第2話 歴史の裏・帝国城にて
「隠れてないで出ておいでよ。人払いは済ませてある。と言っても城丸ごと人払いすることは出来ないから、このフロアと下二フロアだけだけどね」
夜の帳に包まれた帝国城に、甘く柔らかい男性の声が響く。
声の主――痩身痩躯を煌びやかな衣装で着飾った――青年は、闇を見つめる。
しばらくして、闇が揺らぎ、漆黒の鎧を紅く染めた騎士が音もなく現れる。
「……お久しぶりです、バーゼル様」
「そうだね。ルーカス、随分とボロボロだね。まあ、報告は聞いている。連合軍を相手に派手に暴れたそうじゃないか。『鬼人』の名が飾りではなかったと重鎮たちは褒めていたよ」
歌うように青年――皇帝バーセルは告げる
帝国の民ならば、彼の言葉を拝聴した瞬間、嬉しさのあまり咽び泣く。
だが、ルーカスは表情を変えることなく、バーセルに言葉を返す。
「僕はただの人殺しです。『鬼人』なんて大それた二つ名が似合うような器ではないです」
「そうかな。私はぴったり似合ってると思うんだけどな。ヒトでありながらヒトを超えたヒトあらざる存在。『闘人』、『魔人』と並ぶ強者。『鬼人』と讃えられても、なんらおかしくないだろう」
ルーカスは大袈裟に頭を振る。
その演技じみた仕草に、バーセルは肩を竦める。
「僕はあの二人みたいにはなれません」
真っ直ぐにバーセルを見ながら、ルーカスはただ力強く告げる。
その言葉に含まれた意思を読み取り、バーセルは残念そうに、ため息をつく。
「ふむ、そうか。……わざわざ自分の生死を誤魔化し、私に会いに来たのは、『鬼人』の二つ名を返しに来ただけじゃないんだろう」
「僕の目的を察してらっしゃる割には、随分と余裕ですね」
「まあね。報告を聞いた時、ピンときたからね。ルーカスは私の前に現れるだろう、ってね」
「……何故ですか?」
「こればかりは勘としか言いようがないね。まあ、重鎮たちの中には帝国の血がなせる業、未来予知なんていう者もいるけどね」
バーセルは口の端を持ち上げ、自嘲気味に嗤う。先ほどまでの絶対的な安心感を与えるカリスマ性が陰る。
ルーカスが知る皇帝らしくないバーセルの姿。ぐっと拳を握りしめ、歩み寄りたくなる自分を御す。
一呼吸置いて、ルーカスは口を開く。
「未来予知、ですか。その業で帝国の未来が視えたことはあるんですか?」
「あるよ。当然、あるさ。赤い炎が全てを包み込んでいた。死と絶望、ただそれだけが支配する世界が広がっていた」
「……それは、いつ訪れる未来なんですか?」
「わからない。それは明日かもしれない一週間後かもしれない。一ヶ月後、一年後、十年後、百年後、いつ訪れる未来なのか、私にはわからない。その未来が本当に訪れる保証もない」
カッカッカッと神経質そうな足音を響かせ、パーゼルはフロアを無秩序に歩く。
その顔は絶望に青ざめ、ガサガサと頭を掻きむしる。
まるで幽鬼のような姿。
決して表に出ることのない姿。
ルーカスは動じることなく、バーセルの姿を目で追う。
「……その未来にあがなうためにバーゼル様は
「ああ、そうだ。帝国の力が強ければ、そんな未来を覆せると考えたんだ。帝国が全てを支配する世界ならば、未来を変えられるはずなんだ」
「……帝国が他国を攻めたことが原因になると考えられたのですか?」
「それも考えた。あとはどの方法を選ぶことが最善かという判断だ。私は帝国による支配が最も未来を変えれることができると信じている」
バーセルは狂気の光を宿した瞳で、ルーカスを見る。ひどく憔悴した彼の顔は、死人のように生気が枯れていた。
彼は出会った頃から変わらない。未来予知で
それでもルーカスは、ここから引き返すことは出来ない。
「僕は帝国の存在が、その未来を引き寄せると考えます。『鬼人』を主軸とした帝国の侵略戦争。怨嗟と怨恨が生まれ、憎悪の炎が猛っている。このままでは、バーゼル様が
「……その可能性は否定できないね」
