第14話 負けたくない②

 悪い予感が的中した。


「おはよう鹿島かしまさん。荷物持とっか?」

「おはよう相模くん。結構よ」


 登校して数分後。廊下から響いた声にぎょっと振り向く。


「……今の、相模くんの声だよね?」


 教室の外から耳に届いたのはやけに弾むような相模の声と、聞き慣れない女子生徒の冷ややかな返答。


 私とひなは物音を立てないように立ち上がる。そろりそろりと忍び足で教室の入口まで移動した。

 刑事ドラマの尾行シーンのようにドアの陰からわずかに身を乗り出す。そうして恐る恐る廊下の様子を窺ってみる。


 二年二組のロッカー前に、一組ひとくみの男女が連れ立って並んでいた。

 一人はミルクティー色の髪が特徴的な背の高い男子。もちろん相模だ。


 そうしてそんな相模にしつこく話しかけられながらも、淡々とした受け答えで鞄の中身をロッカーへ移し替える少女。

 黒髪をシニヨンにまとめて、目元は赤いフレームの眼鏡で彩られている。

 鹿島さんだ。


「その髪型、毎朝自分でやってるの? 器用だね」

「どうもありがとう」

「可愛いよ」

「そう。光栄だわ」


 まったく感情のこもっていない声で、鹿島さんが歯の浮くようなお世辞を受け流す。


 一組のドアの陰から二人のやり取りを呆然と眺めていると、ふいに相模と目が合った。

 身を隠すことも忘れて、時が止まったみたいに互いに無表情で数舜見つめ合う。


 先に意識を取り戻したのは相模の方だった。

 思い出したようににっこりとそつのない笑みを浮かべると、鹿島さんの顔を覗き込む。


「ねえね、今下の自販機で緑茶買うとココア出るんだって。鹿島さんの分も買ってきてあげよっか?」

「結構よ。わたしはマイボトルを持ってきてるので」

「そっかあ、残念」


 眉尻を下げた相模が、鹿島さんが二組の教室に入っていくのをその場で見送る。

 そうしてその姿が見えなくなると、ため息にも似た吐息を漏らしてこちらへ向かい歩いてくる。


 私は相模が一組前の廊下に至ると同時にドアの陰から飛び出す。相模の腕を掴み無理やりに隣の教室に引きずり込んだ。

 後ろ手にドアを閉めて、即座に相模へと詰め寄る。


「今の、どういうつもり」

「昨日言ったじゃん。俺は俺のやりたいようにやるって」

「あんた本気で鹿島さんを疑ってるの」

「本人に訊けばわかることでしょ」


 「あなたが不正行為の犯人ですか」なんて訊いたところで、素直に認めるはずがない。

 相模もそれを理解しているからこそ、鹿島さんに取り入ることで彼女の裏側を探ろうとしているのだ。


 ……だけど。


「だけどこんなやり方しなくてもいいじゃない」


 相模のやり方は、鹿島さんの気持ちを蔑ろにするどころか、土足でぐちゃぐちゃに踏みにじるようなものだ。


 仮に相模の目論見通り鹿島さんが相模に心を開いたとする。しかしそれはすべて相模の策略の上に成り立っているものだ。

 彼女の好意を利用する、不誠実で、最低なやり方。

 こんなの相模にしてほしくない。


「……そうだね」


 相模は私の視線から逃げるように顔を上げて、首ごと明後日の方向を向いた。

 教室には私たち以外誰もいない。特段変わった様子もない。だからきっと、相模の瞳はなにも捉えていないのだろうと思った。


「だけど俺は、このやり方しか知らないから」


 私の方を見ないまま、相模はそっと言葉を落とした。

 手折るような、儚い響きを含んだ声音だった。


 深く息を吐き出して、そっと瞑目する。

 そうして再び私を映したとき、琥珀の瞳はすっかり温度を失っていた。薄い唇がゆるやかに弧を描き出す。私はそれを絶望的な気持ちで呆然と見送った。


「俺は自分にできることをやってみるよ。俺の好きなようにね。金森さんはこんな真似、しなくていい」


 如才のない微笑を置いて相模は退室してしまう。

 膝から力が抜けて、思わず傍らの机に手をついた。



 ……『この』相模は、春までの相模だ。



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