第14話 負けたくない⑦
俺が階段を駆け下りて一階に到達したと同時に、応接室から一人の少女が出てきた。
黒髪のお団子の下に白い項が浮かび上がる。フレームの大きな赤い眼鏡が特徴的な、ここ数日で見慣れた横顔。
俺がずっと疑ってた人。
鹿島さんが出てきたということは、あの部屋の中に彼女がいるのだろう。姿が見えなくてもわかった。
だから俺もあの日彼女がそうしてくれたように、彼女を助けないとって──だけどそれは叶わなかった。
俺に気づいた鹿島さんが、足早にこちらへとやってくる。
いつもまったく感情が読めないくせに、このときばかりは足音に怒りを滲ませて。
そうして俺の行く手を阻むや否や、なにかを思う間もなく俺の胸倉を乱暴に掴み上げた。
襟元を強く引かれて、上半身がつんのめる。
「あなたのやり方は、いつか大切な誰かを傷つけるわよ」
薄くて透明なレンズは、その鋭い眼光を和らげるカーテンの役割は果たしてくれない。あの人のそれによく似た黒い瞳が、残酷なまでに俺を真っ直ぐ射抜いた。
学年一位の優等生、鹿島夕姫は、首を絞めるみたいに胸倉を掴み上げながら俺に突きつける。
「あなたは金森さんにはなれないわ」
足元がガラガラと音を立てて崩れていくような心地に陥る。口の中に酸っぱい味が広がって、吐き気を堪えるように唾を飲み下した。
吐き捨てるみたいに言い残して鹿島さんは去っていった。
残された俺は全身の力が抜けてしまって、崩れ落ちるように階段に座り込んだ。
そうしてどれくらいの時間が経ったのだろう。
既に陽は沈み、茜色の差し込んでいた校舎内には闇ばかりが満ちている。
手足の感覚も失った頃に、ようやく応接室の扉が開いた。
はっと顔を上げる。
彼女が出てきた。
肩を落として、両手をだらんと投げ出した、抜け殻のような彼女が。
「金森さん」
掠れた声で囁くと、金森さんは弾かれたように顔を上げる。
少し間があって、重たい足取りで俺の元へとやってきた。
そうして崩れ落ちるみたいに俺の隣に力なく座りこむ。
「待っててくれたの」
そう呟いた声には覇気がない。いつもの生命力を漲らせた、溌剌とした様子は見る影もなかった。
どうして、こんなことに。
「……大丈夫?」
自分でもバカな質問だと思う。
どう見たって大丈夫なもんか。
けれど、彼女が針谷に襲われたと聞いて、ずっと心配だった。どこか怪我をしてしまったり、痛めていたりしないだろうか。
金森さんは伏し目がちに俺の顔を見上げると、力なく微笑んで見せた。
俺を安心させようとして、失敗したみたいに。
「へいき。……だけど少し、疲れた」
擦り切れた声で虚ろに呟いて、深く項垂れる。
肩で切り揃えられた艶やかな黒髪が彼女の綺麗な横顔を真っ黒に覆い隠す。
華奢な肩はぴくりとも動かない。呼吸をしているのかすら疑わしい。
死んでしまったのではないかとすら思った。
恐る恐る手を伸ばして、髪の隙間から表情を窺おうと試みる。人さし指の先端が幽かに触れた。瞬間、それまで燃え尽きたかのように息を潜めていた彼女が、弾かれたように顔を上げる。その細い全身を大仰に跳ねさせた。
俺を映す黒い瞳にありありと浮かぶのは、焦げ付くような恐怖。
浅い呼吸が二人の間の空気を揺らす。
なにも言えなかった。
互いに驚愕に目を見開いて、時間も忘れて見つめ合う。そこには甘い空気など欠片もない。
獣同士がぶつかる直前のようにひりひりとした緊張感が漂っていた。
「……ごめん」
ぽつりと呟くと、ようやく彼女が安堵にも似た吐息を零す。
「ううん」
そうしてまた肩を丸めて俯いた。
行き場を失って宙ぶらりんになっていた指先が、冷え切った階段に落ちる。
耳の奥では鹿島さんが残した言葉がうるさく鳴り響いている。
俺はこの人のために、なにができるのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます