ゴッドファーザーズ.JacKal -ジャッカル‐

ヤクメカガリ

第1話 一族の名

「私の娘は今月で二十歳を迎えるハズでした」


 男の声に応えるかのように机に置かれたオイルランプの焔が煌めく。その淡い焔がこの部屋で唯一の灯だった。

 薄暗い部屋には三つの人影がランプの火に照らされ揺れている。一つは肥え太った男の影。彼が身に着けているスーツはその豊満な体によって隆々と盛り上がっていた。彼の名はラジニア・エレファス。市街で宝石商を営む男である。

 ラジニアは大粒の涙を流し、目の前に座るこの部屋の主に首を垂れながら言う。


「いつも花のように美しい笑顔を私にみせてくれた娘です。その娘が去年の十一月に、——夜道で男に襲われました」


 ラジニアは怒りと嘆きで声を震わせながら、ふり絞るように言葉を紡ぐ。


「近くを巡回していた警官が駆け付けた時には、娘は全てを奪われた後でした。そう全てです、カルレモーネさん。貞操もあの美しい笑顔も身に着けていたものも全部……、凍える夜の寒空の下で、娘は裸も同然の姿で無残にも路地に打ち捨てられていたのです。私の最愛の娘が!」


 男の甲高い絶叫が部屋に置かれた調度類を震わせた。


「ラジニアさん」


 そう静かに呼びかけ、人影の一つがラジニアに酒の入ったコップを差し出す。銀灰色の髪を短く結った初老の男だ。彼が身に着ける細フレームの眼鏡が部屋の暗がりの中で冷たく光る。


「……すみません、取り乱してしまい……」


 ラジニアは男からコップを受け取り、短く口をつける。


「……娘が担ぎ込まれた病院で目を覚ましたのはその3日後でした。起き上がるなり半狂乱に暴れまわった娘は私に向かって言ったのです。『殺してくれ』と。汚された身を引きずって生きていくのが耐えられない、と……。愛する娘に殺してくれと懇願された親の気持ちがわかるでしょうか?」


 ラジニアは落ちる涙を拭うことも忘れ、指の色を失うほど強くコップを握りしめた。


「絶望とは、このことなのだと私は思いました。そして一か月後、……娘は看護師の目を盗み、病院の屋上から……飛び降りたのです、嗚呼……」


 ラジニアは祈るようにきつく目を閉じ、苦悶の声をあげる。


「……娘を、リイアを襲った暴漢は間もなく捕まりました。調べてみれば常習的に犯罪を繰り返していた屑でしたよ。ただ…ヤツは子供だったんです。当時17歳の。そして最悪なことに議員の息子だった。判決には当然のように執行猶予がつきました。法廷で泣き止むことのない妻を支えながら怒りが……臓腑が煮え返るような憎しみが身体を駆け巡ったのを今でも忘れません。 娘を死に追いやった犯人が刑務所に入ることもなく今も悠然と街中を歩いているのです。これほど耐え難い苦しみはありますまい。だから私は決心したのです。すべてを賭けてでもあの糞餓鬼を嬲り殺そう、と。かわいそうな我が娘の死に報いるために! だからーー」


 ラジニアは椅子から降り、床へ跪く。そして目の前のソファに深く沈みこんで座るこの部屋の主に縋りつくように訴えた。


「お願いします、ドン・カルレモーネ。……いえ、我がゴッドファーザー」

 

 体を震わせ嗚咽を飲み込みながら、ラジニアは燃え盛るような怨気に浸された願いを紡いだ。


「私の娘を、リイアを辱め死に追いやったあの汚らしい餓鬼を殺す手助けをしてください」


 その言葉を最後に静寂が訪れた。三人の息遣いだけが部屋に満ちる。

 やがてラジニアの話を今まで目を瞑りながら静かに聞いていた者——、ゴッドファーザーと呼ばれるこの部屋の主は大きく息を吐きその瞳を見開く。そして長い沈黙を破り言った。


