第10話 嵐のはじまり⑤
実行委員会は先週同様、第一会議室で開かれた。
後方の席に並んで腰かけ、
「飲食系の中でも喫茶店は人気が高いから、第一希望は抽選になると思う。第二希望だけど……たぶん、お化け屋敷の抽選で落ちたクラスが流れてくるんじゃないかな」
「……うん」
彼の並べる言葉自体は概ね正しく、なんら疑問を持つべき部分は見当たらない。……けれど。
ふわり。兎堂くんの吐息が一瞬耳朶を掠めて体が震えた。
「最悪第三希望になったとしても、大事なのは場所かな。人通りの多い所さえ取れれば売り上げも期待できるし、そんなに悪い結果にはならないと思う」
「そ、そうね……」
「金森さんはどう思う?」
どう思うって……うーん、距離が近いかなあ……。
口にすることもできず、私は苦笑いを浮かべるに留めた。
兎堂くんが私の肩越しに資料を覗き込んでくる。吐息やら毛先やらが肌に擦れて、そわそわと落ち着かない。時折私の肩へ頭を預ける様は、あまりにも無防備だ。
これが相模だったら適当に突き飛ばしておしまいなのに。
どうしたものかと困り果てる私の背後から、その声は突如響いた。
「その子彼氏いる子だよ」
降り注いだその声の主を、私は縋るような心地で仰ぎ見た。
や、ヤナパイ~!
後ろのドアから入室してきた柳先輩が呆れたように私たちを見下ろしている。
先輩の言葉をきっかけに左肩から重みが消えたが、相変わらず肩同士は磁石でもついているみたいに密着したままだ。
「知ってます」兎堂くんは平然と言葉を継いだ。「でもそれって、おれが金森さんと仲良くすることには関係ないですよね? 金森さんは相模くんの所有物じゃないんだから」
「ははっ、すっごい自信」
「いやあ、自信なんかじゃないですよ」
瞬間、柳先輩の顔からそれまでの軽薄な笑みが消え失せる。
底冷えするほど温度のない声音と眼差しが、容赦なく兎堂くんに降り注いだ。
「自分なら選ばれるって自信があるんでしょ? 選ばれなかったらどうしようとか一ミリも考えないから、そういうふざけた真似ができるんだよ。残念だけど、深琴ちゃんは君を選ばないよ」
柳先輩の声はあまりに鋭い。私に向けられたものでないのに心臓を鷲掴みにされたような心地がした。
対する兎堂くんは動じない。眉一つ動かさずに先輩の視線を受け止める。
「そんなの本人に訊いてみないとわからないじゃないですか。ねえ、だって今も、金森さんはおれを選んでここにいるんだから」
しっとりとした微笑は挑発的ですらあった。
先輩の眉がぴくりとわずかに跳ねる。
兎堂くんの視線が私に向けられる。至近距離から見つめる真紅の瞳は、私の返答を待ち焦がれるように輝いていた。
「えっ、と……」
喉に声が張り付いて、うまく発声できない。それ以前に今自分がなにを言うべきかすら判然としていないのだ。
返答に窮して固まった私の緊張を解したのは、吐息を吹き込むように囁かれた先輩の声だった。
「深琴ちゃん。前行こう」
机に手をついて、身を乗り出すようにして私の耳元に唇を寄せた先輩が、教室前方を指さす。
見ると、ホワイトボードに大きな文字で『各クラス一枚ずつ』と記されていた。目の前の長机の上に数枚のプリントが置かれていて、各クラス代表一名が取りに行く流れのようだ。
「私持ってくるね」
早口で告げて、席を立つ。
先に歩き出していた先輩の背を追って、狭い通路を足早に進んだ。
プリントを拾い上げながら、そっと先輩にだけ聞こえるように声をかける。
「ありがとうございます。助かりました」
「別に助けた訳じゃないよ」
そっけない返答に顔を上げる。先輩の瞳は、またもや私を捉えてはいなかった。
「ああいうの、見ててイライラするんだよね。無駄に自信に溢れた奴」
「鬱すぎる」
げんなりと呟いて肩を落とした私の隣で、兎堂くんが苦み走った笑みを浮かべている。
「運だからね。仕方ないよ」
