第12話 見つめてくれるなら④

 お化け屋敷から出ると、一瞬で人波に呑まれた。


 廊下には相変わらず長い行列が伸びている。ただでさえ手狭な通路が余計に窮屈だ。


 なんとか人波を掻き分けて進もうという人々の流れがぐちゃぐちゃに入り乱れている。

 廊下へ一歩踏み出しただけで体がもっていかれた。


 あちこちから体を押されて、自分の意思とは無関係に脚が動いてしまう。

 人波に埋もれてしまって、一瞬相模を見失った。


 お化け屋敷の出口あたりで、ちらりとミルクティー色の髪が揺れる。

 私がその名前を呼ぶよりも早く、相模が私を見つけて声を張り上げた。


「金森さん!」


 手を伸ばす。

 人ごみの上から相模もこちらへ手を伸ばしている。指先が触れて、手のひらを伝って手首を握りこまれた。


 ようやく合流できる……そう安堵したのも束の間、止まる気配のない人の流れに巻き込まれて、相模がこちらへ流れてきた。


 何度も引き離されそうになりながらも互いに強く手を握り合って、なんとか壁際に寄って合流する。

 互いの肩を掴み合いながらようやく一息ついて、私は相模の胸にぽつりと呟いた。


「……はじめてあんたのそのバカでかい体に感謝したわ」

「え、今? もっと今までにタイミングなかった?」

「なかった。ずっと邪魔だなと思ってた」

「割とショックなんだけど……」


 移動しよっか。相模に促されて、互いの手を取る。そうして片時も離れまいと肩を寄せ合って三階を脱出した。







 それから二人で校内のあちこちを巡った。


 天文部の展示、小野寺くんも所属する吹奏楽部の発表、手作りのジェットコースター、手芸部のバザー、脱出ゲーム……。

 当然校内すべてを回ることはできない。続きは二日目に持ち越しとなった。


 一日目終了まで残り一時間ほどとなった頃。

 私は中庭のベンチに腰かけていた。


 特設ステージの上ではダンスの発表が行われている。ノリのいい曲に合わせて立ち上がった観客が手拍子で盛り上がる。

 私は少し離れたところでそれをぼんやり眺めていた。


 深く息を吐き出して、そっと瞼を閉じる。生ぬるい九月の風が柔らかく頬を撫でていくのが心地よい。


 その時、頬に冷えたものが触れて全身が跳ねた。


「みっ!?」

「足元で蝉が死んだのかと思った」


 目を開けると、相模が両手にドリンクを持って私を見下ろしている。


 失礼な……嘆息しつつ、差し出されたドリンクをありがたく受け取った。

 氷がたっぷり入ったグラデーションドリンク。よく見ると、小さな冷凍フルーツが浮かんでいる。


 文化祭ってこんなこともやるのか……。静かに感嘆する私の隣に相模がゆったりと腰かける。そうして満足気に長く息を吐き出した。


「楽しいなあ」


 ふいに相模が呟いた声は、鼓膜を通って私の胸にじんわりと溶け込んだ。


「うん、楽しい」


 私がそう返せば、相模はうっとりとした微笑を浮かべて私を見下ろした。


「俺さ、自分がこんな風に学校を楽しめる日が来るなんて思ってなかったんだ」


 意外なセリフに顔を上げる。


 いつでも話題の中心にいて、誰からも慕われる陽キャのトップみたいな学校生活を送っていたくせに。そんなことを考えていたなんて。


 瞠目する私を見下ろして、相模は気恥ずかしそうにはにかむ。


「だから俺が今こうして文化祭満喫できてるのも、毎日学校に来るのが楽しみなのも、ぜんぶ金森さんのおかげ。ありがとう、金森さん。あの日俺を見つけてくれて」


 歌うように告げる。そうして静かな笑みを零す。


「……ふふ。金森さんがノート集める係でマジよかったあ。別の人だったら、きっと卒業するまで金森さんと話さなかったと思うもん」

「それは私も思うわ。ていうか実際、あの日まで相模とは一生接点がないまま終わるんだと思ってたし」


 きっかけは間違いなく最悪だった。

 だけどそのおかげで今こうして付き合っているなんて、なんだかとても不思議だ。


 相模の人となりを正しく知って。彼の心に触れて。一緒に過ごす時間が楽しくて。世界が広がって。

 今このときのために最悪の出会いがあったなら、最悪もそんなに悪くないのかもなんて思える。


「金森さん」


 ふいに柔らかく名前を呼ばれる。相模は目を細めて綺麗に笑っていた。


「俺、絶対金森さんに報いるから。だからもう一つだけお願いしてもいいかな。金森さんにしてほしいこと、もう一つ見つかったんだ」

「……なに」


 おもむろベンチから腰を持ち上げると、私の目の前まで移動してくる。

 芝生の上に恭しく膝をついて、そっと私の手を取った。


 さながらプロポーズのように。あるいはお伽噺の王子様のように。相模が儚い微笑で私を見上げる。


「金森さんの心の中に、俺の居場所をください」


 それは不思議な言い回しだったが、私の胸にすとんと落ちた。


 ……うん。私たちは、それでいいんだと思う。


「はい」


 私が微笑むと、相模は泣き笑いのような、くしゃくしゃの笑みを浮かべた。


 そっと手を握りこまれて、私も優しく握り返す。

 そうしてこんなタイミングで申し訳ないけど、と口を開いた。


「ねえ、相模。私ももう一つ行きたい場所があるの。付き合ってもらってもいい?」



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