乾怪獣通り探偵事務所

デッドコピーたこはち

紅露葵 杏成

 やはり、朝は喫茶店のコーヒーに限る。今年の頭にコーヒー豆の禁輸が解かれて、やっと市井にも本物のコーヒーが出回るようになった。一杯20円。けして安くはない。しかし、今回の仕事は骨が折れるものだった。このぐらいの褒美は許されるだろう。

 窓から、通りを見る。怪獣通かいじゅうどおりは、朝からせわしない。仕事へ向かう会社員やら、制服姿の学生やら、スイソウリを運ぶ業者やらが行き来している。すこし、視線を上げれば、怪獣の頭蓋骨がいつもと変わらずに建物の上へ聳えている。今日もいつもと変わらない月曜日だ。

 もう一口、コーヒーを飲む。酸味と苦みばかりではない、豊かなコクと芳醇な香りを感じる。培養ではない、混じりけのない本物のコーヒーを出すのは、ここら辺ではこの店だけだ。

 美味いコーヒーに舌鼓を打っていると、突然、少女が向かいの席へどっかりと座った。

「ねえ、おっさん」

 少女は言った。俺は店内を見回した。店内は空いている。他に座る席などいくらでもある。

「おっさん、ねえってば」

 少女が続ける。俺は少女を観察してみた。歳は十歳に届かないくらいだろうか。良く日焼けしていて、顔はそばかすだらけ。着物を仕立て直したと思しきワンピースを着ている。身なりは良いわけでも悪いわけでもない。

「ねえ! 犬のおっさん!」

 少女が大声を出す。店内にいる人間の視線がこちらに集まってくる。俺は、しぶしぶ少女に応じた。

「聞こえてる。こんなところで大声を出すな。迷惑になる」

「じゃあ、なんでさっさと応えないの?」

「俺はなあ、きのう都議の浮気調査っていう大仕事を終えたばかりで、ここには気分一新しに来たんだ。邪魔されたくない」

 俺は一口コーヒーを飲んだ。やはり美味い。

「うへぇ、器介きかいが飲む、重糖液じゅうとうえきみたい。美味しいの?」

「燃料と一緒にするな。美味いぞ。お子様の舌には合わないかもしれないが」

 俺がもう一口コーヒーを飲むと、少女は信じがたいものを見る目を向けてきた。

「まあいいや。いぬい醸造じょうぞう、あんた探偵なんでしょ」

 少女は言った。

「なんで知ってる」

「新聞に広告出したでしょ。似顔絵付きで。けっこう似てるよ」

 少女は懐からくしゃくしゃになった新聞の切り抜きを取り出した。そこには、『失せ人探し、浮気調査なら乾怪獣通り探偵事務所まで』の惹句と各種情報、犬の顔のような自分の似顔絵がかかれていた。

「俺が描いたんじゃない。知り合いの美大生に描いてもらったんだ。牛飯大盛りを三回奢って」

「ふーん。ねえ、おっさんって、なんで犬の顔してるの?」

「おっさんって言うな。お兄さんと言え、百歩譲って、おじさんと言え。この顔はなあ、おじさんがお国に尽くした証拠なんだよ。怪人兵士って聞いたことないか?」

 少女はそれを聞いて、首を傾げた。かつて、怪人兵士は『我が国が誇る遺伝子組み換え技術によって生まれた究極の兵士!』と大々的に喧伝されていた。だから、少女も知っているかと思ったが、そうでもないようだ。

「うーん、知らない。鼻は利くの?」

「よく利くとも。だから探偵をやってるんだ」

 俺がそう言うと、少女はなにを気に入ったのか、満面の笑みを浮かべた。

「それでさ、わたし、探して欲しい人が居るんだけど」

「小遣いで俺に依頼はできないぞ。正式な依頼なら、ご両親を通してくれ」

「そう、両親! 私の両親を探して欲しいんだよ」

 少女は真剣な面持ちで言った。

「なに?」

「お父さんがね、巨人と怪獣が戦ったあの日に、橋の下まで連れてきてくれて『アンナ、ここにいて動くなよ。お父ちゃんはお母ちゃんを連れてくるからな。お父ちゃんとお母ちゃんが帰ってくるまで、絶対ここに居るんだぞ』って言って、帰って来なかったんだよ」

