第12話 見つめてくれるなら③
三階の廊下には既に長蛇の列が完成していた。
人混みを掻き分けながら列をなぞるように進んでいく。先頭がお化け屋敷の入口に繋がっているのが見える。
ということは、この列のどこかに法被のスタッフが……いた。
先頭から数組程度のところで、法被を着た男子生徒が大きな欠伸をしていた。
チケットを見せながら声をかける。
「お、バカップル」
開口一番に罵倒された。
なんでバカップルで浸透してるんだ……。
「よく当てたじゃん。すごいねーじゃあ行ってらっしゃーい」
ぞんざいな言葉とともに入れ替わり、男子生徒は列の最後尾に消えていった。大変な仕事だ……。
「これ当ててラッキーだったね」
相模の言葉に頷く。私たちはほとんど待つこともなくお化け屋敷の中に案内された。
振り返ると廊下の奥まで果てしない列が続いている。
もしこれに最後尾から並んでいたらと考えたらぞっとする。
「怖いの苦手?」
入口の直前で相模に問われる。私は少し考えて、淡々と答えた。
「別に平気。びっくりさせられるのが嫌いなだけ」
「それを世間では怖がりって言うんだよ」
そんな世間は知りませんね……知らんぷりをしているうちにドアが空いて、スタッフに中へ通された。
教室の中は限りなく暗い。廊下との明るさの差で目がちかちかする。
窓際は暗幕が閉められているだけでない。あの手この手を使って室内に光が入り込まないように工夫されている。
入り組んだ通路はまるで迷路のよう。中には狭いトンネルを潜らなければならない箇所もあるようだ。
文化祭のお化け屋敷なんて程度が知れていると侮っていたが、あちこちから爆発的な悲鳴が上がるとそれだけで恐ろしい。
知らず、相模のTシャツを握りこんでいた。
「……あの、金森さん。動けないんだけど。とりあえず前行ってもらえる?」
「嫌よ。だってこの壁見るからに怪しいもの」
目の前には三メートルほどの直線通路が伸びる。壁に貼り付けられたお札やら新聞紙やらが、どこからか拭いてくる扇風機の弱風で揺れている。
絶対壁の奥に人がいるやつだ。私の本能が告げていた。
「よし、別のルートを探しましょう」
「ないよ。ここだけだよ」
「よく見て。そこのカーテンをめくれば抜けられそうよ」
「うん、スタッフが使うやつだね。裏側入っちゃうからやめようね」
柔らかく窘められて奥歯を噛み締める。
くそ、行くしかないのか……!
深呼吸をして、覚悟を決める。よし。
そろりそろりと忍び足で三歩ほど歩いたところで、突如壁から無数の手が生えた。
ズボッ!
「ギャーッ!」
「なんでわかってるのに驚くかなあ……」
通路の途中で立ち止まった私の背を相模がぐいぐい押して急かしてくる。
やめろばか押すな!
「やだやだ絶対触ってくるじゃない!」
「触らせないから大丈夫。はい行くよー」
私の体に触れそうになった手を相模がぺしぺしと弾きながら、無理やりに歩を進める。
はじめは呆れた様子の相模だったが、段々と私の悲鳴がツボにはまってきたようだ。
物影から人が脅かしてきて悲鳴。
上から生首が落ちてきて悲鳴。
隣の通路から上がった誰かの悲鳴に驚いて悲鳴。
最後の方はもう何に驚いていたのかもわからない。
ぜえはあと息切れする私の背後で相模が笑いを噛み殺している。
教室の広さから考えてそろそろゴールかと思いきや、どうやら隣の教室と一体となっているようだ。本来ドアがあるべき箇所に通路が見える。
「くそ、まだあるのかよ……」
「大丈夫だよ、俺が守ってあげるからね。……ふふっ」
ちくしょう。楽しみやがって。
通路を抜けて隣の教室に移る。すぐ目の前に背の低いトンネルが現れた。
これ幸いとトンネルを親指で指さして道を譲る。
「よし相模、先行け」
「ここまでビビり散らしておいてその態度保てるの、いっそ尊敬するよ……」
呆れたように肩を竦めながら相模が身を屈める。
トンネルは机や百均のワイヤーネットを組み合わせて、それなりに頑丈に作られているようだ。相模が潜っている最中も安定している。
相模がトンネルの出口に差し掛かったのを確認して、私も後に続く。
上背のある相模は窮屈そうだ。女子である私はまだ余裕をもって通ることができた。
と、トンネルの中腹あたりで動きが止まる。
「どうかした?」
「ん、なんか……」
下半身を軽く引っ張られるような違和感を覚えて振り向こうとしたが、それも叶わない。
「ごめん、スカートが引っ掛かったかも」
おそらくトンネルの一部に使われている金具にスカートの裾が引っ掛かってしまったのだろう。
引くことも進むこともできず困り果てる私を見て、相模がトンネル内に体を潜り込ませてきた。
「俺取るよ。少し下がれる?」
「うん」
言われた通りに体を引いて、相模が作業できるだけのスペースを確保する。
ただでさえ狭い通路。そこに二人向かい合うように潜っているせいで、相模は非常に窮屈そうにしていた。
申し訳ないなと反省しつつ見守る。
「取れたよ!」
相模が安堵の吐息を漏らした。
私の様子を窺おうとして首だけ振り向いた瞬間、互いの鼻先が触れそうなほど接近する。
一瞬で呼吸が止まる。
心臓が爆発したみたいに早鐘を打ちだす。
互いに瞬きすらしない。至近距離で瞳を見つめ合った。
やがて相模の戸惑うような、躊躇うような吐息で、私も状況を正しく理解する。
これは……そういう空気なのだろうか。
どうせこの中なら、誰かに見られることもない。
バカップルだと揶揄されることもない。
当然、恋人という関係なら、そういう行為に及んでもなんら不思議はない。
言い訳をするみたいに心中で言い募る。
どっどっど……止まない鼓動の隙間で、相模の指が私の手に触れた。
瞬間、弾かれたみたいに口をつく。
「だっ、ダメ」
未だ混乱に飲まれながらなんとか発することができたのはそれだけだった。
あまりにも情けない声。
相模が「えっ」と素っ頓狂な声を上げる。
「……ダメ、ってなに」
「……まだ、ダメ」
「俺はてっきり、嫌って言われると……」
うるさい知るか、私だってよくわかってないんだよ!
「し、知らない」
「知らないわけないじゃん。ねえダメって、まだってどういう」
「うるさい邪魔早く出ろ!」
相模の肩をぐいぐいと押し出して、無理やりにトンネルを脱出した。
さっさと立ち上がった私の背後で相模が上ずった声で喚いている。
「バカップルじゃないって証明しなきゃなんないのよ!」
「誰に!?」
「ここのスタッフに!」
私が叫んだ直後、壁の向こうから舌打ちが飛んできた。
ほらやっぱり怒ってる!
それからは羞恥に駆られた勢いで出口まで駆け抜けた。道中何が起こったのかはほとんど覚えていない。
ただ、一度たりとも悲鳴を上げる余裕がなかったことだけが確かだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます