幕間

第18話 反転①


「なら私が証明してやるわよ」


 あまりにも乱暴に、鮮烈に突きつけた彼女を、俺は神様みたいだと思った。







 少しだけ中学時代の話をしようと思う。

 思い出すだけで吐き気を催すような、本当に最低で最悪の記憶だけど、彼女と俺がはじまるためには不可欠なことだと思うから。



 その人が俺に近づいてきたのは、中学二年生の春。

 大きく揺れるポニーテールが特徴の快活な女の子だった。

 部活は確かテニス部。気さくな彼女の周囲には、自然と人が集まった。


 四月の終わりに差し掛かった頃。

 その週、俺は給食当番として大食缶を運搬する役割を担っていた。

 四時間目が終わったらすぐに食缶を取りに行かなければならない。壁にかけてある白衣を取ろうと、手を伸ばしたちょうどその時だった。


 俺の指先を掠めるようにして、隣から伸びてきた小ぶりな手が俺の白衣を奪っていく。

 あれ、と思った次の瞬間には、白衣は俺の胸元へと押し付けられていた。


「はい。相模くんこれでしょ?」


 例の女の子だった。自分の白衣は胸元に抱えている。わざわざ俺に手渡してくれたのだ。

 無垢だった俺は、彼女の行為をなんら他意のない、純然たる善意として受け取った。


「ありがとう」

「相模くん大食缶でしょ? あたしペアなんだ。よろしくね」


 まともに顔を突き合わせるのははじめてだったので、二、三言世間話を交わしながら白衣に袖を通していく。そうしてキャップを被った彼女が準備完了と身を翻したそのときだった。


「……ねえ、髪の毛ちょっと出てるよ」

「え?」


 キャップの隙間からはみ出た細い髪の束が、項の表面でうねっている。おそらくポニーテールにまとめる前から拾い損ねていたのだろう。


「動かないで。入れてあげる」


 項をくすぐる髪を指先で掬い上げて、キャップの中に押し込んだ。

 俺の指が滑ると、彼女がくすぐったそうに体を跳ねさせる。女性の髪に触れるのはそれが初めてで、俺もちょっとだけどきどきした。


「ありがとっ」


 にかっと白い歯を見せて弾けるような笑顔を浮かべる。よく目にする表情だ。実際に自分に向けられるのは、それが初めてだったけど。


 一週間ペアとして活動する中で、自然と彼女との距離が縮まっていく。

 当番が巡って以降も俺たちが友人として過ごすようになるのは必然だった。


 そう。ただの友人。特別な存在として意識することなどない。

 だけどどうやら、二人の見解の間には齟齬があったらしい。


 その年の秋のこと。


 長い期間をかけて慣らされてしまったせいで、今さら彼女との距離感に疑問を抱くことはない。しかし、やたらボディータッチが多い人だ、と薄々は感じていた。


 気が付くと当然のように隣にいて、大きな口で笑いながら俺の腕にそっと手を添えてくる。

 彼女の健康的に日焼けした指が肌に触れるたびに、ぞわぞわと背筋を得体のしれないくすぐったさが駆け抜けた。


 男子にそんな風に触るのは、あんまりよくないんじゃないかな……何度もそう伝えようとして、そのたびにお節介が過ぎると言葉を飲み込んだ。

 今思い返してみると、そこで彼女と適切に言葉を交わせていたら、もっと違う未来があったのかもしれない。


「今日放課後空いてる?」


 彼女が、耳元に唇を寄せて囁くように尋ねてきた。

 耳たぶをぬるい吐息がくすぐって、体が芯から震える。

 その不快感に身を捩って、俺は控えめに答えた。


「部活あるから……」

「じゃあ、部活終わってからなら会える?」

「それなら」

「ん。じゃあ終わったらプールの裏に来て」

「プール?」


 プールはこの時期封鎖されているはずだ。

 そんな人気のない場所に、一体どんな用があると言うのだろう。



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