【短編】帝国最強魔導騎士が消えた日
橘つかさ
第1話 撤退戦
「……勝機を逃したな」
眼下に広がる戦火を見つめながら、全身を漆黒の鎧で包んだ少年は呟く。
そばに控えていた金髪碧眼で、白い鎧に身を包む少女が少年に詰め寄る。
「ルーカス、それはどういう意味?」
「そのままの意味だよ。この戦いは帝国の負けだ。連合軍に勝っているのは兵士の数だけだ。兵の士気も練度も連合軍がはるかに勝っている。これ以上の戦闘は無駄に兵を失うだけだ。損害を抑えながら撤退し、軍を立て直す必要がある」
「……それが帝国軍に許されると思うの? 常勝無敗、それが帝国軍なのよ。敵を前にして後退することが許されると思うの?」
ルーカスは頭を振る。
ああ、この彼女も帝国の常勝無敗という毒に冒されている。
「常勝無敗、それはただの虚言だ。帝国史を確認すると幾度となく敗北しているよ。ただ、ここ十年が調子が良かっただけさ。もうじき前線が崩れる。そうなれば体勢を立て直す暇もない。連合国の迎撃をかわしながら、帝国の支配地域まで退くことが最善だよ」
「敵に背を向ければ、それこそ連合軍の思う壺だわ。ここは戦力を集中させて連合軍の核を潰すべきだわ。所詮は利害の一致で集まった烏合集。核を潰せば瓦解するわ」
「リーゼロッテ、それは連合軍を甘く見過ぎだよ。連合軍の利害は『帝国をこの大陸から消滅させること』なんだよ。核を潰そうが、主謀者を殺そうが、利害が失われるわけじゃないよ。それだけ帝国が恨まれているってことだ」
「帝国は大陸に平和をもたらす為に戦っているだけだわ。抵抗する連合軍の方が悪いのよ。連合軍が素直に降参すれば戦争が長引くこともないのよ」
曇りのない眼差しで見返してくるリーゼロッテにルーカスは肩をすくめてみせる。
「誰かに支配された平和なんて所詮は偽りさ」
「……ルーカス、皇帝様の崇高な志を馬鹿にするつもりなの? いくら鬼人と称される貴方でも処罰は免れないわよ」
「馬鹿にするつもりは微塵もない。ただ思想の違いというやつだよ。さて、無駄話をする時間も無くなってきたようだね。
「ダメよ。ルーカスの部隊が一番消耗しているじゃないの。連合軍を食い止めることすらできないわよ。殿は私の部隊が引き受けるわ」
一瞬、ルーカスはキョトンとした顔をすると、すぐに破顔する。
「はははっ、リーゼロットにしては、面白い冗談だよ。キミの部隊も僕の部隊と同じくらい消耗しているじゃないか」
「……関係ないわ。私の兵の勇猛さは、ルーカスもよく知っているでしょ。如何に連合軍が優勢であっても、私の兵が負けることはないわ。一騎当千の猛者ばかりなんだから。第一、ルーカスは帝国に必要な人間よ。こんなところで命を賭ける必要ないわ」
ルーカスは静かに首を横に振る。
「逆だよ。僕は帝国にいるべではない。何故、帝国は戦火を広げ続けるのか? それは儚い夢を見ているからだよ。いや、毒に冒されていると言っていい。闘人ガルド、魔人フローネ、鬼人ルーカス。人知を超えたと恐れ讃えられる猛将が帝国にいるからだよ。正確に言うと鬼人が誕生したせいだ」
「そんなことはないわ」
「闘人は北。魔人は帝都。それぞれ任せられた場所があって、他国を攻める余力はなかった。でも鬼人は違う。大陸のどこにでも現れ、戦火をあげて大地を赤く染めあげる。文字通り、ヒトを喰らう鬼だってね」
「それは違う。ルーカスは戦いも血も求めていないって、私は知ってる」
リーゼロッテの凛とした顔に、一抹の不安の色が滲む。
ルーカスはフッと天を仰ぐ。
「最近、シューベルト師匠が『やめておけ、人生の無駄だ』と言ってた理由がなんとなくわかるよ。シューベルト師匠は戦闘術や魔術以外にも色々な事を教えてくれた。シューベルト師匠以外なら負ける気はしなかった」
「門下生の中で、ルーカスはずば抜けて才能があったからね」
「シューベルト師匠には及ばないけど、世界を平和にできると思っていた。あの日、僕を助けてくれたシューベルト師匠みたいに正義の味方になれると信じてた」
「……ルーカスは帝国の英雄よ」
「僕は英雄でも正義の味方でもないよ。ただの人殺しさ。所構わず戦禍を撒き散らし、大地を腐らせ、人の営みを根こそぎ奪う鬼だよ」
「違う! ルーカスはそうせざえなかっただけ! 大義の前に犠牲はつきものよ!」
悲しそうに、寂しそうに、ルーカスは首を横に振る。
「僕には大義なんてない。ただ与えられた命令に従っていただけ。戦場の先に平和があるなんて、おとぎ話にもならない戯言だったよ」
