乾怪獣通り探偵事務所
デッドコピーたこはち
紅露葵 杏成
やはり、朝は喫茶店のコーヒーに限る。今年の頭にコーヒー豆の禁輸が解かれて、やっと市井にも本物のコーヒーが出回るようになった。一杯20円。けして安くはない。しかし、今回の仕事は骨が折れるものだった。このぐらいの褒美は許されるだろう。
窓から、通りを見る。
もう一口、コーヒーを飲む。酸味と苦みばかりではない、豊かなコクと芳醇な香りを感じる。培養ではない、混じりけのない本物のコーヒーを出すのは、ここら辺ではこの店だけだ。
美味いコーヒーに舌鼓を打っていると、突然、少女が向かいの席へどっかりと座った。
「ねえ、おっさん」
少女は言った。俺は店内を見回した。店内は空いている。他に座る席などいくらでもある。
「おっさん、ねえってば」
少女が続ける。俺は少女を観察してみた。歳は十歳に届かないくらいだろうか。良く日焼けしていて、顔はそばかすだらけ。着物を仕立て直したと思しきワンピースを着ている。身なりは良いわけでも悪いわけでもない。
「ねえ! 犬のおっさん!」
少女が大声を出す。店内にいる人間の視線がこちらに集まってくる。俺は、しぶしぶ少女に応じた。
「聞こえてる。こんなところで大声を出すな。迷惑になる」
「じゃあ、なんでさっさと応えないの?」
「俺はなあ、きのう都議の浮気調査っていう大仕事を終えたばかりで、ここには気分一新しに来たんだ。邪魔されたくない」
俺は一口コーヒーを飲んだ。やはり美味い。
「うへぇ、
「燃料と一緒にするな。美味いぞ。お子様の舌には合わないかもしれないが」
俺がもう一口コーヒーを飲むと、少女は信じがたいものを見る目を向けてきた。
「まあいいや。
少女は言った。
「なんで知ってる」
「新聞に広告出したでしょ。似顔絵付きで。けっこう似てるよ」
少女は懐からくしゃくしゃになった新聞の切り抜きを取り出した。そこには、『失せ人探し、浮気調査なら乾怪獣通り探偵事務所まで』の惹句と各種情報、犬の顔のような自分の似顔絵がかかれていた。
「俺が描いたんじゃない。知り合いの美大生に描いてもらったんだ。牛飯大盛りを三回奢って」
「ふーん。ねえ、おっさんって、なんで犬の顔してるの?」
「おっさんって言うな。お兄さんと言え、百歩譲って、おじさんと言え。この顔はなあ、おじさんがお国に尽くした証拠なんだよ。怪人兵士って聞いたことないか?」
少女はそれを聞いて、首を傾げた。かつて、怪人兵士は『我が国が誇る遺伝子組み換え技術によって生まれた究極の兵士!』と大々的に喧伝されていた。だから、少女も知っているかと思ったが、そうでもないようだ。
「うーん、知らない。鼻は利くの?」
「よく利くとも。だから探偵をやってるんだ」
俺がそう言うと、少女はなにを気に入ったのか、満面の笑みを浮かべた。
「それでさ、わたし、探して欲しい人が居るんだけど」
「小遣いで俺に依頼はできないぞ。正式な依頼なら、ご両親を通してくれ」
「そう、両親! 私の両親を探して欲しいんだよ」
少女は真剣な面持ちで言った。
「なに?」
「お父さんがね、巨人と怪獣が戦ったあの日に、橋の下まで連れてきてくれて『アンナ、ここにいて動くなよ。お父ちゃんはお母ちゃんを連れてくるからな。お父ちゃんとお母ちゃんが帰ってくるまで、絶対ここに居るんだぞ』って言って、帰って来なかったんだよ」
少女はそう言いながら、涙を浮かべはじめた。
「ずっと、ずっと待ってたのに、帰ってこなかったんだ。だからわたし……」
少女はぼろぼろと泣き出した。俺はポケットからハンカチを取り出して、少女に差し出した。少女はハンカチで涙を拭い、鼻水をかんだ。
巨人と怪獣が戦ったといえば、帝都大襲撃のことだろう。連合軍が投下した巨人兵器を、帝都守護の任を受けた怪獣ゴ号が迎え撃ったのだ。巨大生体兵器同士の戦いの結果は相打ちに終わり、帝都の四割が焦土と化した。
「私の持ってるお金をぜんぶあげる。だから、私のお父さんとお母さんを探して……」
少女はきんちゃく袋を俺に渡した。きんちゃく袋の中には、18円とおはじきが三枚入っていた。俺はそれを見て、思わず腕を組んだ。
先の
戦争の傷跡癒えぬこの街では、誰もが誰かを探している。
「お前、名前はなんて言うんだ」
「こうろぎあんな」
「漢字は?」
「杏が成るって書いて
少女……いや、杏成は言った。
「漢字の画数が多かったのか?」
「うん……」
杏成はうなだれた。俺は、もう一口コーヒーを飲んだ。すっかり、ぬるくなってしまっている。
俺は胸ポケットから万年筆を取り出した。
「いいか、俺の知る限りだと、こうろぎって読む苗字は二つだけだ、
俺は新聞の切り抜きに漢字を書きながら説明した。杏成が切り抜きを覗き込む。難しい漢字は読めないかもしれないが、きっと雰囲気は伝わるはずだ。
「紅露葵ってのは、染物に使う植物のことだ。普通の葵から採れる染料は青いが、紅露葵から採れる染料は真っ赤だ。紅露葵が生えるのは、
「ホントに!?」
杏成は顔をほころばせた。
「だが、ひとつだけ言っておく、両親は生きているとは限らないし、他の街に行ってしまったかもしれない。そうなれば、見つけるのはかなり困難だ。残念だが、そこまでは付き合えない。俺にも生活があるからな。わかったか?」
俺は杏成の瞳をじっと見つめた。杏成はゆっくりと頷いた。
杏成の両親はすぐに見つかった。結局、俺がやったのは、各所に電話を掛けて、
俺は杏成を連れて、
杏成は寺に入ってから出るまで、一言も発しなかった。ときどき、嗚咽を漏らし、俺の手を強く握った。
杏成を孤児院まで送っていくと、日はすっかり傾いていた。
「ありがとう。おじちゃん……」
杏成は呟くように言った。そして、懐からきんちゃく袋を取り出した。さっきのとは色が違うようだ。
「これ、成功報酬」
きんちゃく袋の中には、6円と糸くずが入っていた。
「さっきので全部って言ってなかったか?」
「ううん、あれで全部とは言ってないよ。これで全部」
「……なんというか、最近の子どもはしっかりしてるな……」
俺は6円を受け取った。
「まあ、なんにしろ、これでコーヒーがもう一杯飲める。じゃあな、杏成。達者でな」
俺はそう言って、その場を去ろうとした。杏成が袖を掴んで、ぐいと引き留めてくる。
「お金、足りなかったでしょ。大きくなったら、絶対足りない分を払うから」
杏成は俺の目をじっと見て言った。俺はそれを見て、笑った。
「ふっ、楽しみにしてるぜ」
俺は杏成の頭をぐしぐしと撫で、手を振って、その場を後にした。杏成はすくなくとも俺の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
ポケットに入れたままの20円をいじりながら帰路につく。真っ赤に染まった夕日が、今日に限ってどういう訳か、妙に目が染みた。
乾怪獣通り探偵事務所 デッドコピーたこはち @mizutako8
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