第3話

レイコには今、両親を失くしてしまった16歳と13歳の兄妹の状況がはっきりと感じられる。

本当は当時の本人たちには聴こえていなかったであろう周りの大人たちの様子も入ってくる。


「ちょっと、お父さんに会いにいかんとならんよ。あの子の面倒見るだけやなくて、板場や奉公人も入れて14人分も、皆のお給金出すのはキツイ。そや、この家売って、新しいとこに洒落た小さい割烹の店を買おうよ」

「もうしばらくはこっちで本妻さんの子どもの面倒みるのを条件にされるんちがうのかい?」

「本妻て。うちのお母さんは町医者の奥さんなんか出来んかっただけよ、大きな実家を継がなならんから籍をいれんかっただけやし。うちとこ5人兄弟姉妹は全員ほんまにお父さんの子どもやし」

「はいはい、そや、本妻も何もないよな」

「お父さんの財産はみんなのものやけど、死んだジュリの分は私の取り分やないの?」

「まさか、それは、子らのもんやろ」


叔母のキクエは、葬儀で泣いていたのが嘘だったかのような様子だ。

今ならまだ中学生と高校生として学校生活を送っている年頃の兄妹が両親を失くしてしまうなんて、と、レイコの心も傷んだ。

この妹が、自分が今湯灌をしている、昨日亡くなった女性なのだから…。


「ノブ。おい、ノブちゃん!」

「?お兄ちゃん?こんな昼間に、どしたん?何してんの?」

「仕事辞めてきた、今から2人でおじいちゃんのとこに行こう」

「いきなり?」

「キクエ叔母さんに見つからんように。あのさ、ひとつ上のセンパイが教えてくれた。俺がしょっちゅう殴られてたのはな、預けたキクエ叔母さんが店で俺が何されようが何が起ころうが文句ひとつ言わんからやて。しかも、思う存分しごいてやってええからと。そんで、皆が憂さ晴らしは俺を殴ることやて決めて、関係ないもんまで面白がって蹴ってたんやて。俺はずっと怪我だらけや…」

「なんで?そんなこと。ひどすぎる!」

「お母さんは何も知らんかったと思うよ」

「お母さんはずっと心臓悪かったし…」

「父さんが死ぬまではおじいちゃんもいて、診療所で俺らが幸せやったのが、ようやくわかったよ」

「お兄ちゃん、ヤマニシさんに言ってから行く?」

「言わんでええ。こっそり行こう」



兄妹はもうかなり長い時間、大人たちに押されたり脚を踏まれたりしながら揺れる電車に乗っている。

この子達の祖父の家は他府県、それもかなり遠いようだ。頑張って、と、レイコは安全を祈った。


「孫たちがお世話をかけて、どうも。すみませんでした、ありがとう…」

「いや、大先生にはうちの家族みんなお世話になっております、お孫さんら、財布を盗られてしもうたようで。大先生のお名前を聞いて、もう、ビックリしてすぐに…」

「来ると知らんかったもんで。どうも、助かりました」

「私の車で。お宅までお送りします、どうぞ」

「電車代、おいくらでしたやろ?」

「大先生、そんなもん、要りませんです。キセルではありません。切符は盗られた財布の中にあったとかで、この子らはちゃんと買ったようですし」


3人は駅長に送られて、もう閉まっている診療所の隣のかなり大きな一軒家に兄妹が前後に並んで入っていった。


この男の子はこんなに立派な家で育ったお坊ちゃんなのに、毎日顔が腫れるような暴力を受けて働いていたなんて。

何もできるはずないレイコながら哀れで悲しい気持ちにとらわれていた。


「ただいま」

「あらま、急に出掛けていって、戻ったと思たら大きな子ども2人連れて帰ってきんさって」

「孫や、亡くなったジュリの忘れ形見や」

「あー、それはそれは、こんばんわ、メイコです」

「ツネオ、なんでそんなようけ、あちこち怪我しとるんか?」

「おじいちゃん、お兄ちゃん、ひどい目に合わされてんやし、助けてあげて欲しい」

「ノブ、泣かんでええ、ツネオ、わしに全部話してみい」

「おじいちゃん、俺、ずっと我慢しててんやけど、もう、無理や…」

2人の孫の話を聞きながらメイコに出されたお茶を飲んでいる男性は70代くらいに見えるが話し方はとても若々しい。

「メイコ、明日の朝、松井センセを呼んでくれ」

「はい、弁護士の松井先生ですね」

「そんでな、いま、この子らに鰻丼でも作ってやってくれ」

「はい、平井魚屋さんに焼いてもらいます」

「おじいちゃん、俺、まだだし巻き玉子も作らせてもらってへんけど、玉子があったらやってみてええか?」

「ほー、作れ作れ。けど、もう、戻らんでよろしいで。怪我が治ったら、ここの診療所を手伝えて。ノブもな」

「はい!」

「キクエ叔母さんとこに戻らんでもええの?」

「ああ。ノブは踊りとお花とお茶のお稽古したらよろしい」

「おじいちゃん、ありがとう。来て良かった…」

「ノブ、泣かんでええから、ツネオもたくさん食べてしっかり寝ることや」


メイコは最近祖父に嫁いできた後妻で、歳はジュリと同い年だった。

彼女の瞳はうす茶色で髪は赤っぽいはっきりした顔立ちの女性だったが、背は低く太っていて脚が悪ような歩き方でなんとも不思議な雰囲気をまとっていた。


「大先生、おはようございます、松井です」

「いつもすまんね、こないだメイコを入籍したばっかりでなんやけど、死んだジュリの子ども、孫を2人、私の戸籍にいれたい」

「御養子になさいますか?」

「よろしゅうに」

「亡くなった3女のジュリさんの娘さんはお母さんと同列兄弟として戸籍に、ですね?」

「そうなるね」

「入籍と認知と合わせるとお子様は12名になりますが、確か今年3人ほど嫁がれますな…」

「はい。それで、よろしいです」

「わかりました、お任せください。早速このまま役所にいって参ります」

「ついでに所長に奥さんの薬を今日中に取りに来るよう、言っておいてくださらんか」

「了解いたしました」


ノブたち兄妹が手に入れた安心で幸せな日々がこの先、祖父である大先生の急死であっけなく消えてしまうのに一年もかからないことが、レイコにはすでに見えてしまっていて、思った。…せめて一年でも、自分達のおじいさんの傍で、なに不自由ない笑顔で過ごせる幸せな日々を過ごしていて欲しい…。






















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