第3話
「ろっか〜、もう一杯入れてくれ〜」
バーカウンターの向こう側で、白髪混じりの初老の男が顔を天板に突っ伏しながら震える声で注文を伝えてくる。その頭を隣に座る眼鏡の男が軽くはたく。
「おい、ロッカに迷惑にかけるなよ」
「味もわからないような状態の客に出せる酒は買ってない、水でも飲んでなさい」
間違いなく30歳以上は年上であろう大人に向けて子供をあやすような口調で話しかけるのは少しむず痒いところもあるが、母のいた頃も含め四年目ともなればある程度適当な振る舞いも身につくものだ。そのせいで同い年どころか年上なはずのイーリやシュレに、まるで母親扱いされているのは癪に障るのだが。
初老の男は何を思ったか急に顔をあげ、高らかに声をあげた。
「俺はまだ飲めるぅ! 男の晴れ姿、その目に焼き付けな!」
「ほらちゃんと水飲みなさい、あんたの胃の中身はもう見飽きたわ」
私に2度もいなされたのが効いたのか、初老の男は再びがっくりと項垂れ、終いには寝息を立て始めた。そんな茶番めいた様子に、私や隣席の眼鏡のみならず、酒場の客全員が笑う。微笑みというよりは嘲笑に近い表情であるが、それはおおよそ自嘲に近いものだった。
この酒場に集っている客は彼と相違ない、うだつの上がらない連中ばかりだ。女に騙され借金を背負った中年や、二十歳を越えても実家の片隅に住み着いているろくでなし、会社を起こしては一年もたず倒産を繰り返す夢見人。
「おいおい、おっさんたちは明日も一日重労働なんだろ?」
「早く帰って寝たほうがいいよ、もう若くねえんだし」
「何を言う、親のスネを齧ってるお前らに体力の心配されてたまるか!」
気怠げながらわずかに活気づいた酔っ払いども。夜な夜な情けない馬鹿騒ぎを繰り広げるウチの常連様はほぼ全員が母がいた時代からの付き合いである。程度を知らないお人好しだった彼女の呑気さが、くたびれた彼らを引きつけたのだろうか。
「一緒よ一緒、店の中で大騒ぎしてる酔っ払いなんざ厄介以外の何者でもない」
「ま、俺たち独り身にとっちゃここが我が家みたいなもんだからなあ」
「私の家だっつーの お前らが騒ぐせいで、新規客が一人も入ってこないのよ」
眼鏡の男はあっはっはと笑うと、グラスを持ち上げ底に溜まっていたウィスキーを飲み干した。
「ここにいる奴らはお互いに家族みたいなもんなんだよ
もし俺が明日死んだって、ここにいる奴ら以外は気付きもしねえだろうからな」
「⋯⋯かもね」
「自分で言っといてなんだけど、素直に肯定されると普通に傷つくんだよな
苦笑いをこぼした眼鏡を他所に、私もグラスを手に取り傾けた。中身はカクテルを模したミックスジュースで、もちろんアルコールは入っていない。だが、同じ空間でグラスを揺らしながら夜を共にすると、心が溶け合うような一体感に包まれる。毎日のようにそんな夜を過ごしていれば、もはや家族同然と感じてしまうのもしょうがないだろう。
「ここにいるみんなが、私の家族⋯⋯」
そんな甘い言葉を誰にも聞かれぬよう口の中で呟く。悪い気はしない。だが、もやのような違和感は拭いきれない。
私が知っている唯一の肉親は母親だけであり、その母親がこの世界に残したものはこの店と私自身の二つだけ。だからこそ、私はこの店を継ぐことを決めた。
自分に嘘はつかない。彼女が亡くなった夜に私はそう誓った。
だからここにいる。そして、テロリストになった。
「おっつかれー、ロッカ」
酒場から全ての酔っ払いを追払い閉店作業を終え地下の自室に戻ると、金髪の同居人が私を出迎えた。ベッドの上でゴロゴロしながら私を一瞥するイーリの姿は、まるで彼女がこの部屋の主人であるかのように堂々とした佇まいだった。
「まだ起きてたんだ、待っててくれたの? それともお腹すいた?」
「んー、両方」
「そう思って二人分持ってきたわよ、ちゃんと座って食べなさい」
んー、と気の抜けた声で返事をしながら、イーリがすごすごとベッドから降りる。それを横目に私はお盆をテーブルに置き、装飾のない木の椅子に腰かけた。
「ほら、しゃきっとしなさい あんた今日一日中寝てたんでしょ」
「ずっと寝てたわけじゃないよ、ちゃんと瞑想してた」
「どう違うのよ⋯⋯」
向かい側の席に座り、微笑みを浮かべながら食器を握りしめる少女。マイペースでゆるりとしたその雰囲気は、見ているこちらにも穏やかな気持ちを伝播させるようだ。
「うん、美味しい ロッカは本当に料理の天才だね」
「はいはい、ありがと」
「この料理を食べられるだけでもリクタリアに来た甲斐があるってもんだよ」
「⋯⋯まあ、狩猟民族の料理とは大きく違うだろうけど」
リクタリアは経済的・文化的な意味に加え地理的に見ても巨大な都市ではあるが、あくまでルクヴィルドという国の首都という位置付けである。リクタリアは北西部に位置するが、それ以外の地域、特に東部に広がる森林や農村の地域はモヌドと呼ばれる。
