32 カオリさんの家と、図書館

 ひなちゃんが立ちどまったので、アタシたちはそこまで行った。


 灰色のブロック塀の上に、ネコがいる。

 真っ白な毛並みはふわふわだ。


 青色の目と、黄色の目の、オッドアイが、アタシたちを見下ろしている。

 そして、ヒョイと、塀の向こうに行ってしまった。


「あー! 行っちゃったっ!」


 ひなちゃんが、ざんねんそうにつぶやいた。


「しょうがないよ。ユキはノラだし」


 千穂の言葉に、アタシはつぶやく。


「ユキって名前がついてるのに、ノラなんだ」


「うん。いろんなところで寝たり、ごはんを食べてる、とっても自由なネコなんだ。この島のネコは、島の人たちに大切にされてるし、妖精たちもネコと仲よしだから、ノラでも生きやすいと思うよ」


「そっかぁ」


 アタシがそう言った時だった。

 足音が聞こえた気がして、アタシはパッと、ふり向いた。


「――あっ!」


 めずらしい。着物だ。ひさしぶりに見た。


 アタシの視線の先にいるのは、着物姿のおばあさん。

 すずしそうな色の着物だなぁと思っていると、「あの人は、空野そらのカオリさん。マナミちゃんのおばあちゃんだよ」と、声がした。ひなちゃんの声だ。


「マナミちゃん?」


 だれだっけ? 

 と思っていたら、「同じクラスの夏森なつもりさんだよ。ポニーテールで、しっかり者の」と、千穂がおしえてくれた。


「ああ、よく男子を怒ってる子だね」

 アタシが小声でそう言うと、千穂はコクンとうなずく。


 おばあさんが、近づいてきた。


「あらっ、ひなちゃんと、千穂ちゃんじゃないの。おひさしぶりね。今日も暑いわねぇ。こんなところでどうしたの? なにかあったの?」


 やわらかな声に、いやされる。


「あのねっ、春に、島に引っこしてきた、ツムギちゃん家でね、宿題をしてたんだっ! それでねっ、図書館に行こうっていう、話になって、歩いてたの。そうしたら、しあわせのネコを見つけたから、つい、追いかけちゃった」


 そう言って、ひなちゃんが笑う。

 ほほ笑みながら、ひなちゃんの話を聞いていたおばあさんが、アタシに視線を向けた。


「あなたが、ツムギちゃんね。まごのマナミと、同じクラスよね」

「……はい。夏森マナミさんには、とてもおせわになっています。夜桜よざくらツムギです」


 アタシが頭を下げると、おばあさんが、「まあ、ごていねいに」とつぶやいてから、「わたしは、空野カオリです。カオリさんって呼んでくれると、うれしいわ」と言って、軽くおじぎをしてから、笑った。


 それから、「うち、すぐそこなの。お茶でも、飲んでいかない?」と言って、アタシたちをさそってくれたので、アタシたちはうなずいた。



 カオリさんの家は、とっても大きな家だった。

 玄関も広いし、ろうかも広い。大きな窓から見える庭も広くて、大きな石や、池や、木なんかが見えた。


 えんがわまで、あんないしてくれたカオリさんが、ザブトンを出してくれた。

 そのあと、お茶とお菓子を用意してくれると言うので、アタシたちは座って待つことにした。


 笑顔のひなちゃんがアタシに向かって口を開く。


「カオリさんのダンナさんはね、ネコ神社の近くにある、喫茶店のマスターなんだよ!」

「ネコ神社の近くの? 鈴絵さんの絵が、かざってある喫茶店?」


 アタシがたずねると、ひなちゃんは「うん!」とうなずいた。


「アタシがはじめて行った時に、絵を見てたら、絵は好きかね? って、話しかけてくれたおじいさんがいたんだ」

「そうなんだー! その人かもしれないねっ!」

「うんっ!」


 なつかしいな。

 春休みのことだけど、だいぶ前な気がする。

 いろいろあったな。この島にきてから。


 セミたちの声を聞きながら、アタシは空を見上げる。


 ――青い。


 すずしい風が吹いて、チリンと、風鈴が鳴った。


 しばらくして、カオリさんがもどってきた。大きなお盆を持っていて、とても重そうだ。

 手伝った方がいいのか、よけいなことをしない方がいいのかはわからない。


 着物で動くって大変そうに見えるんだけど、ニコニコしているから、ダイジョウブなのかもしれない。

 そんなことを思っていると、スタスタと歩いてきたカオリさんが、お盆をろうかに置いた。それからていねいに、アタシたちにお茶をわたす。


「ツムギちゃんは知っているかしら? このお茶の名前」

「いえ」


 カオリさんにお茶のことを言われて、アタシは首をかしげる。

 すると、「ニャハハハ茶だよ!」と、ひなちゃんが元気よく、おしえてくれた。


「ニャハハハ茶……」


 笑った方がいいのだろうか? これは。


「うふふ。おどろいた? ニャハハハ茶はね、この島に、昔からあるお茶なの。それとね、お盆にのっている、おだんごはね、ニャハハハだんごっていう、名前なのよ。このおだんごも、この島に、昔からあるの」


