2 灰色のウサギと、バラ色のウサギ

 アタシはふうと息を吐き、ドキドキしながら、クローゼットに近づいた。

 クローゼットをゆっくり開ける。


 あれ? 絵本? 2冊ある。


 1冊目の絵本のタイトルは、『ウサギのハイイロ』。

 表紙の絵は、黄色い目をした、灰色のウサギが、月を見上げている絵だ。


 その絵を見て、アタシはなぜだか、悲しくなった。


 時原鈴絵ときはらすずえ? ああ、玄関の絵の……。


 お父さんが言ってたな。電話で。

 時原鈴絵さんの絵本を買ってやろうかとか、ウサギ好きだろとか、言ってた気がする。


 で、絵本なんかいらないって、言ったんだけどな。

 お母さんもいらないって言ってた。


 どうしてここにあるんだろ? 買ったのか。ハァー。


 アタシは大きくため息を吐く。

 絵本なんて、どれぐらいぶりだろう? 

 そう思いながら、1冊目の絵本を手にとり、パラパラめくる。


 あるところに、ハイイロという名前の、ウサギがいました。

 ハイイロは、お月さま色の目を持つ、灰色の毛並みのウサギです。

 ハイイロは、ある森で暮らす魔女が、作り出した、トクベツなウサギなのです。


 ハイイロは、世界は灰色だと信じてる、人間の、大人たちや、子どもたちの、目の前に現れて、こう言いました。


『灰色も、よい色だな。だが、この世界には、もっとたくさんの、すばらしい色があるのだ。この世界には、灰色しか存在しない。そう、強く、思いこんでいれば、ほかの色があるということに、気づけなくなる。ほかの色がある世界を、ひていばかりしていれば、ずっと世界は、灰色のまま。灰色が好きで、ほかはいらないというのなら、それでもよいがな』 


 その言葉を聞いたあと、その言葉を聞いた、人間たちの、感じる世界が変わったり、変わらなかったりする。そんな話だ。


 相手の言葉をどう感じ、どのようにリカイするかは、人それぞれだもんな。

 テレビや本や、だれかの言葉で、ハッと気づくこともあるけど、何年か経ってから、突然わかることもあるし。


 この絵本、どんな人が描いたんだろう? 鈴絵さんって、女の人かな?


