第5話 そこにあなたがいるということ①
「久しぶり、元気だった? ──うん、こっちは湊も元気だよ。ランドセルありがとね。こないだ送った写真見たでしょ? 湊すっごい喜んでた」
電話の向こうで父が安堵の吐息を漏らす。
今年小学二年生になる湊は、つい最近まで親戚から譲り受けたぼろぼろのランドセルを使っていた。それが遂に壊れてしまったのをきっかけに、父が新品を湊に買い与えてくれたのだ。
少し間を置いて、今日お母さんのところに行ってきたよ、と父が控えめに告げる。
「……どうだった?」
やや声のトーンを落として尋ねると、父は「元気そうだった」と苦笑した。
なんだ、また口喧嘩でもしたのか。
母は意地っ張りだから、父の前で弱っている姿を見せたがらない。離婚後、過労により著しく体調を崩した母の元に足繁く通う父に対しても、強情な態度を崩さなかった。しかし愛されている自覚があるのだろう、いつも照れくさそうにしながらお礼だけは欠かさないのだ。
両親は離婚しているにもかかわらず、意外と仲が良い。
今でも父は定期的に会いに来てくれるし、母が回復したら久しぶりに家族で食事に行こうなんて話もしている。
愛し愛され、互いを想い合う二人ではあったが、しかし一緒に暮らすことはできなかった。
けして『普通』の夫婦ではない二人の元で育ったせいか、時折ふと、考えることがある。
私に恋愛沙汰は遠い世界の出来事だと思っていた。けれど、もし、生涯寄り添って生きていきたいと思える相手と出会えたときに。
それが恋人であれ、友人であれ。
私はその人と、どんな風に関わりながら生きていけばいいのだろう。
社会科準備室の扉を開けた瞬間、視界いっぱいに飛び込んできた後ろ姿に大袈裟に驚いてしまった。
振り返った人物の顔が見慣れたものだったのでほっと胸を撫でおろす。
「偶然ね」
「ほんと。金森さんも課題出しに?」
「うん」
結城くんが課題のプリントをひらひらと掲げる。見ると、目的である日本史の先生は別の生徒の相手をしていて、私たち同様順番待ちをする生徒の行列ができていた。
さすがに見かねたのか、デスクで作業をしていた別の先生が立ち上がる。
「そこみんな課題提出?」
「はい」
結城くんが首肯すると、先生が近くのデスクを軽く整理して場所を空けてくれる。
「ここ置いてきなよ」という彼の言葉に従って、私たちはプリントを提出し廊下へ出た。
「金森さんがギリギリに出すの珍しいね」
「やー、地学の小テスト対策でいっぱいになっちゃって」
「あはは、オレも。ね、放課後四人で勉強会しない?」
「いいね」
二人並んで教室に戻ると、いつも昼食を食べている席でひなと相模が向かい合って何やら楽し気に談笑していた。
相当に盛り上がっているようで、二人の声は廊下にまで響いている。
「俺プリクラって撮ったことないんだよね」
「あー、男性だけだと入れないもんね」
「一緒に撮ろうって言っても絶対断られるし。プリクラなら合法的に金森さんのカメラ目線ゲットできると思ったんだけどな」
「平気だよ。もしダメでもまた今度撮ったとき相模くんに送ってあげるし」
「マジ助かる。俺あれ好き、背景黒くて二人が制服で映ってるやつ」
「おい」
ぎくう、と擬音がつきそうなほど二人の動きが不自然に停止する。
脂汗をかきながら首を巡らせた二人を冷ややかな目で見下ろした。
相模が握るスマホの画面には、なぜか数か月前に私とひなが撮ったプリクラの画像が表示されている。
「ひな~~?」
「あう、えと、」
「あのね金森さんこれは違くて」
「プリクラの闇取引禁止!」
一喝すると、ひなは「ごめんなさ~い」と目に涙を浮かべた。私はさっと相模に視線を向ける。
「おいコラ相模。あんたの悪事にひなを巻き込むな」
「俺はただ金森さんの盗撮じゃない写真が欲しかっただけなんだよ。そうだ、ここで記念に一枚どう?」
「どんなメンタルしてやがる」
盗撮じゃない写真ってなんだ。
大体写真なら、球技大会で撮ったクラスの集合写真があるじゃないか。あの相模が前列で寝転がってるやつ。
どうでもいいけど、陽キャってなんですぐ横になろうとするのかしら。体を大きく見せたい獣の習性?
そのとき、タイミングよくひなのスマホが震えた。画面を確認したひなが荷物をまとめて立ち上がる。
「迎え来たみたい。ひなもう行くね」
「送らなくて大丈夫?」
「うん! また明日ね」
ひらひらと顔の横で手を振ってひなは廊下へと消えていった。
ひなは毎日親の送迎で登下校している。
いつも校舎から生徒が減る時間になってから、正門の外で待つ車へと向かうのだ。
以前のひなは正門近くまで付き添ってやらないといけないほど不安定だったが、最近では人の少ない時間帯を見計らって一人で行動することも増えた。
敷地内の限られた距離とはいえ、付き添いなしに下校するようになったのもその一環だ。
球技大会での出来事を経てから、ひなに自身を変えようという姿勢が見えるようになった。
最近では相模ともずいぶん打ち解けているようだし、私としてもひなから目を離せる時間が増えたことで、精神的な余裕ができたのが本音だ。
……けれど。
胸の内に立ち込めた不穏な煙を、大袈裟なため息で無理やりに打ち消した。
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