第二話 理解
「——篠山が居眠りなんて珍しいなー」
席の横で僕の肩を揺すり、起こそうとする天崎の姿がうっすらと見える。
どうやら考えている間に眠っていたらしい。
窓の方を見るとすっかり夕焼け模様になっていて六限も終わってしまっていたのが伺える。
マジか、と思いつつ重い上半身を起こす。
「……今何時?」
「今は、五時半だな」
「五時半……?!」
「俺も驚いたぞ。先生に呼び出されて帰ってきてもまだ寝てんだから」
時間を聞き寝ぼけていた頭が一気に冷め、誰もいなくなった教室を見渡し天崎の方に向き直す。
「マジか!」
「あぁ、マジだぞ」
事の重大さに周りの様子を見て再確認した篠山はロッカーに突っ込まれているリュックを取り出し教科書を詰め込む。
天崎がそこまで焦らなくても、と言っているが一人暮らしの身では一時間の寝過ごしは大事件なのだ。
僕は天崎に起こしてもらった礼を一言告げて、廊下を走り抜ける。
「……あっ」
左に曲がり階段に出た所で忘れようとしていた人物——牧羽明音に出会した。
彼女は僕にぶつかって、足がもつれたのか階段下に吸い込まれるように落ちようとしている。
その瞬間だけスローモーションのように時が進んでいくような幻覚に陥り、僕は咄嗟に彼女の手を掴む。
後少しで彼女は死んでいたかもしれないそんな不安から手を握ったまま呆然としているとキョトンとした表情でうっすら濡れた唇を開く。
「ありがとうございます。えっと」
名前が分からず篠山の顔を見て思い出そうとして困っている。
先程まで死んでしまう可能性があったとは思わないほど彼女は平然としている。
「僕は篠山です」
「あ〜、篠山君ですね。あの教室の時に私の絵を見てくれなかった……」
「あ、あれは!」
「冗談ですよ?そんなふうには思っていませんし、あれはひどいことをしたな〜と思いますし」
あの時とはまるで違う元気の良さが明らかに元気を搾り出している感じがする。
(このまま帰ったら……あれだよな)
ただの罪悪感から出てきた思いだった。
気が付けば僕は強引に彼女の手を引っ張って三階のあの場所に向かっていた。
関わって良いことなんて何も無いが少しでも彼女のために何かしてあげたかった。
ほとんどの人が下校して静寂に包まれた廊下を駆け抜ける。
その途中で天崎の横を通り過ぎた気がしたがそんなことに構っていられる程の余裕はすでになかった。
はぁ、と慣れない運動をしたため肺が空気を求めて激しく呼吸する。
それでも止まらず、数時間前に居た空き教室にたどり着く。
「ど、どうしてここに……?」
彼女は警戒心を抱きつつ僕に聞いてくる。
「……あの時は言えなかったから……」
「さっき冗談だって言いましたよ!」
「知ってる。でもちょっと後悔したんだ。あの時言っておけば良かったんじゃ無いかって」
「……言ったら後悔しますよ。気付いていたから何も言わなかったんですよね?」
彼女の言葉が矢のように突き刺さる。
だが、このまま引き下がる訳にもいかなかった。
「確かにそうだよ。でも今気付いた……言わない方が後悔するって」
「えっ?」
彼女が何か言う前に僕はキャンパスに覆いかぶさっていた布を取り、描かれていた絵の全体像を見る。
そこには剣を携えた女性が描かれていた。
巷でよく言うキャラクターイラストというものだろうか。
まだ色の塗られていないそのキャラクターの下にはアネモネと書かれていた。
「……アネモネ?」
「アネモネです。その子の名前は。花言葉は知っていますか?」
「えっと確か、あなたを信じて待つだっけ?」
「それもありますがそっちじゃなくて『期待』の方です」
彼女の言っている意味が分からず僕は首を傾げる。
期待……このキャラクターに期待しているというそのままの意味では無い気がする。
「私はもう絵を描きません。だからこれを見た誰かに——篠山君に私の夢を継いでほしいという期待からこの子を描きました」
「え?」
間の抜けた声が出てしまった。
ただこれはしょうがない気がする。彼女の口からどれほど壮大な事情が語られると思ったらこんな突拍子なことを言われたのだから。
大体、僕は絵を描いたことはあまり無い。
まして彼女のように上手なわけでも無いのに夢を託しますはちょっと無理がある。
「だから!夢を——」
「そこは聞いた。僕が気になるのはそこに至った理由だ」
「それはもちろん篠山君が絵を描くからです」
「いや、ほとんど描いたこと無いぞ」
「いえ、そんなはずは……あれ?」
どうやら彼女の記憶違いだと気付いたのか青ざめた顔で僕に頭を下げている。
そんな中で僕は本日何度目になるか分からないため息を吐いた。
何故か空き教室に居た美少女に泣かれた件 結城きなこ @yukikinako
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