は俺の手を金魚から引き離した。
「何ですか」
「君は今魂を食われたよ」
「は?」
「金魚は魂だ。君に憑いてる金魚は君に自分の姿を見てもらいたくて、無理矢理金魚を見せてるんだ。本来見えない
「どうって……」
「同じ種族になればいいのさ。金魚は魂。君を金魚にするには魂を使わせればいい。君は今それをやらされているんだ。つまり魂を削りながら生きている」
「……は?」
「食われた魂は食った側に消化される。君はそのままだと遠からず死ぬだろう」
「何、言ってんですか」
「消化とは消滅。消滅はいわゆる地獄さ。天国へ行けず地獄へ連れて行かれるんだね」
何の話だ。
魂が食われる?
食われてる?
誰に?
金魚に?
金魚って魂だろ?
魂って人間だったんだろ?
「君は金魚に憑かれている。誰が君の魂を食っている」
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