第15話 ほどける①
事件の収束とともに、私は一つの残酷な事実を突きつけられた。
まず一年次の事件が私を狙ったものであると仮定する。
試験中は出席番号順の座席に座るのが通例だ。
そのため席替えの多かった一年次は、普段の席と試験中の席が異なるケースがほとんどだったのである。
一年前、針谷先生は普段私が使用していた座席に、試験後に自分で作成したカンニングペーパーを仕込んだ。
しかしその席は、試験中のみはひなが使用していた席だった。
そうして今年。一年越しに、針谷先生は犯行を確実に遂行することが叶った。
すべては私の心を手に入れるために。
私を想うが故に。
なぜ成績上位者の中でも私とひなが標的となったのか。
当然だ。
犯人ははじめから私しか見ていなかったのだから。
一年前、ひなが深く心を傷つけるきっかけとなった事件。
すべては私が発端だった。
私こそが愛しい親友を傷つけた原因だった。
「おはよ」
「ん、おはよう」
キッチンで朝食を準備していた母がこちらを振り向く。直後、「あっっつ!」と家中に響くような叫び声を上げた。
「うわっ、なにやってんの!?」
「へーきへーき。ちょっと触っただけだから」
コンロの火を止めて、親指の付け根当たりをふうふうと冷ましながら、母はあっけらかんと笑って見せた。
母がこの家に移住してきて、ひと月が経過する。
復縁後の生活に向けたリハビリも兼ねて家事は私と母の当番制で行われていた。今日は母が料理当番の日だ。
「お母さんはそっちで手冷やしてて。あとは私がやるから」
「え、いいわよ」
母をシンクへ誘導しようと背を押したが、強引に身を捩って受け流される。そうして逆に両肩を掴まれた。
「今まで深琴に甘えてきた分、これからはわたしも頑張りたいの。だからわたしにやらせて」
「……気にしなくていいって言ったじゃない」
「気にするわ。……深琴はわたしと似てるから」
肩を握る手の力が弱まる。
私とそっくりの目元を柔らかく細めて、幼い頃そうしてくれたように、子守歌みたいなトーンで語る。
「色んなことを一人で抱え込んで、ぜんぶ台無しになってから大切なことに気づくの。必要なときには甘えたっていいし、わがままを言ってもいい。そうじゃないと、わたしみたいになっちゃう。……たまには甘えてよ。家族じゃない」
ゆっくりと、けれど確実に壊れていった母の姿を、私はすぐ隣ですべて見てきた。
滔々と語られた言葉の重みを、痛いくらいに知り尽くしている。だから私は素直に頷いて、そっと母の手を取った。
「……うん、わかった。わかったから、ちゃんと手冷やして」
「ご、ごめん」
蛇口を捻って、母の手に流水を当てる。
そうして自分も支度をするためにリビングを出ようと、踵を返した瞬間だった。
『おはようございま~す!』
つけっぱなしのテレビから響いた声が派手に鼓膜を揺らす。元気いっぱいと表現するのが相応しい、溌剌とした男性の声。無意識に大きく心臓が跳ねた。
はっと振り返る。二十代半ばと思しき男性アナウンサーが、中継先から旬の食材をリポートしている。
どっどっど……心臓の鼓動が低く、速く刻まれる。
痛む胸元を抑えて、振り返らないままに背後の母に尋ねた。
「ねえ……今日ってお父さん来る?」
「え? 今日?」
迷うような間。その間も体の奥底はざわざわと荒波が立つように搔き乱されていた。
今後についての話し合いと母の様子を確認するために、父は頻繁に顔を見せている。祖母も含めた五人で夕飯を食べることもしばしばだ。
そう、つい昨日だって。
「さすがに今日は来ないと思うけど。……なに、昨日会わなかったから?」
母は私が父に会いたがっていると受け取ったのか、揶揄うように尋ねてくる。私はからからに乾いた声で「違うわ」と答えてリビングを後にした。
昨夜は父も含めて四人で食事をした。両親と、湊と祖母。私を除いた四人。
私は体調が優れないからと言って部屋に籠り、久しぶりだというのに父と顔を合わせることさえなかった。
洗面台の蛇口を握って、自分の手が震えていることに気づく。
母に今日は父が来ないと告げられて、途方もない安堵に包まれた。
家族四人、祖母を含めれば五人。揃って過ごす団らんの光景。
願い焦がれたはずの今なのに、父の姿を視界に捉えることが、震えるほどに恐ろしい。
心当たりは一つしかない。
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