第9話 姉弟②

 店員から領収書を受け取った私の元へ、買い物かごを手にした柳先輩が歩み寄る。


「えー、こんなとこで会うと思わなかった。偶然じゃん」


 先ほどまでの動揺を感じさせない声で、柳先輩は軽薄な笑みを浮かべてみせる。

 表情や声音は私のよく知るものなのに別人と話しているような違和感に襲われるのは、やはりその髪型のせいか。


「柳先輩……ですよね」

「なにそれ」

「尻尾がないから一瞬わからなくて」


 学校での柳先輩といえば、淡い金髪を後ろでちょこんと結い上げた髪型が特徴だ。

 先輩は一度「尻尾……」と考え込んで、やがて思い至ったのか大きく首肯してみせた。


「あーね。ふふ、なるほど、深琴ちゃんはオレのことずっとバニーちゃんだと思ってたわけだ」

「思ってませんけど」

「バニーなオレ可愛い?」

「思ってませんけどって言ってるんですけど?」


 変なこと想像させるな。


「先輩はどうしてここに?」


 何気なく問うと、私を見下ろす翡翠の瞳が一瞬にして淀んだ。


「それ聞く?」

「聞いちゃいけないんですか……ていうかもうわかりましたよ。お姉さんでしょう」

「正解」


 こんなに淀んだ「正解」はじめて聞いたな……。恐れ戦く私から視線を上げて、先輩が店内をぐるりと見渡した。


「ジャージー牛乳のプリンが食べたいんだって」

「はあ……こんな時間に」


 柳先輩が家庭で不憫な目に遭っていることは薄々察してはいたが、まさかパシリ扱いされているとは。やだなー、先輩のこんな姿見たくなかったなー。


「深琴ちゃんはなにしてんの? 家族と一緒?」

「いえ、一人で。水道料金払い忘れてたことにさっき気づいて」

「……チャリ?」

「普通に歩いてきましたけど」

「家から、一人で、歩いて?」

「ええ……」

「その格好で!?」


 突如声を張り上げる柳先輩。私はびっくりして己の体を見下ろした。


 一年の頃のクラスTシャツに、下は部屋着の短パン。足元はサンダル。

 急いでいたため非常にラフな格好……というか、そのまんま部屋着にサンダルで出てきただけだ。


 ……確かにダサいけど、そんな風に怒られるほどでは……胡乱な眼差しを向ける私に、柳先輩は鋭く人差し指を突きつけて言い放った。


「脚出すぎ!」

「……は?」

「はあ~、もうこの子本当にバカ。あのねえ、女の子がそんな薄着で、こんな時間に一人で外歩いちゃダメ!」

「あー、相模がうるさいからですか」

「相模じゃなくても心配するの」


 むっと唇を尖らせてお小言を零す先輩。いまいちテンションについていけていないが、私のことを心配してくれているのは理解できた。


 ちょうどそのとき、若い男性の二人組が入店してくる。一瞬のうちにねっとりと熱を孕んだ視線が、レジ横でたむろしていた私たち──特に私の下半身に注がれるのを感じた。

 直後、その視線を遮るように柳先輩が私の前に立ち塞がる。


「これ腰巻いといて」


 手早く自分が着ていたパーカーを脱ぐと私に手渡してくる。この状況で無碍にするわけにもいかず、素直に彼の言葉に従うことにした。

 私がパーカーを腰に巻き終わると同時、「こっち」と棚の陰に誘導される。そのままの流れで、アイスの並んだ冷蔵庫を二人で覗き込んだ。


「おいで深琴ちゃん。好きなの一つ選びな」

「え、いいんですか?」

「今更一つ増えても対して変わらないもん」

「じゃあダッツで」

「そういうとこ容赦ないよねぇ……」


 いいんだけどさ、と付け加える。


「弟いるんだっけ? なら二つ入れな」


 呆れたようにため息をつきながらもすんなり受け入れる先輩は、やっぱり心が広いと思う。これがどうして相模にだけは猫の額より狭くなってしまうのか……。


 スイーツの棚からジャージー牛乳のプリンを手に取る先輩の元へ歩み寄る。携えたかごの中にカップアイスを二つ入れて、軽く頭を下げた。


「ありがとうございます」

「可愛い後輩のためだからね」


 私は口元を引き攣らせて彼の微笑を受け止める。余裕たっぷりの振る舞いは魅力的だけど……。


「……あの、先輩。通知が」


 さっきから先輩のスマホがありえないくらいうるさいのだ。


 私にパーカーを手渡した辺りから鳴り出したLINEの通知音が、今はもうほとんど絶えることなく連続で店内に響いている。

 お姉さんからのスタ爆だろうと容易に想像がついた。


「ああ、うん、これね」


 先輩は渋い顔でスマホを取り出すと、画面に「鬼女だよ」と落とした。実の姉になんてこと言うんだ。

 ぽちぽちと何か打鍵したかと思えばさっさと画面を閉じて「じゃ、行こっか。送るよ」とレジに向かってしまう。


「え、悪いですよ。早く帰らないとまずいんでしょう?」

「今連絡したから大丈夫。ていうか、女の子一人で帰らせたってバレたらオレが姉さんたちに殺されるので送らせてください。お願いします」

「……ずるいですね」

「先輩ですから」


 そんな風に言われたら、断れるわけがない。


 かごを携えてレジに並んだ柳先輩の後を、雛鳥にでもなったような気持ちで着いていく。


「送ってくついでにさ、一つお願いしてもいい?」


 なんでしょうと私が問い返すよりも早く、柳先輩はレジ横に設置された棚からそれを持ち上げ、半身で振り返りにやりと笑った。


「花火やろーよ」


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