夏休み

第9話 姉弟①

 電話の向こうでは相変わらず大した中身のない話題が続いている。


「てかもう切っていい?」


 うんざりしたように吐き捨てれば、予想通り相模は「ええーっ」と大袈裟に喚いてみせた。思わず仰け反るようにしてスマホを耳元から遠ざける。


「うるせえ」

『まだ俺喋ってるじゃん』

「ええ、くっそどうでもいい話をね」

『またそういうこと言う。こないだも一瞬寝落ちしたらさっさと切ってるし』


 相模との交際開始から間もなく、夏休みへ突入した。

 会わない時間が長い分、以前と大して変わらない関係のままでいられるのでは……なんて淡い夢を見ていたのだが、これが甘かった。


 物理的に開いてしまった距離を埋めるように、私たちはほとんど毎日通話をつないで夜を過ごしている。


 これが一般的な高校生カップルの在り方だなんだと押し切られて始めた習慣だが、正直、私の精神はとっくに限界を迎えていた。

 寝てる間もつないだままにしなきゃいけないってなに? それ通話の意味なくない?


「世の中のカップルって本当に毎日これやってるの? 正気じゃないわ、もう無理」

『なら毎日じゃなくてもいいよ。たまにで。あわよくば寝息聞きたいし』

「キッショ……」

『疑似添い寝だね』

「キッッッショ……」


 一瞬にして爪先から頭のてっぺんまで怖気が走る。正直そこらの心霊番組よりぞっとした。やっぱり私って恋愛体質じゃないんだな。


 今度こそ本気で「切るわよ」と告げる。


『うわ待って待って冗談だから』

「お姉ちゃん」


 ぎょっと振り返ると部屋のドアがわずかに開いている。その隙間からみなとが顔を覗かせていた。

 私はすぐに湊の元へ歩み寄る。電話口では相変わらず相模が喚いていた。


「どうしたの、湊」

「あのね、宿題してたら出てきた」


 夕飯後に宿題を片付けるよう私に言われたのを、律儀に守っているのだ。なんて素直で愛らしい弟なんだろう。


 デレデレと締まらない顔の私に「作文にはさまっててね、おばあちゃんにきいたらお姉ちゃんに見せてって」と何やら細かい文字が並んだ紙切れを渡してくる。


 瞬間、喉元がひゅっと歪に鳴いた。


「ごめん切る」手のひらのスマホに短く言い残して即座に通話を切った。

 沸騰したみたいにうるさい鼓動と対照的に全身から血の気が引いていくのを感じながら、湊の手からそれを受け取る。

 きょとんと私を見上げる湊を置き去りに、私は廊下へ飛び出した。





 約十分後、私は最寄りのコンビニの駐車場に立っていた。


 サンダルで全力疾走したおかげで軽く足をくじいてしまった。ついでに喉元が焼け付くように痛い。膝に手をついてなんとか息を整える。

 

 湊が手渡してきたのは水道料金の督促状だった。しかも期限が今日までの。

 どうやらリビングで学習していた湊の宿題の中に紛れ込んでいたらしい。完全に支払ったつもりでいた。


 夜間のため、店内にはほとんど客の姿はない。お決まりの挨拶を気だるげに零した店員に督促状を手渡す。

 お札を数えていたそのとき、入店のメロディーと同時に聞き覚えのある声が響いた。


「えっ」


 短いがそれなりに大きな声であったため、私も店員も同時に自動ドアの方を見遣る。


 驚嘆の声を上げたその人物は、開けっ放しのドアを背後に金糸の髪を輝かせていた。すらりと伸びた体躯と、肩まで伸びた淡い金髪。肌は陶器のように白く滑らかだ。外国人だろうか……。


 しかし直後の一言で、私はその正体に思い至る。


「なんで深琴ちゃんが」

「……え? もしかしてやなぎ先輩……?」


 髪を下ろして女性のような風貌をした彼は、私のよく知る人物。

 限界相模オタクこと、柳先輩だった。


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