(5)襲い来る後悔
皇甫嵩が、指で机を軽く叩いた。
考えを巡らせている。そう見て取ることが出来た。
「張角の噂の真偽、か」
蘇双から渡された、曹操と孫堅の連名で記された依頼書を皇甫嵩はじっと見ている。
事情は一通り話したが、皇甫嵩の顔は少し険しい。
確かに、この二日間攻めて来ないどころか太平道が後退を始めた地点で明らかに何かあったとしか思えないのだ。
間諜も確かに放っているだろうが、総本山は警備が厳重だ。そう簡単に情報が掴めるとは思えなかった。
「ここまで噂が広がると、いくらなんでもおかしいと考えます。しかも陣は引き払いつつある。何かあったと見るのが妥当かと」
蘇双が言うと、ふむと、皇甫嵩が唸る。
「確かにな。いくらなんでもここで攻めて来ないのも妙だ。何かあちらであったか、或いは油断を誘っているか」
「そのどちらかでしょうが、私は後者の可能性は低いと思います」
張世平が、一歩前に出た。
「理由を聞こう、張世平」
「奸計を巡らせることが出来る人材がもういないと、私は見ています。弟の張宝、張梁は別の戦線な上、そちらも苦戦中。本来奸計を一手に引き受けていた馬元義は処刑されて既にいない。それ以外の主立った指揮官も軒並み投降したか死んだかのどちらか。そしてここに来てこの噂と、潁川、南陽での惨敗。となってくれば、太平道に入ろうとする者は自ずと減ります」
「それだけ人材が不足している、というわけか」
「はい」
「分かった。ならば、私からもこの依頼を頼む。報酬は更に出そう。張角について、探ってきて欲しい」
皇甫嵩が、依頼書を新たに作った。文言は孫堅と曹操の物と同様だった。報酬も書いてあったが、悪くない金額を提示されている。
だが、いくらになろうとも、張世平はこの依頼を受けるつもりだった。蘇双ともそれは同意していた。
自分は張角に会いたいのだ。
この一年で、張角がどうなったのか。乱の果てに何を見たのか。それを自分は確かめてみたいと、張世平は思っている。
ならば、直接会って聞いてみる価値はあるだろうと、張世平は感じるのだ。
間諜の真似事だから、陣へ向かうのは目立つ。だから輸送車は置いていくことになった。
夜陰に紛れて漢軍の陣を出て、張角のいる太平道総本山へと向かった。
距離は、ここから約二〇里(約八km)。朝には辿り着ける距離だ。
蘇双が、電子端末に記載された地図を片手に歩く。それに、張世平が続く形を取っていた。
見慣れた街道に、少しすると出た。
前に、太平道の総本山から出た後、少しして出くわした街道だった。一年前と異なり、今度はこの道を逆行する形となる。
「まさか、またここを通るとはな」
「もう、あれから一年近く、ですね」
「その間に、お前の言う英雄は大量に溢れかえろうとしてるんだ。これから、面白い世の中になるぞ」
「そうなれば、我々商人は」
「商機が山ほど巡って万々歳、ってわけだ。お前の目と直感、まだ頼りにさせてもらうぜ」
「当たり前ですよ。盟約結んだじゃないですか」
「あれからもう四年か。あの頃より、お前背ぇ伸びたもんな。一方、俺は年老いた」
「誰にも、時だけは平等です。私のような竜人もまた然り。時は流れます。私もまた、平等に歳を取りますよ」
「だが、お前はまだ若い。俺はもう五〇だ。いつまでこうして歩いての商売が続けられるか分からん」
何故か、ここ最近の蘇双は生き急いでいるように感じてならない。
そして、老いを口にするようになった。
気の大きさはさほど変化がない、ように感じて、縮んでいた。
一度、張世平は首を振った。
だが、確かに蘇双の気は縮んでいる。
いつの間に、こんなに小さくなってしまったのだろうと考えても答えは出ない。
ただ、自分が見ないようにしていたのかもしれない。
気付かなかったことに対する後悔が、今になって襲ってくる。
後悔は、いつだって突然急に訪れるのだ。
ひょっとしたら英雄も、そんな後悔と戦いながら生きるのだろうか。それとも、それを克服できずに英雄としての生を終えるのだろうか。
その答えが、張角に会えば分かるだろうか。
そんなことを考えているうちに、太平道の総本山の入口に着いていた。
入口には黄巾を付けた歩哨が二人、槍を持って立っていた。ただ、表情は何処か疲れているのが、目に見えて明らかだった。
「止まれ、何者だ?」
「蘇双と張世平だ。張角殿に会いに来た」
「あのそこら中に武器売ってる死の商人か! 貴様らの売った武器で何人の仲間が死んだと思っている! この裏切り者め!」
憤怒に駆られた表情で、黄巾兵が集まってくるが、蘇双はそれに対して鼻で笑うだけだった。
「ああ、そうかい。そんな周り見えねぇ感じになってるから、太平道は滅ぶんだよ」
急に、蘇双の気が大きくなった。
張世平は、一歩蘇双より前に出た。
「それ以前に、我々は商人として協力するとは言いましたが、あなた方の信徒になるとは一言も言ってません。それなのに裏切り者呼ばわりは心外ですね」
「なんだと、このクソガキ!」
「賊徒風情が……。そんなんだから商人から見捨てられるって事にも気付かないんですか? いつから商人どころか民全員が太平道の信者だと勘違いしてたんです?」
割と、腹に据えかねていた。
言った後、確信した。
張角が死んだら、この組織は完全にただの賊徒になる。
精一杯に虚勢を張っている。その印象がぬぐえないからだ。
それが分かっていることもあってか、蘇双は汗一つかいておらず、信徒に侮蔑の表情を見せている。
今の太平道がこんな状態だ。恐らく張角が死んだらこの信徒達に訪れるのは、虚無。
それを補い、そして自分達が食うために、賊徒に走るのは容易に想像が出来た。
だが、この程度の連中に殺されるのは、自分としても納得がいかない。
状況が分かったところで一度退くか。そう思い、荷をまとめようとした。
「やめよ!」
急に、前方から凜とした女性の声がした。
気が、かすかに上っている。
だが、その気は何処か妖艶でありながら、周囲にそれとは気付かせない、妙な仮面を被っているという印象を持った。
妙な感覚を、張世平は持った。
蘇双はただ、少し驚いていた。
「その者達は罪人ではない! そしてお前達、大賢良師様の前だ! 分をわきまえよ!」
暗がりから、ゆっくりと、気が二つ出てきた。
張角が来ると分かると、信徒が一斉に武器を下げ、張角の方を向いた。
そして、暗がりから現れたのは、一人の美しい女性と、愕然とするほどにやせ細り、気が小さくなり、陰だらけの気しか見えない、張角の姿だった。
機刃-KIBA-死の商人が見た三国志異聞 ヘルハウンド @hellhound
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