 「友よ。その境遇、心の底から同情する」


 重く粛々と憐憫に満ちたその言葉は、しかし…、相応しからぬ少女のように澄み渡った声音をしていた。


 声の主、それは紅色のスリーピーススーツを羽織る、〝ティーンエイジャー〟の少女。腰まで伸びる黄金の長髪とブルーの瞳を妖艶に輝かせながら、彼女は四十は離れているであろう歳のラジニアを跪かせ、ただただ昂然と君臨していた。

 その少女は誰もが息を飲むような美貌を誇っていた。肢体は豊かに発育し、幼い顔立ちながら蠱惑的な印象を残す。ただその双眸には少女とはとても思えぬ揺るぎない鋼鉄の意志と、怜悧さが宿った輝きが煌々と灯っていた。彼女の右頬に残る縦に裂いたような古い傷跡もまた、彼女がただの生馴れの少女ではないことを物語っている。

 合衆国における四大マフィア組織の一角、カルレモーネファミリーの頂点立つドン、「ビトー・カルレモーネ」。それがこの少女の名である。

 

「無念であっただろう。今ここで私からも君の娘へ祈りを捧げさせてくれ」

 

 ドンは黙祷し、胸の上で十字を切る。


「嗚呼、ありがとうございますゴットファーザー! 娘にとってこれほどの慰めはありません!」


 ドンの言葉にラジニアは床に跪いたまま、首を垂れ感激に身を打ち震わせた。


「私も君と同じく家族を持つ身だ。巨大な家族をな。身内が消える悲しみはよくわかるとも。あれにはいつだって慣れることはない」

「貴方はなんと慈悲深い方なのか……! ともすれば、私の願いを聞き受けてくださいますか?」

「友よ、それはできぬな」

 

少女はゆっくりと首を振りながら答えた。


「で、できない…? そんな…! それは何故ですか?」

「まず君に一つ訂正してもらうべきことがあるのだ。それは我らファミリーは決して人殺しの犯罪組織ではないということだよ、ラジニア。勘違いしては困る」

「ああ、と、とんでもない! 決してそういう意味でお願いしたわけではないのです! ひ、非礼をお詫びさせてください。」


 狼狽するラジニアを静かに手で制し、ドン・カルレモーネは言葉を続ける。


「理解してもらえればいいのだ。確かに我ら家族は、時によってそういう〝手段〟を用いる場合がある。しかし、それは大儀あるビジネスの上での話だ。そもそもおいそれと振り回してはならない冴えない手であるのだよ。殺しとは。それを理解して貰ったうえで、改めて私から提案しよう、友よ」


 少女は薄い笑みを称えつつ静やかな声音で言った。


「君はそれほどまでに深く憎悪する愛娘の仇を、たかだか安っぽい命を奪う程度で片づけて構わないのかね?」

「え…?」


 ドンの言葉にラジニアは不意を突かれたように目を瞬かせた。


「そう、私ならば例えば」


 ドン・カルレモーネは冷淡なる瞳に仄かな愉悦を帯びながらラジニアに語りかける。


「形を失うまで顔を殴りつけよう。眼球を引きずりだし魚に食わせよう。皮膚を剥いで露になった肉を火で炙ろう。睾丸をゆっくり時間をかけて蹴り潰そう。爪を一枚ずつ剥いだ後に四肢を砕こう。ドブネズミをけしかけて腹を食わせよう。少しずつ、少しずつ糸ノコで体を切り刻もう。すべては生きたまま、死なないように……死ねないようにな」

「ド、ドン・カルレモーネ…」


 少女の凄惨な言葉にラジニアは思わず息を飲んだ。


「人間に最も苦しみを与える手段とは決して『殺し』ではない。それは死にながら生かされることなのだ、ラジニア」


 少女は酷薄な笑みを浮かべる。頬に刻まれた傷跡スカーが禍々しく歪んだ。


 「約束しよう。我らファミリーが、その小僧から死以外の全てを奪い去ることを。これが私が君と、君の娘へ送ることができるせめてもの慰めだ」


 そう言って少女は紅いルビーがはめ込まれた指輪をつけた右手指をラジニアの眼前にかざす。


「お、おお…ゴッドファーザー。あ、貴方がそうおっしゃるなら……どうか、その通りに……」


 裏社会の主たる者の狂気を目の当たりにした哀れなラジニア。彼は恐怖に慄き、促されるままその指に恭しく口づけする他なかったのである。

 


