第14話 負けたくない①
『覚えておくわ』
短く告げた彼女の透明な声が、極光のように冷たい瞳が、今になって焦げ付くように脳裏に深く刻まれる。
学年主席の才女、
相模が実行犯としてその名を挙げた直後、場に満ちたのは奇妙な沈黙だった。
探り合うような視線が机上で交錯する。
その場の誰もが耳に飛び込んできた内容に不信を抱く。口にしないだけで頭の片隅では馬鹿らしいと一蹴してさえいるだろう。
たった一人、相模以外は。
私を映す琥珀色の瞳には、嘘も揶揄いもない。至って静かな眼差しの奥に、ありのままの事実を述べるような自信ばかりが刻まれていた。
「根拠は」
あまりに真剣な色に射抜かれて、私も相模の想いを受け止めざるを得なかった。
「鹿島さんに喧嘩売られたときのこと、覚えてる?」
「覚えてるわ。……喧嘩を売られた覚えはないけど」
「一学期の期末テストのとき、金森さんが現代文で一位をとったことを知った鹿島さんが、金森さんに『覚えておく』って言ったんだ」
「……それだけ?」
「それだけじゃないよ。宇梶さんと金森さんが狙われたってことは、二人と競合するような順位……学年でも成績上位の人が犯人ってことになるでしょ。そこに加えて、今回不正が疑われたのは現代文。現代文で金森さんと競ってた相手といえば」
……相模の言い分には納得できる部分もある。
まず、おそらく成績上位の者が一連の事件に関係しているという点。
私たちに不正行為の嫌疑をかけることでメリットがあるのは、成績の近い者だけだ。この一点だけでも、疑わしい人物をある程度絞り込むことができる。
そうして数ある教科の中でも現代文が狙われたという点。
他の教科ではなく、現代文のみを標的とすることに特別な意味があるとするなら。
浮かび上がる人物は、ほとんど確定している。
途端に胸やけのような不快感が広がり、私は深く息を吐き出した。
「もうやめましょう」
三人が一斉に私を見遣る。
「これ以上大事にするのも、罪のない人を疑うのも嫌なの。この件はもう気にしないで」
「気にするよ……だって反省文の提出来週いっぱいでしょ? なら、それまでになんとかしないと。俺も協力するから」
「やめて」
突き放すような言い方になってしまった。すぐに自分の犯したミスに気づく。
けれどこれ以上に私の心情を的確に表せる言い回しも見つけられない。結局深くこうべを垂れて、哀願するようにそっと呟く。
「枷になりたくないの」
無実の罪を着せられることも、疑いの眼差しを一身に注がれることも、身に覚えのない嫌疑で誹られることも、どれも苦しいことばかりだ。
けれど、どんな責め苦より、自分が誰かの枷になっているという事実が最も私を追い詰める。
私一人が責められるくらいなら、いくらだって耐えてみせよう。
だけど誰かの手を煩わせるのはダメだ。私の分の荷物を誰かに背負わせるのはダメだ。
一人でも立っていられる私でないと、私が私の存在を許せない。
「お願い。私のことはもう放っておいて。みんなに迷惑かけたくないの」
「迷惑なんて思わないよ」
被せるように発せられたひなの言葉にも、ゆるやかに首を振ってみせる。
あどけない面立ちをくしゃりと歪めたひなに、私はそっと微笑みかけた。
「私を想ってくれるだけでじゅうぶん。だからこの先は、私の好きにさせて」
「……わかった」
低く喉を鳴らしたのは相模だった。
膝の上で拳を握りしめる。顔を伏せたまま小動ともしない。考え込むように瞑目していたかと思えば、何かを決心したかのように浅く息を吸い込んだ。
ゆるりと頭を持ち上げる。私を射抜いた瞳には毅然とした色が強く浮かんでいる。
「なら俺も、好きにさせてもらう」
「……は?」
「金森さんが何を言っても譲らないことくらい、いい加減わかってるよ。だから俺も俺で、俺のやりたいようにやらせてもらう。金森さんがなんて言ってもね」
「あんた、なにするつもり」
「言ったでしょ、さっき」
さっき?
私が正解に辿り着くよりも早く、相模は席を立っていた。
話を無理やり切り上げるように部室の外へと出て行ってしまう。
「ちょっと!」
慌てて後を追う。部室を出てすぐ、廊下の真ん中で、相模は緩慢に振り返った。
……あの胡散臭い笑みとともに。
弓なりに歪む瞳。緩く弧を描く唇。髪と同じ色の長い睫毛が、美しい琥珀色に深い影を刻む。
茜色に満ちた廊下に響くのは、幼子に言い聞かせるように優しい声。
「大丈夫。俺が証明してみせるよ」
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