彼女

 秋の夜に、僕は逃げました。ひどく震えて、歯をがちがちと言わせて、嫌なこと全て放り投げて逃げるようにアパートを出ました。

 パトカーのサイレンが聞こえます。僕は振り返りもせず、のっぺりとした闇の広がるあぜ道を走りました。街灯もひと気もありませんが、その日は中秋の名月で、満月がサーチライトのように僕を、どこまでもどこまでも追いかけてくるのです。

 つい先ほど、同棲していた彼女と「中秋の名月らしいよ」と会話していたのを思い出しました。

 僕は暗い空を見上げました。一人で見る月は面白いわけもなく、僕は彼女の死に顔を思い出して、何もかも嫌になって、また走り出しました。

 肌寒くなる頃でした。僕は生地の薄い部屋着のまま出てきてしまったので、いずれ寒さで動きたくなくなりました。

 着いたのは誰もいない公園でした。

 ふと、今は何時だろうと、僕は携帯を取り出して画面を見ました。

 「22:14」と表示されている画面の下に、何件もの不在着信がありました。僕はそれを無視してネットニュースを見ました。

 『○○町にて女性が自殺 死後一ヵ月は経過か?』

 画面には。

 確かに僕の彼女が映っていました。

 その瞳も唇も髪も、全てに見覚えがありました。

 一カ月。

 僕はその文字を繰り返し確認しました。

 そして。

 僕は携帯を地面に投げつけました。

 息が切れるまで何度も踏み潰しました。最近の携帯は頑丈であまり破壊できず、それが尚のことムカつきました。

 認めたくなかったからです。

 彼女が一人で勝手に自殺したことを、僕は受け止めきれず。

 ついには心に幻影を作っていたようです。


 幻影の彼女は、手を縛られていて。口も布で塞いで喋れなくしてあって。

 彼女は僕が殺す予定でした。

 家でその奇麗な身を解体する予定でした。

 一人で勝手に死にやがって。

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奇聞 涌井悠久 @6182711

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