第16話 最低①

『こんばんは。鹿島です』

『例の写真を送ります』


 ブレザーのポケットでスマホが震えた。

 取り出して確認する。先ほどアカウントを交換したばかりの鹿島さんから早速メッセージが届いていた。


 短い挨拶と本文に添えられているのは、つい十数分前に正門前で見せられたものと同じ写真。ご丁寧に当該ツイートのリンクまで貼られていた。


 コンビニの駐車場で小さなレジ袋を携え、どこかを眺める相模。

 その彼と仲睦まじい様子で腕を組む女性は、年齢は私と同じくらいだろうか。見覚えがある、市内の女子高の制服。胸元まである豊かな黒髪は彼女に妖艶な印象を与えている。


 記憶に間違いがなければ、私は彼女と一度顔を合わせているはずだ。

 直接言葉を交わしたことはないが、夏休み中、相模とコンビニで遭遇した際、彼に同伴していた女性。


 名前は確か……『ムギちゃん』。


『七月に見つけた相模。隣の女誰? 笑』


 添えられた文章を脳内で読み上げる。それだけで腹の底から吐き気にも似た不快感が込み上げた。

 つい魔が差して返信欄を覗いてしまう。


『完璧浮気じゃん笑』


 端的ながら嘲笑と軽蔑の含まれた文句が視界に飛び込む。反射的にスマホの画面を閉じた。


 真っ暗なディスプレイに浮かび上がるのは、間抜けにも口を半開きのまま唖然と停止する私の顔。


 ツイートの内容が真実ならば、この写真は七月に撮影されたもの。ちょうど私が『ムギさん』と遭遇した時期と重なる。


 重要なのは、四か月に渡ってこの写真が投稿者のスマホで眠っていたということだ。

 軽くアカウントの情報を流し見したところ、うちの高校の、同じ学年の生徒らしい。道理で相模のことをよく知っているわけだ。


 投稿者は七月の時点でこの件を認識していたにも関わらず、四か月に渡って放置していた。そうして今更になって、相模を攻撃する切り札として明かしてきたのだ。


 なぜ今更持ち出されたのか、心当たりは一つしかない。

 先月クラスLINEを退室してから、相模はそれまで収まっていた地位を追われた。

 有り体に言ってしまえば、孤立しているのだ。


 クラスメイトに暴言を吐き捨て、輪の中から抜けていった相模は、さも当然とでも言うように悪意の掃き溜めにされた。不正行為を疑われた私がそうされたように。


 見たところ、投稿者はうちのクラスの人間ではなさそうだ。つまり、一組以外にも相模の醜聞が広がりつつある、ということを意味する。


 脳裏に蘇る『浮気』の二文字。

 私だって状況を正しく呑み込めているわけではない。

 けれど私は相模を信じている。彼の言葉を信じると約束した。


 だからこの件もなにかの間違い……ではないにしても、なにか事情があるはず。

 今私がするべきことは、相模を疑い問い詰めることではない。

 相模の身にこれ以上火の粉が降りかからないよう、騒動の鎮静を計ることだ。


 改めて使命を認識することで、ようやく気持ちも足も前進を再開する。

 鹿島さんからのLINEに気を取られ、中途半端に歩みを止めてしまっていたのだった。自宅の塀はもうすぐ先まで見えているのに。


 目を凝らすと、自宅のすぐ傍らに、見覚えのある軽自動車が駐車されていた。

 自然と早足になって、最後はほとんど駆け込むみたいにして玄関に辿り着く。屋外から幽かに届いた二人分の話し声に、ドアノブに添えていた手を離して直接庭へと向かった。


あきちゃん!」


 そっくりの顔が同時にこちらを向く。


 庭にレジャーシートを敷いて、その上で椅子にちょこんと腰かけた母は、首から下を美容室で見るようなビニールに覆われている。

 足元には無数の黒い影が靄のように散らばっている。それが髪だとわかったのは、胸元まで伸びていたはずの母の髪が、丸いショートボブにまで変化していたからだ。


 やや気恥ずかしそうに目を丸めた母の背後で、ハサミを掲げた女性がぱっと表情を華やがせる。


「深琴ー! ひっさしぶり~」


 にこやかに手を振ってくる女性は、母の妹。私から見て叔母にあたる、明菜あきなさん。通称明ちゃんだ。

 明ちゃんは退院後の母を引き取り面倒を見てくれたひとだ。普段は美容師として働いていて、私も定期的に顔を合わせている。


 母を自宅に住まわせるだけでなく、私を気分転換のショッピングに連れ出したり、みなとにゲームを買い与えてくれたり、私たち姉弟を実の子どものようにかわいがってくれる。

 まるで第二の母のような存在だ。


「うわ、さっぱりしたね」

「深琴も少し伸びたんじゃない? 切ったげよっか」

「まだいいよ。これから寒くなるし」


 何気なくそう言うと、白い首筋を露わにした母が苦虫を嚙み潰したみたいな顔を首ごと逸らした。ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど。


「おしっ完成」


 仕上げとばかりに軽くハサミを入れて、明ちゃんが満足げに声を上げた。丁寧にビニールを取って、足元に細かい髪を落とす。慣れた手つきは流石本職だ。



「いつもごめん」落ち着かない様子で項を撫でる母の謝罪を、明ちゃんは白い歯を覗かせて豪快に笑い飛ばす。


「いいのいいの、謝らないでよ! そもそも私が美容師やってるのだって、お姉ちゃんのおかげなんだから。これくらい当然」


 昔一度だけ聞いた話によると、母の最終学歴は高卒で止まっているらしい。

 母の育った家庭では姉妹揃って進学を許せるほどの経済的余裕はなく、明ちゃんを美容師の専門学校に入学させるため、母は自分の進学を断念した。


 母の協力で夢を叶えた分、協力するのは当然。昔明ちゃんが語っていた。


「私もこっちに越してこようかなあ」


 レジャーシートを畳みながら明ちゃんがぽつりと零す。


「お母さん一人にするの心配だし。だってお姉ちゃんたち来月には新居に移るんでしょ?」


 既に四人で生活するための住まいは決まり、来月の半ばには現在の家から離れる予定になっている。


「でも明菜、職場から遠いでしょう?」

「大して変わらないでしょ」


 明ちゃんはさらりと言ってのけるが、諸々の手続きの煩雑さを考慮すると、やはり負担になってしまうのではないだろうか。

 その上、足を悪くしている祖母の面倒を見なくてはならない。軽々に判断していいものではないように思う。


 けれど、明ちゃんは頑なだった。

 私や母がなにを言おうと、「私がやるべきだから」の一点張りでけして首を縦に振ろうとはしない。


 一体なにが彼女をそこへと駆り立てるのだろう。



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