第10話 嵐のはじまり③
実行委員会は管理棟一階の第一会議室で行われる予定だ。
管理棟までの道のりを先輩と二人並んで歩いていく。
「先輩も実行委員になったんですか?」
問うと、ターコイズの瞳がちらりと私を見下ろす。それも一瞬のことで、すぐに廊下の先へと戻されてしまった。
「ううん。オレ写真部だからさ。当日の記録係任されてるんだよね」
「へえ。てことは、文化祭では何か展示を」
「やるよ。多分第一体育館の二階かなあ。一昨年もそうだったし」
うちの高校では二年に一回文化祭が開催される。
つまり、柳先輩の代は一年次と三年次の二回文化祭があるが、私たちの代は二年次の一度きりということだ。
そういった事情もあってか、他学年に比べてうちの代は殊更気合が入っているように思う。
「前回の文化祭はどんなことをやったんですか」
「んー、飲食系とかお化け屋敷とか……あとステージでミスコンとミスターコンがあったな。オレも出たし」
「え、立候補して?」
「クラスの奴が勝手にエントリーしてたんだよ」
「へえ……」
「ジャニーズみたいでしょ」
「それは知りませんけど」
なんでそんなジャニーズにこだわるんだ。
しかしミスコン・ミスターコンとは。なんとなく時代を感じる響きである。
「あれってもう時代に合ってないですよねえ」
「そうだね。だから今年はやらないと思う。やらなくていいよ、あんなの」
「どうしてです?」
「だってどうせ相模が優勝するでしょ。結果わかってんのに、やる意味ないよ」
うんさりしたように肩を竦めてみせる。
「柳先輩かもしれませんよ」
「無理無理、オレじゃ勝てっこない。もう誰もオレのことなんて見てないんだから」
淡々と語る声音には温度がない。
卑屈になっているのではなく、ただ単にありのままの事実を述べているだけのような冷たさがあった。
どう返したらいいものか悩んで、結局口を噤んでしまう。
そうして長い沈黙が落ちる。やがて先輩の密やかな囁き声が人気のない廊下に響いた。
「なにか一つでもあいつに勝てるものが欲しかったんだ」
先輩の横顔を見上げる。
温度のない眼差しは廊下の先に注がれたまま、こちらへ向けられる気配はない。
「だけどもう無理だってはっきりわかった」
声音には相変わらず感情が込められていない。それがかえって恐ろしかった。
悲しみも、絶望も、哀切も、なにもない。
「オレの価値はオレがいちばんわかってるから」
その言葉を最後に話が尽きた。
第一会議室には各クラス二名ずつ代表が集まっている。
ぐるりと見渡すと、なんとなく学年ごとに座る席が決められているようだ。後方に色素の薄い髪を見つけた。柳先輩と別れそちらへ向かう。
「よかった。間に合ったんだね」
初回ということで、まずは一年生から順番に一人ずつ軽い自己紹介。次に学年ごとに分担が決められた。
一年生が校内の装飾、つまり入場門のアーチを作ったりする仕事。
私たち二年生は三年生の補佐と事務仕事。三年生は委員会全体の運営と当日のステージ進行が割り振られた。
「来週までに各クラスの出し物を第三希望まで決めてきてください。他クラスと被ったところは抽選にします」
最後に三年生の実行委員長がそう宣言して、その日の委員会はお開きとなった。
もらったプリントを整理しながら、兎堂くんが私の顔を覗き込む。
「来週、
「そうね」
「大変そうだけど一緒に頑張ろうね」
ぐっと両の拳を握りこんで意気込む兎堂くん。私は一瞬だけ逡巡して、胸につかえていた疑問を吐き出すことにした。
「兎堂くんはどうして立候補したの?」
問うと、兎堂くんはきょとんと目を丸くした。そうしてにんまり意地悪な笑みを浮かべる。
「知りたいの? どうしよっかなー、教えちゃおっかなー、でもなー」
焦らすような口ぶりで私の反応を窺ってくる。
「おれね、ずっと金森さんのこと見てたんだよ」
「うん?」
「金森さんってさ、お昼におれの机使った後、必ず除菌シートで拭いてくれるでしょ」
「ああ……そうね確かに。でもそれって普通じゃない?」
「普通じゃないよ。他の人はやってくれないもん」
言われてみれば確かに、他の人が拭いているところは見たことがないかもしれない。
一般的な高校生の感覚としては気を遣いすぎなのだろうか。
「いつも使わせてもらってありがとね」
私が告げると、兎堂くんはゆるやかに首を振ってうっそりと微笑んだ。
「いいよ。金森さんなら使わせてあげる。金森さんは特別だから」
妙な言い回しに軽く首を捻った私を、兎堂くんは身を乗り出して至近距離から見つめた。真紅の瞳がつっと慈しむように細められる。
「金森さんの律儀で几帳面なところ、ずっといいなと思ってたんだ。だから金森さんがやるなら、おれも一緒に実行委員やりたいなって」
ぎゅん!
「……金森さん?」
「はっ」
いけない、きゅんが過ぎてぎゅんになっていた。
久々に裏表のない無垢な人間と接した。急速に心身が癒されていくのを感じる。
「ふふ。相模くんに勝ててよかった。これからおれといっぱい仲良くしてね」
ここ最近は相模や柳先輩といった、めんどくさい男に絡まれてばかりだった。おかげで、兎堂くんの無垢さに警戒心の欠片すら抱くことができない。
私は兎堂くんの言葉をなんら疑うこともせずに、「うん」と頷いてしまったのだった。
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