イーリはモヌドの森林地帯内を移動しながら暮らす狩猟民族の出身であり、非常に野生に近い習慣の中で暮らしていた。つい最近まで食パンの存在すら知らなかったというのだから、その食生活はリクタリアのそれとはかけ離れたものなのだろう。
「足りないなら言いなさいよ、私のを分けてあげるから」
「え、いいよ さっきまで働いてたのロッカだし、私何もしてないし」
「馬鹿言いなさい、私達の中で一番の戦力はあんたじゃない
もし何かあった時にあんたが動かなきゃ、死ぬのは一番弱い私なんだから」
「⋯⋯大丈夫、だからロッカもいっぱい食べて」
少し困ったように笑うイーリの様子に、余計なことを口走ってしまったと内心反省する。だが、イーリに伝えたことは紛れもない事実だ。国外はおろか国内との移動も厳しく管理しているリクタリアの生命線・HNSに、モヌド出身ながらその身体能力のみで異例の編入隊を果たした。それも、まともに軍隊の訓練も受けたことのない当時15歳の少女が、だ。この事実だけで、彼女の持つ才能が規格外であることがわかるだろう。
一方の私はといえば、街の片隅でバーテンダーをやっているだけの一般市民であり、14歳という年齢の中でも平均に大きく差をつけて小柄である。国家権力の犬どころかそこらの野良犬と対峙することすら心配されるレベルで、物騒なことに向いてない。
「いいのよ私の分にしては多いくらいだし、今更成長期来るとも思ってないし」
「ん、わかった じゃあ残しそうだったら私に頂戴ね」
そう言ってリズミカルにスプーンを動かし皿から口へと野菜を運んでいくイーリを見つめつつ、自分も湯気の微かに昇るポトフに手をつけることにした。肴にするため、単体で腹を満たすために一般的には使われない馬鈴薯を入れたポトフは、母が考案し数年をかけて完成させた味。
地下倉庫を改造して自室にしようというアイデアを幼い私に伝える母の顔は、まるで未来に辛いことなど何もないかのように心底楽しそうだった。いざ店を始めると流石に良いことばかりとはいかないようではあったが、それでもこの部屋で家族2人過ごす時間は笑顔に溢れていた。最後の日、母は今まで見たことのないほど悲しそうな笑顔で私に遺言を残した。
「どしたの、嫌なことでもあった?」
「別に、なんでもないわよ」
「ん、私にできることなら言ってね 料理以外ならある程度はできるからさ」
「⋯⋯いいえ、あんたはよくやってくれてるわ
洗濯から倉庫の整理まで、本当に助かってる」
それからほぼ時間をおかずに居候が一人増え、二人増え、いつしか私が母親のような扱いをうける謎の共同生活が続いている。それは時に胃が重くなるようなこともあるが、肉親がこの世界にもういないという事実を埋め合わせてくれるだけの充実感があるのも事実だった。
「おーい、たっだいまー!」
そんなノスタルジーなど知ったことかと言わんばかりに、もう一人の居候がバタバタと足音を立てて帰ってきた。
「お、食事中か 私の分は部屋に置いといてくれて⋯⋯なにさ、その表情」
扉の陰からハネ気味の黒髪をブラつかせ、赤い瞳でこちらを覗き込む少女に、私はため息を吐きつけた。
「ロクにウチの手伝いもしない上に勝手に廊下を研究施設にする、どうしようもない居候をどうしてやろうかって話よ」
「ああ⋯⋯それはむっずかしい問題だねえ 私じゃ力になれそうにないわ」
気まずそうに口元を引き攣らせて笑うシュレ。テロ組織の主導者として見るには余りにも頼りないその仕草に、改めてため息が漏れる。
「おかえり、シュレ 何か成果はあったの?」
机と私を挟む形で、椅子に座ったままイーリがシュレに尋ねる。シュレは改めて口元を歪ませる。それは先程のような情けない笑みではなく、自信と含みを滲ませる闇社会の人間の笑い方。
「あったよ、多分 それを確かめるために
イーリ、明日の夜は一緒に来てもらえない?」
「ん、わかったよ いいよねロッカ?」
迷いなく即答するイーリの表情もまた、命を賭けて任務にあたる特殊部隊員のそれであった。先程まで緩やかな雰囲気が漂っていた部屋の中は、一瞬で国家転覆を企てる作戦本部となってしまった。
この数分で3度目になるため息を吐き、私は返事をした。
「いいわよ、ただし晩御飯までに帰ってくること
守れないなら次からはもう食料は準備されないものと思いなさい」
私はまともな戦力なんかにはなれないし、その日が来れば足手纏いになるかもしれない。
それでも、初めて会ったあの夜、シュレは私を必要だと言った。
そして、色々な事を知ってしまった今、目を瞑り背を向けるなど私自身が許しはしない。
私の仕事は、才能にあふれ世界を変えようとする彼女たちを匿い生かすこと。
彼女達が全てをかけて戦うその日が来るまで。
with the night ~lost polaris~ Acoh @Acoh
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