何か言いかけたリーゼロッテを視線だけでルーカスは制する。
「帝国魔導騎士団、副団長リーゼロッテに命ずる。全軍を率いて
ルーカスがいつも纏っている温和な雰囲気は霧散していた。
かわりに鬼人呼ばれるに相応しい狂気じみた覇気がリーゼロッテの心臓を握り潰そうとする。
「全軍……どういう意味?」
「言葉通りだ。全ての兵を率いて撤退しろ」
「ルーカスは、どうするの?」
「さっき言っただろ、殿をするって。僕が全軍が撤退するまでの時間を稼ぐ。だから負傷兵を見捨てるような真似はするなよ」
「ルーカス、……死ぬつもりなの?」
リーゼロッテは泣きそうな顔で、ルーカスを睨む。彼は、ふっと表情を和らげる。
「……知らないのか? 帝国の鬼人は不死身らしいぞ。殺しても死なないんだとさ」
いつものルーカスの温和な空気と軽口。
リーゼロッテの大好きな彼の空気。彼女はわずかに紅差す頬を弛ませ、すぐに表情を引き締め、姿勢を正す。
ルーカスが嘘をついたことはない。連合軍を相手に彼が負けることはない。
そう彼女に確信させる。
「拝命、いたします。帝国魔導騎士団、副団長リーゼロッテ、現時刻より全軍撤退を開始します」
「よろしい。さあ、急げ。連合軍がここにたどり着くまで半刻もないぞ」
「ご武運を!」
「ああ、そちらもな。リーゼロッテ、皆を護り導いてやってくれ」
背を向けて小さくなるリーゼロッテの背中を見送り、ルーカスは、ふう、と小さく息を吐く。
「みんなを守るため、連合軍は僕が責任をもって退ける。ただ僕が帝国に帰る帰らないは、戦果に関係ない話なんだ。……リーゼロッテ、後を頼んだよ」
津波のように迫る大群を、ルーカスは静かに見つめる。
「束縛制禦術式『ティマイオス・クリティアス』――七番、六番、五番……開放」
ルーカスが淡々と呟いた瞬間、何かが弾ける。そして、彼から迸る魔力が大気を灼き、紫電を撒き散らす。
彼は興味なさそうに、持ち上げた右手を開閉する。
絶え間なく彼を縛り付けていた負荷が減り、消耗している今でも連合軍を塵芥に還すのは容易い。
「――続けて、四番、三番……開放」
ルーカスから放たれる膨大な魔力に大気が震えて、大地が哭く。
それは戦場から遠く離れたところに住んでいる獣はおろか魔物や魔獣までもが脅え、我先に逃げ出すほどだった。
トン、とルーカスは軽く地を蹴り、宙に舞う。
そして、大地を飲み干す勢いで迫る連合軍の進路に、一人降り立つ。
事前に服用した高揚剤で、恐怖を微塵も感じないはずの連合軍が、突然現れたルーカスの姿に追撃速度を緩める。
<やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは、帝国魔導騎士団、団長鬼人ルーカスなり! 死にたくなければ引き返せ! 黄泉の神々に拝謁したくば、鬼人に挑むがよい!>
ルーカスの名乗りは大気を震わせ、連合軍全体に響き渡る。
魔術を用いた音声拡散。ありふれた魔術だが、平原を覆い尽くす連合軍の全ての兵に声を轟かせるには、常人を超えた魔力と魔術制御が必要となる。
鬼人の力の一端に触れ、一部の兵士は先程までの万能感は一瞬で消え去り、心をへし折られる。
それでも、連合軍は進軍を止めることはない。
目の前の鬼人を倒して武勲を立てることに、色めき立ってしまい、制御が出来なくなっている。
軍隊として統率が出来なくとも、鬼人を畏れず、ただ帝国兵を蹂躙する群れにすること。
それが連合軍上層部が選んだ苦肉の策でもあったからだ。
鬼人に恐れ慄いてしまえばい、帝国兵に一方的に殺戮されてしまう。
それほどまでに帝国の鬼人の存在は強大だった。
「愚かな連中……いや、憐れな連中だな。棄てずに済む命も多くあっただろうに」
ルーカスは、そう呟くと愉悦に歪む顔を張り付けて、連合軍へ突撃していった。
この日を境に、帝国最強と恐れられた鬼人ルーカスの姿はなくなった。
☆☆☆
三日三晩続いたとされる帝国の鬼人と連合軍の戦い。
それは大陸史に類を見ないほど凄惨な光景を生み出した。
大地は連合軍の兵士の死体で埋め尽くされ、河川は朱く染め上がった。
蟠った死臭が空気を腐らせ、ありとあらゆる生命の営みを拒む死の大地へと変貌させた。
『鬼禍の大地が産み落とされた日』として、語り継がれることになった。
今でもアンデットとなった連合軍兵士を相手に、鬼が一人で戯れていると噂されている。
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