第11話 もう一度恋からはじめましょう②
体育館倉庫の入口に差し掛かると、ちょうど誰かが展示用のパネルを運び出そうとしているところだった。
入口の外で須藤さんと立ち止まって道を譲る。
「ああ、どうも」
パネルを運ぶその人の声と柔らかそうな金糸の髪には見覚えがあった。
「柳先輩?」
「え? うわ、深琴ちゃん。よく会うね」
巨大なパネルをたった一人で運び出そうとしているその人は、柳楓馬先輩だった。
パネルの重みに端正な顔立ちを歪めている。
……失礼だけど、先輩一人で運ぶのは無理があるのではないだろうか。
捲った袖から伸びる腕は白い。ひょろっと縦に細長い体つきは、同年代の男子たちの中でも頼りなく見える。
ちょいちょいと肩を突かれて振り向く。須藤さんが私の耳元に唇を寄せて内緒話をするみたいに囁いてきた。
「知り合い?」
「うん。お世話になってる先輩」
「ふーん……じゃあ手伝ってからおいでよ。どうせ戻ったら兎堂に絡まれるでしょ」
「そうするわ。ありがと」
私は先輩の抱えるパネルの端を持ち上げた。
「手伝います。どこまで運べばいいですか?」
「え、いいよいいよ。これ超絶重たいから深琴ちゃんじゃ無理だよ」
「私と一緒でも無理なら、なおさら先輩一人じゃ無理でしょう」
「……確かに」
重々しく首肯して、先輩は「ここの二階までお願い。これと、あと二枚」と告げた。
これをあと二枚か。……筋肉痛の予感がする。
「了解です。じゃ行きますよ、せーの」
出入口側に立っていた私が誘導するようにして進んでいく。
パネル三枚と組立て用の脚を二階まで持ち上げるのはなかなかに骨が折れた。最後の一枚を運びきった頃には、二人ともすっかり汗だくになっていた。
夏本番を過ぎた九月とはいえ、体育館の中は蒸している。
へろへろになって、二人同時に雪崩を起こしたみたいに体育館の床に倒れこんだ。
ひんやりと素肌に伝わる床の温度が心地よい。スカートの端を持ち上げてぱたぱたと仰ぎながら、首だけ動かして柳先輩を睨めつけた。
「なんでこんなの一人でやろうとしたんですか」
「本当は部員も来てくれるはずだったんだよ。クラスの方が忙しくて遅れてるみたいだけど」
大の字に寝転がった柳先輩が、息も絶え絶えになりながら憎らし気に答えた。
陶器みたいに滑らかな肌を真っ赤に染め上げて、何度も薄い胸板を上下させている。
私はなんとか体を起こして、まだ荒い呼吸の間でなんとか言葉を紡ぐ。
「なら、写真部の人たちが来るまで私も手伝いますよ。一人じゃ組み立てられないでしょう」
翡翠の瞳がゆるやかに見開かれる。それからぐっと唇を噛んで、拗ねてるみたいにか細い声で呟いた。
「……いいよ。ここでしばらく待つから。深琴ちゃんはクラスの方があるでしょ」
「でも」
「あんまりオレにばっかり優しくしてると、相模に怒られるよ」
「別にこれくらいなんとも思わないでしょう」
口にした直後、それはどうだろう、と内心で首を捻った。
最近の相模を見ていると、兎堂くん以外の男子と接することも許されないのではないかなんて思えてしまう。
心を許していて、なおかつひなという恋人がいる結城くんはともかく、柳先輩や聖山くんが相手となると……と、そこまで想像して気づく。
そもそも、なぜ私が誰かと関わることに相模の許しを得なければならないのだ。
交際相手以外の異性との接触は控えるべきというのが、世間一般での認識なのだろう。
にしても、私は柳先輩や、ましてや兎堂くんに対して恋愛感情のようなものを抱いたことなどただの一瞬もない。
相模に憚る道理などないはずだ。
「……そうだね」
ふいに先輩が零したひと言に、一瞬、思考を見透かされたのかと錯覚した。
けれど、続く言葉で途切れていた会話の内容を思い出す。
「あいつを言い訳に利用してるだけ。自分の臆病さをあいつのせいにしてるだけなんだ」
全身から力を抜いてぼんやり天井の一点を見つめる様は、抜け殻みたいに見えた。
淡い輝きを纏った金髪が床に散らばっている。流麗に伸びた線を辿っていくと、その根元が墨を垂らしたみたいに黒ずんでいることに気づいた。
……地毛じゃなかったのか。
先輩が眉間に皺を寄せた。私の視線から逃れるように、汗の滲んだ腕で顔を覆い隠してしまう。
「情けないなあ」ほとんど泣いているみたいな声だった。「かっこ悪いとこばっかり見せてる」
先輩のこめかみを小さな雫が伝う。涙ではないとわかっていても心臓が跳ねた。
突然どうしたのだろう。
「ごめんね、深琴ちゃん」
「……いえ」
なにに対する謝罪なのか、私はなにを否定したのか。
なにもかも判然としないままに首を振って、やっぱりなにも言わなければよかったと後悔した。
「あんまり優しくされると、本当に欲しいと思っちゃう。だけどオレは相模やあの男の子みたいに勇敢じゃなくて……、もう、報われたいと思うことすら怖いんだ」
覆い隠す腕の下で、先輩は泣いているのだろうか。
悲痛に揺れる声は体育館の壁に反響して、私の脳みそを何度も揺さぶる。
「ごめん、一人にしてほしい」
続く言葉で、心臓を握り潰されるような心地がした。
「誰かといると自分の無価値さを思い知らされて、死にたくなる」
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