第9.5話 邂逅②

 店を出てからも湊は落ち込んだままだった。

 車内にもなんとなく居心地の悪い沈黙が続いている。


 助手席の母が体を捻って、後部座先に座る湊の様子を窺う。


「湊。夏休み終わっちゃうし、今度一緒にどこか出かけよっか」

「ん……」

「プール行った? 海でもいいねえ。どこでも連れて行ってあげる。お父さんが」

「え、ああうん……」突然水を向けられた父が戸惑ったように頷いた。「そうだね、また四人でおでかけしようか。そうだ、花火もやろう」


 それまで唇を引き結んで黙りこくっていた湊が、「花火」という単語ではじめてぱっと顔を上げる。


「花火やったよ」

「え?」

「ふうまと!」


 ふうま……? 両親が同時に首を傾げた。


「ふうまはね、お姉ちゃんのお兄ちゃん」

「え……? 深琴の彼氏!?」

「ちがっ、違うって! 学校の先輩」

「かれしはさがみだよ」

「湊!」


 私が叫んだ直後、動揺した父が急ブレーキを踏んだ。体が勢いよくつんのめる。


「お父さんちゃんと運転してよ」

「ごめん……えっ彼氏? 深琴、彼氏いるのか……?」


 赤信号なのをいいことに、父は体ごと振り向く。助手席の母もやけに真剣な顔つきで私の様子を窺っていた。


「……いる」


 母が歓声を、父が大きなため息を漏らす。

 ああもう、だから言いたくなかったのに。

 

「誰、誰? 紹介してよ」

「いいから。マジで放っておいて」

「湊、どんな人だった?」

「えっとねー」

「やめてやめて! あっ信号青!」


 私が前方を指さすと同時、後続車がクラクションを鳴らす。父が慌ててアクセルを踏み込んだ。

 そうして少し走ったところで「えっと」と躊躇いがちに口を開く。


「こんなタイミングで申し訳ないんだけど、コンビニ寄ってもいい?」

「今!?」

「ご、ごめん……」


 駐車する否や、私はこれ幸いと車内から逃げ出した。

 特に用もないけど、この空気から逃れたい一心で店内に駆け込む。


 父がトイレに入っていったのを見送って、特に意味もなく雑誌コーナーを眺めていたそのとき、通路の陰から出てきた人があっと短く声を上げた。

 つられるように顔を上げて、思わず停止する。


 ミルクティー色の髪と琥珀の瞳。見飽きたくらい脳裏に刻まれたシルエット。見間違えるはずもない。

 相模はオレンジ色のかごを携えて、呆然と私を見つめたまま立ち竦んでいた。


「か、金森さん」

「……相模」

「え? なんでいるの。家こっちじゃないよね」

「あ、うん。今日は家族と出かけてて……」


 互いに動揺を隠せないまま途切れ途切れに言葉を紡ぐ。通路の陰から人が出てくるのが視界に映って、私は体をずらした。

 背後からの人影に気づかない相模をどけようとして手を伸ばしたまさにそのとき、人影──若い女性が口を開く。


「マサくん」


 相模が弾かれたように振り向いた。

 年齢は私と同じくらいだろうか。胸の下まで伸びた黒髪を靡かせた彼女は、自然な動作で相模の腕に手を添えた。


「夜食も買ってこーよ。今日は……、」


 不自然に言葉を区切って、はっと気づいたように私を見遣る。


「……誰?」


 目を細めて、値踏みするような眼差しで私を射抜いた。

 長い指が相模の素肌を撫でると、自分が触れられた訳でもないのに全身に悪寒が走る。

 心臓が激しく脈を打ち出す。


 相模は私とその人を交互に見遣る。しかし声を出そうとして失敗したみたいにぱくぱく口を開閉させることしかできない。


「えっと……、」ようやく声を発した相模が私を一瞥したのを、どうしてか私は祈るような心地で受け止めた。


「と、友達」


 どきん。心臓が一つ大きく跳ねた。

「ふうん」女性が興味なさげに吐息を漏らす。

 内側は熱いのに、体の表面からすうっと温度が失われていくような心地がする。


 はっと何かに気づいた様子で、相模は手に持っていたかごを女性に押し付けた。


「ムギちゃん。先レジ行ってて」

「は?」

「俺この子と話すことあるから」

「なにそれ」


 不愉快そうに眉を顰めた女性が相模の手からかごを奪い取ってレジへ向かう。

 横を通り過ぎる瞬間ふわりと漂った香りで、私は弾かれたように振り返った。


 この香り、私知ってる。


「金森さん」


 呼ばれて、一拍遅れて相模を見る。

 破裂しそうにうるさい心臓の鼓動が、相模が言葉を継ぐよりも早く私を突き動かした。


「じゃあまた二学期ね」


 作り物の笑顔と無駄に明るい声でその場を切り上げて、踵を返す。

 後ろで相模が慌てたように声を上げていたが、私は構わず歩き続けた。


 足早に駐車場へ出る。相模の声はもう聞こえない。自動車のエンジン音ばかりがざらりと鼓膜を撫でていく。それが今は心地良い。


 車まで戻り、ドアを開けようとしたところで初めて自分が震えていることに気づいた。

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