「運がないって罪ね……」
第一希望から順に抽選を行い、私たちは最後に残った第三希望に決まった。
既に今日の委員会は解散されている。第一希望をもぎ取ったクラスの実行委員たちが大はしゃぎで会議室を飛び出していった。
一方で、余りものに落ち着いた私たちは未だ座席に崩れ落ちたまま微動だにせず、ぼんやりと中身のない会話で気を紛らわせていた。
「みんなに報告したくない……」
プリントをクリアファイルにまとめていた兎堂くんが、机に突っ伏したままの私に優しく笑いかける。
「大丈夫。おれも一緒だから」
「うう……」
「おれたち運命共同体でしょ? ねっ」
強めに励まされて、私はようやく上体を起こした。
明日の
「帰ろっか」と短く告げて、荷物をまとめて立ち上がる。
ドアへ向かいさっさと歩き出した私の背後で、兎堂くんが椅子を引きながら控えめに声を発した。
「人間ってさ、はじめからみんな欠けてて、片割れを探してるんだって」
唐突な話題に、私は足を止めて振り返る。
訝しむような私の視線を受けて、兎堂くんは薄い笑みを返した。
「倫理の先生が言ってた。人間が誰かを愛するのは、片割れを探してるからなんだって」
鞄を肩にかけて、ゆったりとした足取りでこちらへ歩んでくる。
そうして隣に並び立つと、ふいに私を見上げて尋ねた。
「金森さんにとっての片割れは、相模くんかな?」
「……い、いやいや。相模はそういうのじゃないわよ」
突然なにを言い出すのかと思えば、なんだ片割れって。重すぎるだろ。
やや引き気味に首を振る。兎堂くんはふっと吐息を漏らして唇の端を持ち上げた。
「そっか。ならよかった」
「……? うん……」
「よかった」ってなに……?
呆然と佇む私を置いてけぼりにして兎堂くんはさっさと廊下に出てしまう。私も慌ててその後を追った。ドアを潜りながら、兎堂くんが半身で振り返って私に呼びかける。
「ねえ、文化祭二人で一緒に回ろうよ。どうせ当日にも仕事あるでしょ? 一緒にいた方が都合がいいと思うんだ」
「金森さんは俺と回るからダメだよ」
廊下へ一歩出たと同時、響いた声にぎょっと足を止める。
第一会議室を出てすぐの廊下で、鞄を肩にかけた相模が私たちを待っていた。
兎堂くんの横を通り抜けて、まるで私しか見えていないかのように歩み寄ってくる。
「今度から迎え来るから、委員会ある日は教えて」
「縛り付けるのはよくないよ、相模くん」
「は……? 部外者に口出しされる筋合いはないんだけど」
そこではじめて兎堂くんに視線を投げる。
首だけで振り返って、睨みつけるようにして兎堂くんを視界に捉えた。
「俺たち付き合ってるんだから」
低く唸るような声で宣言した相模が私と兎堂くんの間に壁を作る。
相模の体に阻まれたせいで兎堂くんの姿は見えない。薄くて冷たい声音だけが廊下の壁に反響して耳に届いた。
「相模くんじゃ金森さんの片割れにはなれないよ」
一瞬にして空気がぴりつく。
険悪な空気の二人に挟まれながら、私はぼんやりと記憶の糸を辿った。
なんかこの感じ、知ってるような気が……。
兎堂くんの表情を窺おうとして身を乗り出したところで、相模が挑発的に問いかける。
「じゃあなに。兎堂くんならなれるっていうの?」
兎堂くんはしっとりと妖艶に微笑むだけで、明確ななにかを口にしようとはしない。柳先輩の言葉を借りると、相当自信があるみたいに感じた。それが余計に相模の神経を逆撫でする。
一方で、私もようやく既視感の正体に思い至る。
妙な距離感といい、執着といい、一学期の相模によく似ているのだ。
そうしてもう一つ、思い至ってしまう。
どう考えても自意識過剰だ。調子に乗ってると思われても仕方がない。けれど。
……もしかして兎堂くんは、私に気があるのだろうか。
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