第25話 神様のこと
やまとうたは、人の心を種として、万(ヨロヅ)の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
古今和歌集より
神様のこと
我が家の裏には小さな池があり、弁天様が祀られている。その祠がいつからあるのか、どんな由来でここに来たのか誰も知らない。
裏にはアパートがあり、いくばくかの収入を得ていた。
一階の角部屋に耳が不自由な夫婦が住んでいる。その夫婦が朝早く、ひどく興奮してやって来た。身振り手振りで話すのを、何とか理解しようと母と長男が対応していた。
深夜に低い腹に響く音が聞こえた。窓を開けて外を見ると、髪の長い美しい女性が、庭石に座って、琵琶を弾いていた。と言うことらしい。
「音が聴こえたの?」
不思議なことに、直接耳で聴いた、どうしてだと、逆に質問される。
立ち聞きしていた私は、ふっと子供たちが騒いでいたのを思い出した。昨日の夕方、2階で勉強していた時だ、あまりにもうるさいので、窓を開けて子供たちに『静かにしなさい!』と注意した。
ちょうど弁天様の祠のあたりだ。
「それなら、子供たちがいたずらしたんだ」
母と兄が裏庭を歩きまわっていた。
夕食の時に、祠から『お魂』と呼ぶ直径5㎝程度の小石がなくなっていると話していた。石は見つからなかった。
その晩、私にも琵琶らしき音が聴こえてきた。庭石に座って弾いている。今夜は満月だ。おそらく白か、淡い色の衣姿だ。弁当様って、実在したのか。このような神秘的な光景をすぐに受け入れてしまう自分も不思議に感じた。
窓が開き、あの夫婦が眺めている。
旋律は悲しげで、胸が潰されそうだ。
神様だか、仏様だか、弁天様を初めて見た。
翌日、兄は神主を呼んだ、すると、あっさり庭木の下で玉石を見つけた。指示されるまま、祝詞を上げてもらい、魂を納めた。
これまで、なんの祠も気にかけていなかった。先祖はきっと大切にしていたが、願掛けのために作ったのか、謂れは一切わからない。
神主さんというのは、本当に神秘的ななにかを授かっているのか? 世の中は、神秘に満ちていると知った。日本の昔話は、まんざら嘘ではない。
神様がいるとなれば、神主が言う通り、月に一度は近所の子供たちに、菓子を配ったり、宴席を開いている。父親はおろそかにしていたことを悔やんだ。毎朝、自主的に御神酒を供えている。
耳が聞こえない夫婦は、わずかだが、自然の音が聞こえるようになったらしい、朝から鳥の囀りがうるさいとか、池の水音が聞こえると言う。
「そう言えば、関東大震災のときに、婆様が懐にお魂を入れて、竹藪に避難したんだ」
父親は7歳の時の記憶を思い出した。
「洪水があった時に、弁天様の祠を作ったと、言っていた」
ついでに、家に祠を作った由来もかすかに記憶していた。あの日を境に、年末、年始と家中の神様を探し出して、大切にしている。
私が神様の事を文章に書くようになったのは、それからだ。古事記や日本書紀も身近に感じる。よの中には、見えないものが多く存在していて、不思議な話は尽きる事がない。
東京奇譚 1 校了
東京奇譚 きしべの あざみ @sainz
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