 少女はそう言いながら、涙を浮かべはじめた。

「ずっと、ずっと待ってたのに、帰ってこなかったんだ。だからわたし……」

 少女はぼろぼろと泣き出した。俺はポケットからハンカチを取り出して、少女に差し出した。少女はハンカチで涙を拭い、鼻水をかんだ。

 巨人と怪獣が戦ったといえば、帝都大襲撃のことだろう。連合軍が投下した巨人兵器を、帝都守護の任を受けた怪獣ゴ号が迎え撃ったのだ。巨大生体兵器同士の戦いの結果は相打ちに終わり、帝都の四割が焦土と化した。

「私の持ってるお金をぜんぶあげる。だから、私のお父さんとお母さんを探して……」

 少女はきんちゃく袋を俺に渡した。きんちゃく袋の中には、18円とおはじきが三枚入っていた。俺はそれを見て、思わず腕を組んだ。

 先のかん大鉾洋だいむよう戦争せんそう終結からいまだ五年、戦争孤児など珍しくもない。少女は孤児院を抜け出してきたのだろう。新聞の切り抜きだけを頼りに。

 戦争の傷跡癒えぬこの街では、誰もが誰かを探している。

「お前、名前はなんて言うんだ」

「こうろぎあんな」

「漢字は?」

「杏が成るって書いて杏成あんな、上の名前は……わかんない」

 少女……いや、杏成は言った。

「漢字の画数が多かったのか?」

「うん……」

 杏成はうなだれた。俺は、もう一口コーヒーを飲んだ。すっかり、ぬるくなってしまっている。

 俺は胸ポケットから万年筆を取り出した。

「いいか、俺の知る限りだと、こうろぎって読む苗字は二つだけだ、福山ふくやま県に多い香炉木こうろぎと、あともう一つは珍しい……紅露葵こうろぎだ」

 俺は新聞の切り抜きに漢字を書きながら説明した。杏成が切り抜きを覗き込む。難しい漢字は読めないかもしれないが、きっと雰囲気は伝わるはずだ。

「紅露葵ってのは、染物に使う植物のことだ。普通の葵から採れる染料は青いが、紅露葵から採れる染料は真っ赤だ。紅露葵が生えるのは、痣木あざぎ大太郎坊だいだらぼう半島の一部の地域だけ。お前のご先祖様はそこから来たんだろうな……ああ、ええと、つまり、端的に言うと、お前の苗字はここら辺だとかなり珍しい。紅露葵の姓を持つ人間がこの街に居れば、俺ならすぐに見つけられる」

「ホントに!?」

 杏成は顔をほころばせた。

「だが、ひとつだけ言っておく、両親は生きているとは限らないし、他の街に行ってしまったかもしれない。そうなれば、見つけるのはかなり困難だ。残念だが、そこまでは付き合えない。俺にも生活があるからな。わかったか?」

 俺は杏成の瞳をじっと見つめた。杏成はゆっくりと頷いた。


 杏成の両親はすぐに見つかった。結局、俺がやったのは、各所に電話を掛けて、紅露葵こうろぎ姓を持つ人間について問い合わせることだけだった。電話代が4円掛かったが、それだけだ。

 俺は杏成を連れて、蝋弦坂ろうげんざかを登って行った。坂の上にある辻を曲がると、大きな寺があった。寺の一角にはひときわ大きい地蔵が立っている。その下には、帝都大襲撃の被害者の遺骨が埋葬されているのだ。

 杏成は寺に入ってから出るまで、一言も発しなかった。ときどき、嗚咽を漏らし、俺の手を強く握った。


 杏成を孤児院まで送っていくと、日はすっかり傾いていた。

「ありがとう。おじちゃん……」

 杏成は呟くように言った。そして、懐からきんちゃく袋を取り出した。さっきのとは色が違うようだ。

「これ、成功報酬」

 きんちゃく袋の中には、6円と糸くずが入っていた。

「さっきので全部って言ってなかったか?」

「ううん、あれで全部とは言ってないよ。これで全部」

「……なんというか、最近の子どもはしっかりしてるな……」

 俺は6円を受け取った。

「まあ、なんにしろ、これでコーヒーがもう一杯飲める。じゃあな、杏成。達者でな」

 俺はそう言って、その場を去ろうとした。杏成が袖を掴んで、ぐいと引き留めてくる。

「お金、足りなかったでしょ。大きくなったら、絶対足りない分を払うから」

 杏成は俺の目をじっと見て言った。俺はそれを見て、笑った。

「ふっ、楽しみにしてるぜ」

 俺は杏成の頭をぐしぐしと撫で、手を振って、その場を後にした。杏成はすくなくとも俺の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。


 ポケットに入れたままの20円をいじりながら帰路につく。真っ赤に染まった夕日が、今日に限ってどういう訳か、妙に目が染みた。

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