                   〇



 ラジニアが震える足でカルレモーネの邸宅から立ち去って間もなく。

 先ほど三人が会談した部屋の中で、ドン・カルレモーネは短く息を吐いて呟いた。


「ラジニアの件の小僧、やはり第四区で【JK】ドラッグを無断で売りさばいていた売人であることは間違いなさそうだな、トルマーゾ」


 名を呼ばれた初老の男が答える。


「僥倖と言いましょうか。あらかじめ目をつけていたハイエナが偶々、あの宝石商の主人と関わっていたとは」

「この仕事はルチアノに任せろ。あの子のことだ、抜かりなく済ませるだろう」

「わかりました。……あと今日は…」

「ああ、知っている。いつも通り頼む」

「はい。左腕を失礼致します、ドン」


 トルマーゾはドンの上着を脱がせる。そしてソファに座るドンの傍に跪いてシャツの袖を捲った。胸ポケットからジャッカル を模した緻密な装飾が施されている純銀製のケースを取り出して開くと、中から小さな注射器を引き抜く。それをドンの陶磁器の如き白く美しい手首に浮かぶ血管に差し込んだ。


「んっ…」


 ドンは短く艶やかな嬌声をあげた。注射液に含まれる【JK】には、短時間ながら神経を興奮させる特性がある。このドラッグの数少ない副作用の一つである。

 正式名称は【JacKalジャッカル】。身体を一時的にティーンエンジャーの少女へと転換させる驚異の薬物。【JK】はカルレモーネファミリー含めこの国の四大マフィアがこぞって売りさばく組織内最大の商品でもある。

 【JK】が犯罪組織に莫大な利益をもたらしたこの時代。それが後に合衆国を混乱と暗雲の渦に落とし入れることに繋がるとは未だこの時は誰も知らない。


「……ふう、生き返る」


 【JK】の摂取を終えたドンは気持ちよさげに大きく伸びをした。肌の艶も先ほどに増して磨きがかったようである。リラックスしたドンはシャツのボタンもいくらか外し、ラフな格好でソファにもたれて寛ぎ始める。胸元を大きく開けたせいで際どいラインを見せびらかすように晒すドンの姿を見たトルマーゾは慌てて視線を明後日の方角へ逸らした。


「ありがとうトルマーゾ。せっかくだ、今晩は君も一つやってみないか?」


 ドンはラジニアと話していた時とは打って変わり、茶目っ気のある快活とした声で言った。まるで容姿相応の少女の様である。彼にとってそれは特別な対応でもなく、家族ファミリーに向ける普段通りの気さくな姿勢であった。


「お断りさせていただきます。私は仕事が立て込んでる際にしか【JK】はやらないと決めているので」

「ふふ。堅物なやつだ。君の【JK】は可愛くてたまらないのにもったいない」

「御冗談を」


 と言いながらトルマーゾはややその頬を朱に染める。


「ドンもあまり【JK】にご執心してもらっては業務に差し支えますよ」

「私はこれでも弁えているつもりだがね」

「嘘を仰らないでください。ゴッド〝ファーザー〟の名が泣きます」

「心配いらないよトルマーゾ」


 この国の暗黒街に身を置く重鎮にして、「スカーフェイス」の異名で恐れられる裏社会の首領とは思えぬ可憐なウインクを添えてドン・カルレモーネは堂々と答えた。


「私はいつだっておまえたちのゴッドファーザーだ。故郷の大地とカルレモーネ一族の名にかけてな」




                 〇



 改めて語ろう。  

 彼女、いや〝彼〟の名は「ビトー・カルレモーネ」。

 後に四大ファミリーの首領の中でも最も荒々しく、最も残虐な方法で仇なすものに制裁を行ったドンとして永きに渡り語り継がれることとなる最悪の「女帝」である。


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