「そうなんですか……あの、ニャハハハトウとか、ニャハハハ茶の、ニャハハハって、どういうイミなんですか?」


 アタシがたずねると、カオリさんはうふふと笑う。


「昔の島言葉でね、ありがたいというイミなのよ」


「ありがたい、ですか」


「そうよ。今あるすべては、たくさんの恵みでできてるの。それは当たり前じゃなくて、キセキなのよ。そのキセキにカンシャする時に、ありがたい――昔の島言葉で、ニャハハハというの」


「そんなイミがあったんですね」


「そうなのよ。言葉って、すてきね!」


 うれしそうなカオリさんを見て、アタシもうれしくなる。


「――あっ、そうだっ! ワタシッ、自由研究、島のお茶と、お菓子にするっ! 昔からある島のお菓子っていいよねっ!」


「うん、いいと思う」


 ひなちゃんが笑顔でさけぶと、千穂がニッコリほほ笑み、うなずいた。


 アタシもうなずき、「いいと思う」とつぶやく。


 うふふふふと、カオリさんが、楽しそうに笑った。


 そのあと、アタシはドキドキしながら、ニャハハハ茶を飲んでみた。

 味は、うーん、なんと言えばいいだろう。お茶だ。


 ニャハハハだんごも、食べる。おいしいな。



 そのあと、アタシたちは、カオリさんにお礼を言って、家を出た。

 カオリさんが笑顔で、またあそびにおいでと言ってくれたので、うれしかった。


 この島は、やさしい人が多いなって思う。島だからだろうか。


 図書館に着くと、気になる本を読んだり、知りたいことを調べたりした。

 その結果、アタシと千穂も、自由研究のテーマを決めることができて、安心した。


 アタシの自由研究のテーマは、島の植物の、色水についてだ。

 島にある植物から、どんな色水ができるかの研究だ。

 なんか楽しそうだし、アタシにもできると思う。


 千穂は、島のセミの研究をすると言って、セミの本をいろいろ借りていた。

 ひなちゃんは、島のれきしとか、島関係の本を借りていた。島のお茶とお菓子という、タイトルの本は、なかったようだ。


 時間があったので、ついでに、読書感想文の本も決めて、借りることができた。


 その日の夜に、アタシはお父さんとお母さんに、自由研究の話をした。

 子どもだけではできないことも、あるかもしれないからだ。


 お母さんは、「できることがあれば手伝うわ」とほほ笑み、お父さんは、「なんでもやるぞ!」と、目をかがやかせた。


 ふらりとやってきたアイビスにも、自由研究のことを話した。

 アイビスには、今日、しあわせのネコを追いかけてたら、カオリさんに会ったことと、そのあとのことも話した。


 そうしたら、「楽しそうだな」と言ってくれたので、アタシは「うん!」とうなずいた。


 お父さんとお母さんに言えないことでも、アイビスには言えるから、ありがたいなと思う。

 1人でしずかにすごしたい時もあるけど、だれかに話を聞いてもらいたい時もあるから。


 アイビスが帰ったあと、アタシはあわい黄色のスケッチブックに、好きなだけ絵を描いた。自由に。


 夏休みの宿題に、絵の宿題があるんだけど、今は描きたいとは思わない。

 楽しみなのもあるけど、これだっ! というのは浮かばないから。


 コンクールに出すための絵で、テーマは、『しあわせ』。

 しあわせって、感じるものだ。


 お腹がすいている時に、お腹が満たされたら、しあわせだろう。

 会いたかった人に会えたら、しあわせだろう。

 やりたかったことができたら、しあわせだろう。


 そう思うんだけど、気持ちって、変わるものだし、今のしあわせが、未来のしあわせかはわからない気もする。

 まあ、宿題だし、むずかしく考えなくてもいいと思うのだけど。


 でも、今は描きたいとは思わない。

 だから、好きなだけ、今、描きたい絵を描くんだ。


 そう思ったアタシは、満足するまで絵を描いて眠った。


 ――夢を見た。


 青い空と、白い雲。広い道を歩くアタシ。

 目の前に現れたのは、青と黄色の、オッドアイを持ったネコ。


 ネコは、『ニャァン』と鳴く。


 真っ白な毛並みをなでると、とってもふわふわで、気持ちよかった。


 しあわせだなぁ。


 そう、思っていると。


『ねえ、しあわせ?』

 と、たずねる声がした。


 アタシがおどろくと、ネコがにげた。

 アタシは風を感じ、空をあおぐ。そして答える。


『しあわせだよ』


 自分の声で目ざめたアタシは、1人、笑った。

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