幸せになった日

月島日向

第1話

寒い。

お腹が減った...。

ネオンがちかちかと視神経を刺激する夜の街を僕は縺れる足取りでとぼとぼと歩いていた。

何度かすれ違いざまにぶつかられる。

「ごめんなさい」

「すみません」

そう謝る暇も無く気付いていないフリをして去っていく。

ここに来て1ヶ月。

僕はまだ街の雰囲気に馴染めないでいる。


ここは僕の生まれた場所よりもずっと明るくずっとキラキラ騒がしいけれど、その目映い光は冷たく儚げで温もりがない。

ブリキのジオラマの中にいるようだ。そのせいなのか僕の故郷より人口が多いのに皆、感情を忘れてしまったかのように他人行儀で目を合わせもせず足早に通りすぎる。






ぐーきゅるきゅるきゅる...。

また僕のお腹がかぼそく鳴いた。


■■■■■

母さんが消えて1週間。

これまで家にあった保存食で飢えをしのいできたがそれも昨日で底をついた。

保存食はやはり一時的な食物でしかなかったのだろう。2日分のものを6日かけてちびちびと食べたんだ。よくもたした方だと思う。

もう空腹に耐えるのも限界だった。

僕はある場所へ行こうと立ち上がる。


1ヶ月前、この街に来た頃、母さんが1度だけ街を案内してくれたことがあった。

『困ったことがあったらここに来ればいいわ。お店が沢山並んでるから食べ物が沢山ある。一言断って分けてもらいなさい』

そう言っていたことを思い出した。





■■■■■

空腹で頭が回っていないのがよく分かる。

ボーッとする。

気を緩めたらこのまま道端に倒れてしまいそうだ。

えっと....。

この道...、まっすぐだっけ?

あやふやな記憶だけを頼りにネオンの下を歩く。





日が沈み、びゅーびゅーと冷たい風だけが僕の頬をつんざく。

手足がかじかむ。

もう少し何か着てくれば良かった。

外に出る時はいつも母さんが服を用意してくれてたからそこまで頭が回らなかった。

そんな事を考えながら1本の裏路地へ出た。

表通りに立ち並んでいた商業ビルや娯楽施設とは違い、ここはお食事処が所狭しとぎゅうぎゅうにつまっていた。

仕事帰りのスーツ姿のサラリーマンが顔を真っ赤にして足取り軽やかに歩いている。

僕のような子供などどこにもいない。



『ただし、お前のような子供は正面の入り口から入るんじゃないよ。大人は怖いからね。幼子は取って喰われるかもしれない。必ず裏口、店の勝手口から入るんだよ。そうすれば店主が出てくる。店主にこの袋を渡せば気前よく食べさせてくれる』

『これなに?』

僕は渡された巾着袋の中身を尋ねた。

『お金だよ。大人の人はこれで買い物をしているんだよ』

母さんは袋の口を緩めると、金や銀色のコインをじゃらじゃらいわせた。





母さんの声が頭をよぎる。

場違いな空気感を無視して僕は一軒の料理屋の裏口をノックした。


扉を叩くと白い和帽子に甚平姿の店主が顔を覗かせた。

「はい」

店主はキョロキョロと辺りを見渡し、僕に気づくと視線を下げた。

「あの!」

僕は店主に勢いよく近づいた。

「僕...」

お腹が減っていて。

なにか食べ物を分けてください!

母さんに言われたお金の入った巾着袋を差し出し、口を開こうとすると店主がそれを阻んだ。

「子供はお断りだ」

凍りつく視線で一別され、僕の事を見ることなくピシャリと扉を閉められた。




一瞬の出来事に僕はどうすることもできなかった。

え?

どうして?

母さんに聞いていたことと全然違った。



僕、お腹空いたよ?

腹ペコなんだ。

何か、何か、食べ物をください!



他の店の扉も何度も叩いた。

けれど、どんなに泣いて叫んだってどの扉も固く閉まったままびくともしなかった。

赤く血の滲んできた手を見て、これ以上ここにいても時間と体力を浪費するだけだと悟った。





僕は諦め、来た道を戻る。

さっきまで軽かった足取りは今や鉛のように固く重くなっていた。

街を照らすネオンだって薄暗く見える。


■■■■■


家まで帰る途中に渡る大橋。

行くときも通った橋だったけど、その時は興奮気味のテンションだったからか、さっきは気付かなかった新しい匂いが下の方、河川敷あたりから漂ってきた。




そば粉ベースにかつお節、ほんのり海老の匂いも感じる。これ、魚介の香りなのかな?

その中に少しだけ醤油のような甘辛さが僕の鼻を刺激する。

空腹のせいで美味しい匂いに人一倍敏感になっているのかもしれない。

匂いの源まで把握出来る。



小海老、蒲鉾かまぼこ、醤油、ねぎ、豚肉、山芋、大豆、とろろ。

すっごく豪華で贅沢な鍋みたい。

冬の炊き出しみたいな優しく包まれる香りにつられ、気付けば橋下の川岸に下りていた。





見つけた!

匂いの出所!


僅かな手掛かりから犯人を見つけた探偵のような気分だ。





橋の下。

一人のお爺さんが潰れたダンボール箱の上に座っていた。

お爺さんは僕に気付くとちょいちょいと優しく手招きをしてくれた。

僕は迷わずお爺さんの膝上に座った。

そこが1番匂いに近かったから。




お爺さんの手には緑色のフタの付いたプラスチックのお椀が握られていて、その閉められたフタの隙間からのたまらずあの湯気が立ち昇っていた。


よく見ると、そのお椀に僕が1番最初に覚えた平仮名が描いてあった。

母さんが教えてくれた名前。



「おまいさんもワシと同じか?」

お爺さんはお椀を持っていない方の手でポンポンと頭を撫でてくれた。


「どれ、待ち時間は3分じゃ」

お湯は注ぎ入れたからのぅ。

お爺さんはそう言うと、そっとお椀を地面に置き色々な話しをしてくれた。



■■■■■

きっちり3分測っていたのか分からないが、お爺さんは腹時計だと蓋を剥がした。

エステのような大量の湯気が顔面を直撃する。

湯煙の白い壁がお爺さんと僕を邪魔してくる。

パキッと割り箸を割る良い音がした。


箸がカップの中身をかき混ぜる。

茶色いのに透き通ったスープ、麺の上に何か狐色の天ぷらが乗っている。

「これが緑色のたぬき、お蕎麦のカップ麺じゃ。おまいさんも食うてみぃ」


お爺さんはポケットから紙コップを取り出すと、熱々の汁と麺、上に乗ったかき揚げを半分取り分けて僕にくれた。




お爺さんの真似をして、

ズズズッ。

僕はコップを傾けお汁を飲んだ。

凄く、凄く美味しかった。

外気で凍りかけた僕の胃袋が温かいと喜んでいる。



味は僕が想像していたのとちょっと違った。

もっともっと人間味があった。

しょっぱさの中にそば粉の甘い香り。

麺を啜る。

噛めば噛むほどもちもち食感、濃厚なお蕎麦とそれに絡みつく油が凄く仲がいい事が分かった。



僕は脇目も振らずお蕎麦を啜った。

ぷはぁ〜。

息を止めて食べていたらしく、一気に空気を吐き出した。

体が内も外もほかほかになった。



お爺さんもメガネを真っ白にして笑った。



僕は、美味しい!と言う変わりに、

「きゅーーん」と鳴いて尻尾を振った。

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