「だったら、何故、積極的に他国を侵略するような勅命を出されるのですか?」
「ルーカス、それは思考の差というものだよ。キミが考える最善が、私が導き出した最善と同じとは……限らないだろう」
「……平行線、ということですね」
「ああ、そうだね。残念なことだけど」
バーセルはひどく寂しそうに、ルーカスを見る。
「バーゼル様は、僕が何のために御前に参上したのか、察してらっしゃるのですよね」
「ああ、理解している。だから彼らを呼んだ。『鬼人』の相手が務まる者など、そうそういないからね」
バーゼルの言葉が終わると同時に凄まじい殺気がルーカスを射抜く。
反射的に身構えそうになり、ルーカスは内心慌てながら自分を抑える。
ルーカスが見据えた先から、フロアを揺らすような足音を響かせながら筋骨隆々の大男――『闘人』ガルドが姿を表す。
彼は成人男性数人分の重さがありそうな大剣――愛剣を片手で掴み、肩に乗せていた。
演習場で見慣れたガルドの姿に、ルーカスは頬を弛める。
ガルドは、男臭い野性的な笑みを浮かべながら、片手をあげる。
「おう、久しぶりだな」
「お久しぶりです、ガルドさん。北で軍の合同演習以来……一年ぶりくらいですね」
ルーカスは丁寧に頭を下げて挨拶をする。
今にも襲いかかれそうな殺気を放っているが、ガルドがそんな野暮なことをしないと理解しているからだ。
ガルドは、ルーカスに歩み寄るとバンバンと肩を叩く。力加減ゼロのガルドにルーカスは苦笑しながら懐かしさを覚える。
「そうだな。あんときは中々楽しめたぞ。『鬼人』が率いているだけあって、兵の練度も士気もいい感じだったぜ」
「ありがとうございます。その言葉を聞けば、みんな喜びます」
「ガハハハッ、何を言ってんだよ。俺様が褒めるんだ。喜ばないヤツなんていねーよ」
「はははっ、確かにそうかもしれないですね」
濃密な殺気で満たされた空間で、場違いなほど、和気藹々とした笑い声が響く。
「……おい、ガルド。何を世間話に花を咲かせておる。ここに貴様と妾が招かれた理由を忘れておらぬか?」
冷ややかな女性の声が、ルーカスとガルドの笑い声を止める。
ガルドは肩越しに、声のした方を睨む。
「あん? 忘れているわけねぇだろ、若ババア」
「わ、若ババアじゃと! そこのたわけ者より先に、貴様を始末してくれようか?」
「ふん、やれるもんなら、やってみやがれ。テメーが余裕こいて呪文詠唱している間に喉をかっ切ってやるぜ」
女性にしては背が高く、すらりと伸びる四肢が更に彼女の身長を高く見せる。
蒼いマーメードドレスに身を包んだ体は、メリハリの効いた抜群のプロポーションで、男性ならば目を奪われること間違いないだろう。
海のように青い緩やかなウェーブがかった彼女の髪は、風もないのにゆらゆらとゆれている。
女性は先端に大きな紅い魔宝玉をあしらった、自分の背よりも高い杖を手にして、体を揺らすように、闇の中から歩いてくる。
「お久しぶりです、フローネ様」
「ふむ、たわけ者だが、そこの野人よりは礼節を知っているようじゃな。久しいな、といっても一月ほどか」
「そうですね。フローネ様は、あいもかわらず、お美しいですね」
「世辞はいらぬ。当然の事じゃからな」
「ケッ、よくも若作りのババアに、そんな言葉を言えるな。信じられねーぜ」
「貴様のような野人には妾の美しさが理解できないであろうからな。それより、本題じゃ」
女性――『魔人』フローネは一度、言葉を切る。そして鋭い視線で、ルーカスを真っ直ぐに見据える。
「たわけ者、考えを改めるつもりはないか? 尻の青いバーセルに忠誠を誓えとは言わぬ。ただ『鬼人』として帝国におるだけで良い。
フッと表情を弛め、ルーカスはフローネに深々とお辞儀をする。
「フローネ様、お心遣いに感謝いたします。……でも、考えを簡単に変えれるようなら、僕はこの場に現れることはなかったと思います」
