第5話 そこにあなたがいるということ④

 ドアに肩を預けて、教室の入口で相模がニヤニヤといやらしい笑みでこちらを見つめている。


「……盗み聞きなんて悪趣味ね」

「俺に最初に盗み聞きさせたのは金森さんじゃん」

「は?」

「職員室前。女子トイレ」


 思い当たる記憶は一つしかない。言い返せなくなって、私は口を噤んだ。

 相模はなぜか私の正面、ひなの席に腰を下ろす。


「三角関係だねえ」

「馬鹿言わないで。……あんた、自分は彼女いらないとか言う割に人の恋愛は楽しむタイプなのね」

「そりゃ他人事ですから。フィクションと同じ、楽しく消費させてもらいますよ」

「言い方……!」

「あの二人、なーんかじれったいよねえ。恋愛映画みたい」

「昨日気づいたばっかりのくせによく言うわよ」


 じろりと睨めつければ、相模は「一回気づいちゃうとわかりやすいよねって話」と白々しく笑った。

 ふと、琥珀色の瞳の温度が下がる。


「応援してあげるんだ?」


 試すような視線が私を射抜く。訝しみながらも私は当然首肯した。


「もちろん。親友だもの」

「宇梶さんが独り立ちするの、寂しいとは思わないの?」

「……何よ急に」

「別に急じゃないよ。俺は球技大会からずっと思ってたし」


 相模はそこで一度言葉を区切ると、ばつが悪そうにうなじを撫でる。

 言葉を探すように視線を数度彷徨わせてから、ちらと横目で私を見遣った。その瞳には私を気遣うような色が浮かんでいる。


「こんなことあんまり言いたくないんだけどさ、金森さんも宇梶さんもお互いに頼りすぎだよ」

「……共依存って言いたいの」


 相模は軽く肩を竦めるのみで何も答えなかったけれど、私はその沈黙を肯定と受け取った。

 私が何か口を開く前に、牽制するように相模が言葉を継ぐ。


「球技大会の日、あんなに焦ってる金森さん初めて見た」


 それは午後の部第一試合が始まる直前のこと。


「正直怖かったよ。その場にいない宇梶さんのことよりも、真っ青で今にも倒れそうな金森さんのことをどうにかしないとって思った。……まあ、結局宇梶さんの方に行ったんだけど」

「別に、私は平気だし」

「球技大会の日にも言ったよね。いちいち他人に心を砕いてたら身が持たないって。金森さんは自分が選んだことだからそれでいいかもしれないけど……でも、やっぱり俺心配だよ」

「心配なんて」

「金森さんは心を明け渡しすぎなんだよ。そんな風に毎回砕いてたら、金森さんが壊れちゃうよ」


 そう言った相模の方がよっぽど苦しそうな顔をしていた。

 そんな眼差しで見つめられることに耐えられなくて、私は声を詰まらせる。

 やがて相模が俯くと、二人の間に沈黙が落ちる。赤々とした夕陽の差し込む室内には森閑とした空気だけが満ちていた。

 会話と呼ぶには長すぎる間を置いて、私はようやっと口を開いた。


「……寂しい、とか、思わないわ」


 言って、違うなと首を振る。


「思わないようにしてる」


 相模が幽かに目を瞠る。

 ひなの弱さに依存するような自分にはなりたくない。あんなに優しい子に、私の価値を求めたくない。


 私ははじめ、彼女の止まり木になりたいと思った。やがて飛び立つ彼女が、傷ついた羽を癒すために、寄りかかる存在。

 私が、ひなを支えるの。


 ふと顔を上げて、眩しそうに目を細めた相模に気づいた。薄い口が幽かに開かれると、掠れ声が焦がれるような色を乗せて呟く。


「金森さんは、綺麗だね」

「はっ?」

「好き」


 完全に油断していた所に浴びせられたたった二文字に、みるみるうちに顔に熱が集中していくのを感じる。全身の血が沸騰したように熱くて、思わず大きな音を立てながら立ち上がった。


「なっ、は!? なんで急にそんなこと言うのよ!」


 立ち上がった拍子に膝の裏を勢いよく椅子にぶつけて机に倒れ込んだ。

 打ちあがった魚みたいに痙攣する私を相模がおろおろと見下ろす。


「大丈夫?」

「大……っ、いたい……」

「急に暴れるからじゃん」


 頭上からスマホのシャッター音が響いた。勝手に撮るな。

 ああもう、なんで私が相模なんかに振り回されなきゃいけないんだ……!

 呆れたようなため息を吐いて、相模が私の肩を支えて起こしてくれる。そうしてそのまま真剣な眼差しで顔を覗き込まれた。


「好きだけど、俺としてはやっぱり金森さんが苦しくないような生き方をしてほしいわけ。わかった?」


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