第21話 二人の話③
「おう。来たな」
自転車のブレーキ音で顔を上げる。ひどく驚いた顔を無防備に晒した相模が、呆然と私を見ていた。
ガレージの前から二、三歩ほど移動してやると、相模はずいぶん長い間を置いてから自転車を手で押しながらこちらへ歩み寄ってきた。
私は今、相模の自宅前にいる。
「……なんでいるの」
「調べた」
私の傍らまでやってきた相模が虚ろに呟いたのに対して、私は素っ気ないくらい端的に答えてみせた。
相模の自宅を特定するにあたり、最もシンプルな方法は担任に直接尋ねることだった。
しかし個人情報保護の観点から容易に明かされないことは想像に難くない。
加えて余計な噂を広めてしまう危険性もあったため、私はその手を早々に諦めて夕姫ちゃんを頼った。
そうしてその結果夕姫ちゃんが私に提案したのがサークル仮説。
犯罪捜査なんかにも使われる手法だが、素人の真似では大した精度は期待できない。しかしこれなら誰の手も汚すことなく、私の足を使った捜査が可能だった。
柳先輩が零した相模の出身中学や、いつか二人で駆け込んだスーパー、夏休みに遭遇した例のコンビニなど、相模の行動範囲を絞る要因はいくつか存在している。そこからおおよその位置を割り出して、結城くんの人脈を利用した聞き込みや夕姫ちゃんの聡明な頭脳をお借りしつつ、最終的には私が自分の足で駆け回って辿り着いた。
おかげで期末テストを挟んで一か月はかかってしまった。
とてもじゃないがスマートとは表現できない、泥臭いやり方。
私によく似合っていると思う。
「この間かが……、ムギさんにも会ったわよ」
「は?」
マジで、と相模がほとんど素を零す。
私も「マジ」と首肯を返した。
「相模の家知ってるか確認したくてね」
「それだけのために、わざわざ」
よくやるよ、と心底呆れたように言い添える。
「それだけじゃないわよ。相模と向き合う前に、ちゃんとあの人と話さないとと思ったから」
本題の気配を察知した相模が眉を跳ねさせる。
そうして中途半端に開けっ放しになっていたガレージのシャッターを押し上げて、中に自転車を押し込んだ。暗闇の中に相模の甘やかな髪が呑み込まれていく。
このまま有耶無耶にされる。直感的に察して、私は声を張り上げた。
「逃げんなよ腰抜け」
私に背を向けたまま、相模の動きが停止する。
僅かな衣擦れの音すら響くほどの静寂が訪れて、私は覚悟を決めるように深く息を吐き出した。
相模がゆったりとした動作で首だけ振り向く。地を這うように低い声で唸った。
「……は?」
「ああそれ、その顔。懐かしいわ」
一学期によく見たような獰猛な目つき。
甘い仮面で覆い隠した獣の本性は、私たちがはじめてまともに言葉を交わした日に浴びせられたものと同じだ。
「私のために身を引くとか、ダセェ真似すんな」
透明に乾ききっていた相模の瞳に怒りにも似た色が滲みだす。荒々しい手つきで自転車に鍵をかけて、相模はようやく私と正面から向き合った。
それを見て、私はようやく彼と同じ土俵に立てたことを悟る。
「自信がなくなったなら、素直にそう言いなさいよ」
自信を失ったのは私も同じだ。
だけどここで黙って身を引くのは、私たちらしくない。
私たちは出会ったときからぶつかり合って、そうやってここまで辿り着いたんだ。
「私はちゃんと言うわよ」
ガレージの中へ一歩踏み込んで、相模との距離を詰める。
暗闇の中で互いの瞳を一心に見つめ合った。
「私は……、」
たちまち足が竦む。喉の奥で声が詰まる。体の芯が恐怖に蝕まれていく。
心を曝け出すことが恐ろしい。
それでも彼と対等に寄り添うためにはここで同じ痛みを伴うことが不可欠であることを痛感しているから、私は恐怖ごと唾を飲み下して言い放った。
「私は、そんなに強い奴じゃない」
相模が息を呑む。
闇の奥で琥珀色の瞳が煌めいていた。
剥き出しの両手が震えている。まるで祈りを捧げるように胸元で握り込んで言葉を重ねる。
「みんなが私に強くあることを望んでいることもわかってた。私も自分で同じことを望んでいるから、それでいいと思ってたの。だけど……だけど本当は、」声が震える。顔の奥が熱い。「怖かった」
自身の奥底で、幼い日に押し殺した脆い私が、あどけない目元から涙を流している。
「みんなのこと騙してるみたいって思ってた。苦しくて負けそうになるたびに自分のことも騙してきた。自分も嘘を吐いているようなものだから、どんな嘘を吐かれても傷つくことはないって思ってたの。だけど」
斜陽の差し込む放課後、相模に別れを告げられた瞬間の痛みが鮮やかに蘇る。
「相模に嘘を吐かれて痛かった」
ぎゅう、と胸元を強く抑える。
苦痛に顔が歪む。全身を包む闇の中で、相模は私のこの醜い顔を見ているのだろうか。
もう隠すつもりなんてない。ちゃんと見てほしくて、顔を上げる。
「あなたといる自信がなくなったの」
だから、
「だから一発殴らせてほしい」
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