顔を上げたルーカスを見て、フローネは寂しさに表情を曇らせる。
「汝は、そう返すと思っておった。妾が見込む男は、ことごとく去っていくものじゃ。バーセルといい、先帝といい、先々帝といい、どうしてこうも人望がないのじゃ」
「フローネ、それはあんまりじゃないかな。少なくとも民に敬われているし、フローネやガルドも私を支えてくれているじゃないか」
「妾は妾を『魔人』と呼んでバカにしたレオンの粗忽者に義理立ててやっておるだけじゃ」
「俺様は退屈しないで済む場所を提供してくれているから、
自分に仕えているわけではない、と帝国最強戦力に言われ、バーセルは失笑しながら肩をすくめる。
「フローネ、ガルド、もう少し言葉を選んでくれていいんじゃないかな。私――皇帝の前なんだよ。嘘でも敬っているように見せるとかさ」
「妾は無駄なことをする趣味はないのじゃ」
「俺様は正直者だからな」
きっぱりと言い切る二人に、バーセルはわざとらしい大きなため息をついて、肩を落とす。
フローネは、そんな彼を面倒そうな視線を送る。しかし、いじける子どもを見るような慈愛が含まれていた。
「さて、残念じゃが、そろそろ話を進めるとしようぞ。ほれ、バーセルは、さっさと奥に下がれ。邪魔じゃ」
「そうだな。巻き添えで怪我されたら、興ざめもいいところだからな」
「はあ、君たち二人とは、私に対する振る舞いについて、じっくりと話す必要がありそうだね。ルーカス、『鬼人』と称されるキミでも『闘人』と『魔人』を相手して、万が一も勝ち目はないだろう。非常に残念だが、キミとは、ここでお別れだ。帝国が創る平和の礎を築いて欲しかった。さようなら、ルーカス」
「……さようなら、バーセル様。次、お会いする時は命を戴きます」
「期待しないで待っておくよ」
闇の奥に消えるバーセル。そして、立ち塞がるように立つ闘人と魔人。
「ふー、まどろっこしいやりとりは、もういいだろ。テメーと死合う機会がねーかと、疼いて仕方なかったんだよ。こんなに疼きやがったのはガキの頃に大剣だけ握ってドラゴンに挑んだ時か、いや、一人で王国一万の兵に突っ込んだ時か。片手で数え切れるほどすくねぇぜ」
「僕はガルドさんと戦いたくはないんですけど」
「つれねーことを言うなよ。この場にいるってことは、殺り合う以外ないだろ」
「ガルドさんの強さは身に染みてわかっているので、殺り合いたくはないんですよ。もちろん、フローネ様とも殺り合いたくはないですよ」
「それは無理な話じゃ。貴様がたわけ者でなければ、殺し合う必要もなかったんじゃがな。……運命というやつは捻くれておるからな。避けたい事ほど避けられぬようになっておるものじゃ」
「本当に、そうですね……」
「ああ、そうじゃな」
ルーカスとフローネは、視線を合わせ、寂しそうに笑う。
しばし沈黙が空間を支配する。
が、ドン! と大きな音が沈黙を破る。見るとガルドが大剣をる。フロアの床に叩きつけていた。
「さて、別れの挨拶は終わりでいいか? 殺り合う前に感傷的になるなんてガラじゃねぇだろ」
「それは貴様だけじゃ。さて、殺し合うとしようかの」
「残念ですけど、そうですね」
「おう! おっぱじめるとするか!」
そう言い追えると同時に三人は弾かれたように動き出した。
☆☆☆
その夜、帝都の大気が鳴動し、帝都城の上部が消し飛んだ。
帝国広報部門より、帝国の安否に別状はない。新兵器を皇帝にお披露目している際に、想定外の事態が発生し、暴走して大爆発を起こした。と大々的に報道された。
帝国民は皇帝の安否に胸を撫で下ろすとともに、新兵器の威力に戦き、頼もしさを感じるのだった。
一部の帝国民の間で、鬼人を目撃したという噂が流れたが、すぐに立ち消えた。
【短編】帝国最強魔導騎士が消えた日 橘つかさ @Tukasa_T
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