第9.5話 邂逅①

 探り合うような間が続いている。


 客で賑わうディナータイムのレストラン。

 金森家が一堂に会したこの個室だけは、さながらお通夜のように痛い沈黙に支配されていた。


 じっと黙りこくっていた父が、そろそろとディナーメニューから視線を持ち上げる。

 弱気な眼差しが向かう先は、正面に座った母。


 胸元まで伸びた黒髪に、青白い肌。切れ長の目元は私とよく似ている。


 薄暗い照明に照らされた母の面影は、私には懐かしく感じられた。

 最も新しい記憶に残る母の顔が、瘦せこけた病人のそれだったからだ。


 定期的に電話はしていたが、顔を合わせるのは久しぶりだ。実は私も少し緊張している。


 しかし父の方が、私よりよっぽど重症のようだ。

 一つ大仰にため息を吐いて、私は口を開いた。


「お母さん、私にもメニュー見せて。お父さんは言いたいことがあるならさっさと言って。あとみなとにメニュー見せてあげて」


 びくん。両親の肩が同時に震える。……なんだ、お母さんも緊張してたのか。


「そ、そうだね。ごめん……」隣に座る湊にメニューを差し出しながら、父が曖昧に笑った。「こうしてると春音はるねさんが二人いるみたいだね」

「は?」


 私と母の声が重なる。父はますます萎縮したようにか細く「ごめんなさい」と呟いた。

 いや、私もなんかごめん。


 母が遠慮がちに口を開く。


「……なにか、言いたいことがあったの?」

「へっ」父が目を丸くする。「な、なにも……」

「わたしはある」


 母の声は強張っていた。

 膝の上で拳をきつく握りしめて、木目調のテーブルにじっと視線を注いだまま宣言する。


「そろそろ本格的に就活を始めようと思う」


 母は叔母の家で療養しながら、リハビリも兼ねてパートを続けていた。


「だから、」私とよく似た瞳がはす向かいに座る湊を捉えた。「また一緒に暮らそう」


 母が恐る恐る首を巡らせる。私を見つめる眼差しは弱々しく、今にも泣きだしそうに揺らいでいた。


「深琴。今までたくさん背負わせてごめん」

「……仕方ないわ。気にしないで」

「これからはわたしも頑張るから。だからまた一緒に暮らしてもいいかな」

「僕も言いたいことがある」


 私が母の問いに答えるよりも早く父の声が会話を遮った。

 そこには数分前までの怯えは見られず、しゃんと背筋を伸ばした姿は凛々しくもある。顔を上げた父はまっすぐに母を見据え、敢然と言い放った。


「僕も実は本社に戻ってたんだ。今年の四月に。だから今はこっちで暮らしてる」

「……なんで言わなかったの」

「春音さんが元気になってからの方がいいと思って」


 言って、父は顔を伏せた。そうして小さく首を振ってため息に似た吐息を漏らす。


「嘘。ごめん、勇気がなかった」


 テーブル越しに二人の視線がぶつかるのを、私は固唾を飲んで、湊はぽけっと見つめる。

 父は大きく一つ息を吸い込むと、意を決したように声を張り上げた。


「今度こそ春音さん一人に背負わせない。僕も一緒に背負わせてほしい」


 母が息を呑むと同時、私は席を立った。テーブルに投げておいたスマホを掴んで湊に声をかける。


「湊。お姉ちゃんトイレ行くから、湊も一緒に行こ」

「えー」

「さっきジュースいっぱい飲んでたでしょ。これからおいしいごはんがいっぱい来るから、その前に。ね」


 私がそっと微笑みかけると、湊は渋々といった様子で首肯した。


 湊の手を引いて個室を出ると、一気に喧噪が溢れる。


 両親が近々復縁するのではないかという予感は、実は今年の春先あたりからうっすらと胸に浮かんでいた。

 父が母に対して未練を抱いているのは明白だったし、私から見たら母も同じだ。


 面倒だからと言って離婚後も苗字を戻さなかったのも、父に対して情を捨てきれていない証拠なのだと、ほとんど確信していたと言っていいだろう。


 狭い通路を時折料理を運ぶ店員を躱しながら進んでいく。ふと、湊が私の手をくいと引っ張った。


「お母さん、お家もどってくるの?」

「うん。たぶん、お父さんも」

「ふうん……」


 親子として一緒に過ごした時間が短いせいで、湊は父への関心が極端に薄い。

 それは仕方のないこととはいえ、やはり寂しいものだ。


「じゃあ、おばあちゃんとお姉ちゃんと、お母さんとお父さん……みんなで暮らすの?」

「……おばあちゃんは、どうだろう」

「おばあちゃんいないの? なんで?」


 まだ家族が両親と私たち姉弟四人だった頃、祖母とは別居していた。

 

 物心ついてから常に湊の成長を隣で見守ってきた祖母は、いつの間にか母よりも父よりも、湊にとって近しい存在になっていたのだ。

 ぎゅう。湊の小さな手が私のそれを強く握りこむ。


「おばあちゃんいないの、やだな……」


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