第7話 あなたのせいで③
入ってくる。どくんと心臓が大きく跳ねた。
「失礼します」
男子生徒の声。
彼が入室するまでの僅かな間に、私たちは咄嗟にデスクの下へと潜り込んだ。まず私を押し込めて、直後に相模が空いている隙間に体を捩じ込む。
おかげで今、私は相模に組み敷かれるように覆い被さられている。
どっどっど…………心臓が激しく脈打つ。迫る足音のせいか、それとも、私を包む相模の体温のせいか。ほとんど抱き合っていると言っても過言ではない近さに、体の中心が熱を持ったように体温が急上昇する。
ただでさえ手狭なデスク下の空間が、上背のある相模と二人、無理やりに詰まっているせいでひどく窮屈だ。
うだるような暑さの中、男子生徒が退出するまでじっと息を殺して待ち続ける。呼吸のために胸を上下させると触れ合う面積が増えるせいで息継ぎもままならない。
私の足の間に相模の太ももが入り込んで、スカートが捲れ上がっていた。素肌と衣服が擦れる感覚がこそばゆい。相模の吐いた息が首筋をくすぐって、思わず声が漏れた。
「さがっ」
「しっ」
ほとんど吐息だけの会話。しかし耳元で相模の声が空気を揺らすと、鼓膜から伝わった振動で体がびりびり痺れた。
ああくそ。ただでさえ冷房がついていないのに、密着しているせいで余計に熱が籠る。少し首を巡らせれば、互いの吐息が混ざり合ってしまいそうだ。
シャツの下では汗が噴き出している。
匂いとか大丈夫かしら。酸欠でうまく回らない頭の隅でぼんやり思考に過ぎらせた。
やがて足音が遠ざかり、男子生徒が退室したのだと気配でわかる。ようやく二人きりに戻って、肺に詰まっていた空気を安堵とともに吐き出した。
「行ったみたい……あっ」
様子を窺おうとして顔を上げた拍子に、相模は私を組み敷いている状況に気づいたようだ。一瞬のうちに顔が紅潮して、反射的に私から距離をとろうと弾かれたみたいな勢いで上体を起こす。
ガンッ!
「いっっったぁ~~~!」
間近で聞いているだけのこちらまで頭痛を覚えるような音と衝撃だった。
後頭部を襲う激痛に悶絶しながら相模が私にのしかかってきて、存外に厚みのある胸板が布越しにぴったり密着する。
下敷きにされる私の耳元で、相模がしきりに「むり、しぬ」とぶつぶつ呟いている。
死にそうなのはこっちだっつーの! 重い、暑い、死ぬ……!
相模の首筋に顔を埋めていると、普段はけして気づかないその髪の香りがふいに鼻孔をくすぐった。
「髪、いい匂い」
「嗅がないでよぉ」
「なに使ってんの?」
「今それどころじゃないんですけど!?」
耳元でほとんど涙目の相模が絶叫する。シンプルにうるせえ。
私の肩口に鼻先を埋めながら相模が呻いた。
「金森さんも少しは照れてよ」
「そういう時期はな、もう終わってんのよ」
「早すぎるよ!」
「今更近いくらいでなによ、あんた初めてうち来た日も同じくらい顔近かったじゃない」
「あああっやめて! 思い出させないで! ああもう、なんで俺あんなことしたかなあ……!」
んなことこっちが聞きたいわ。
相模が耳まで赤くするにつれ、むしろ私は冷静さを取り戻していた。
五月から六月にかけての自分の行いを思い出してほしい。何食わぬ顔で肩を抱いてきた頃のお前はどこに行ったんだ。
一向に私の上からどく気配のない相模に嘆息し、その肩をぐいと押した。
「相模、邪魔」
「ひ、ひどい……俺がどんな気持ちで……」
相模の腕の中にすっぽり抱き込まれている体勢からなんとか脱出を試みる。が、互いの足が絡んでうまく抜け出せない。
「足どけて」
「い、今ちょっと……」
言いながら、絡み合った片足を持ち上げようとした相模を私は慌てて制止した。
「待ってスカート捲れてる!」
「ええっ!?」
「下見ないでよ」
捲れ上がったスカートを直そうと、なんとか上半身を持ち上げて手を伸ばす。熱を持った指先が相模の太ももに触れると、「ひっ」と上ずった声を漏らした。相模が。
「変なとこ触んないでよ!」
「あんたこそ変な声出さないでよ!」
「もうやだ、俺なんかいけないことした?」
「ええ、授業中に絵しりとりを」
組み敷かれているのは私の方なのに、相模の情けない呻き声を聞いているとなんだかいけないことをしているみたいな気分になる。
スカートの裾を整えて、這うようにして息も絶え絶えに脱出した。熱で浮かされた頭がぼうっとする。汗ばんだ素肌にシャツが張り付いて気持ち悪い。
「ああ、もう無理せめてベスト脱がせて」
「うわーっバカバカ何やってんの!?」
「声でかいバカ!」
「バカはそっちだよバカ! もう! ほんとバカ!」
蹲ったまま腕だけを伸ばして私を制止しようとする相模の手を乱暴に振り払った。私が豪快にベストを脱ぎ捨てる傍らで、相模が「きゃーっ!」と顔を覆う。いい加減にしろ。
素肌に張り付くシャツを引っ張って手で仰ぎながら、デスク下で固まる相模を見下ろした。
「早いとこずらかるわよ」
「言い方……」
「いつまで隠れてるつもり? 出てきなさい」
と、相模の肩を掴むが、巨大な岩でも押してるみたいにびくともしない。
相模はなぜか土下座みたいに蹲ったまま、頑なにその場を動こうとしなかった。
「無理動けない」
「なに、まさか熱中症?」四つん這いに近寄って、その顔を覗こうとしたら猛烈に拒絶された。「やめてこっち見ないで!」
「ちょ、とりあえず顔見せろ」
「やだ無理顔上げらんない」
むり、むりぃ……と情けない声で呻くように繰り返しながら、幼い子供が駄々をこねるみたいに首を横に振る。
しかし私も譲れない。このままここで騒いでいたら、さっきの生徒が戻ってきてしまうかもしれないのだ。
「もう俺のこと置いてって……」
「無茶言うな。オラッ立て!」
「イヤーッ! 金森さんに乱暴される!」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ!」
熱を孕んだ瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
半べそをかきながら私の手を拒む相模の体を、無理やりに引き出そうとしたまさにその刹那、
「おっおお、ま、お前らッ! なにやってんだ!」
空間を切り裂くような鋭い声に、私たちは同時にドアの方へ振り向いた。
廊下から漏れ出す光で煤色がかった髪を輝かせ、一人の男子生徒が仁王立ちでこちらを睨みつけている。茹蛸みたいに真っ赤な顔で、握りしめた拳をぷるぷる震わせて怒鳴りつけた彼を、私は知っている。
「──
私が虚ろに呟くと、
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