 そう思いながら、2冊目に目を向ける。同じ人の絵本だ。


 アタシは、持っていた絵本を足元に置き、もう1冊の絵本を手にとった。


 タイトルは、『バラ色のウサギ』。表紙の絵は、紅い目の、うす紅色のウサギだ。

 さびしそうな顔で、窓の外をながめてる。


 ミミは、紅い目を持つ、バラ色の毛並みのウサギです。

 ミミは、とてもかわいいウサギです。

 ある森で暮らす魔女――コハルが作り出した、トクベツなウサギなのです。


 ミミには、ハイイロという名前の、兄がいます。

 ハイイロは、お月さま色の目を持つ、灰色の毛並みのウサギです。


 ミミは、兄のハイイロにも、魔女のコハルにも、森に住む動物たちにも、とても愛されていました。大切にされていました。

 バラ色の毛並みと、紅い目が美しいと、みんなに、ほめられていたのです。


 ミミは、毎日しあわせでした。


 ある日、ミミの、大好きな兄――ハイイロが言いました。


『オレは、この世界が好きだ。だが、オレが知っている世界は、この森だけ。オレは、もっと広い、世界を知りたいんだ。だからオレは、旅に出る』


 ハイイロは、『行かないで!』と泣きさけぶ、ミミの頭を、そっとやさしくなでたあと、旅に出てしまいました。


 ミミはとてもさびしくて、毎日毎日、泣いていました。

 さびしくて、悲しくて、はじめて、こどくというものを感じました。


 ミミは、絵本を読んで、こどくのつらさというものを、わかっているつもりでしたが、思っていた以上に、つらいものでした。


 若草色の髪と目を持つ、おだやかで、いつもやさしいコハルは、いつものように、ほほ笑んで、『泣きたいならお泣き』と、言いました。

 その言葉を聞いたミミは、大声を出して、泣きました。


 コハルや、森の動物たちが、ミミに、たくさんの食べものをくれました。

 おいしいよと、笑顔で言われても、ミミには、おいしいと感じることができません。


 大好きな、果物やジュースも、味がよくわかりません。

 おまけに、大好きだった花や、青い空、美しいと思っていた絵や、おもしろいと思っていた絵本、虹など、いろいろ見ても、心が動きませんでした。


 前のような、しあわせやよろこびが、感じられなくなったミミは、このまま自分は、心をうしなうのではないかと、思いました。


 そう思ったあと、気づいたのですが、ミミの体が、真っ黒になっていました。

 目も黒です。


 ミミは、しずかに泣きながら、ああ、もう終わりだと、そう思いました。


 ミミが、黒い毛並みのウサギになっても、コハルは、いつもと同じでした。

 真っ黒なミミを、はじめて見た時に、すこしだけ、おどろいた顔はしましたが、なにも言いませんでした。


 ミミは、そんなコハルが、なんだかこわく、なりました。

 自分はもう、いらないのかなと、そう思いました。


 だけど、ミミには、この家から出る勇気は、ありませんでした。

 森の動物たちに会うことだって、こわかったのです。


 ミミの兄のハイイロは、灰色の毛並みでしたが、自分に自信がありました。

 お月さま色の目は、とてもやさしく、美しいものでした。


 強く、やさしいハイイロのことを、森のみんなが愛していました。

 ですが、ミミは、昔も今も、おくびょうで、泣き虫なのです。


 そんな自分が、真っ黒になってしまえば、だれも愛してくれないと、ミミは思い、部屋に閉じこもって、泣きました。


 ある日、お月さま色の目を持つ、灰色の毛並みのウサギである、兄のハイイロが、家に、もどってきました。

 ひょっこりと現れたハイイロは、『ただいま、ミミ』と、やさしく言って、黒くなってしまったミミを、抱きしめたのです。


 その時、ミミの体が、熱くなり、ブルブルと、ふるえました。

 涙が、いきおいよく、流れます。


 ふるえる声で、どうして自分が、ミミだとわかったのか、たずねるミミに、兄はやさしく、言いました。


『オレはな、ミミが、バラ色だから、好きになったんじゃない。どんな色になっても、ミミはオレの、愛する妹だ』


 ハイイロの言葉を聞いて、ミミは、泣きじゃくりました。


 しばらく泣いたあとのことです。


 真っ黒だったミミの目と、毛並みが、元の色に、もどっていました。


『おそくなって、わるかったな。コハルの魔法鳥マホウドリが、飛んできたのだが、オレにはやりたいことがあったのだ。コハルも、森のみんなも、心配してるぞ』


 その日からしばらくの間、兄のハイイロは、ミミのそばにいてくれました。

 兄と、魔女のコハルと、森のみんなのやさしさや、愛を、体の深いところで、感じられるようになったミミは、前よりも、自分が強くなった気がしました。


 そして、自分も兄と、旅に出てみたいと思い、ハイイロにつたえてみたのです。


 ハイイロは、大きくうなずき、『いいぞ。世界は広いんだ。新しい出会いが、たくさんあるぞ』と言って、ほほ笑みました。


 アタシは気づけば、絵本を、最後まで、一気に読んでいた。

 しかも、とちゅうから、泣いていた。今ごろになって、涙をふく。


 いいな。

 どんな自分のことも、愛してくれる人がいるって、しあわせなことだな。


 でも、お父さんみたいに、愛が重いのはいやかな。ふんわりとあたたかくて、やさしい愛がいいな。


 そう思った時だった。「ツムギッ! 行くわよっ!」と、声が聞こえた。


 お母さんだ。


 アタシは、空っぽのペットボトルを持って、部屋を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る