第3話 大切だから③

 競技が始まると、自然と男女は離れての行動になる。


 開会式前に諍いを起こしてから、相模さがみとは一度も顔を合わせていない。

 私の隣にはひながいる。四月までとなんら変わらない風景だ。

 第一体育館の入口に張り出されたトーナメント表を眺めていると、グラウンドの方から結城ゆうきくんが駆けてきた。


「あれっ。女子ってもう試合終わっちゃった?」

「さっきちょうどね」

「どうだった」

「ストレート勝ち!」


 ひなとお揃いのピースサインを掲げると、結城くんは「さっすがー!」と元スポーツマンらしい爽やかな笑顔を浮かべて手を叩いた。


「結城くんたちは残念だったね」

「そ。三年生ヤバい強い! 上手い人ばっかりでびっくりしたよ」


 負けても対戦相手に敬意を忘れない姿勢は流石だ。


 サッカーは予選で敗退してしまったが、どうやらソフトボールは順調に勝ち上がっているらしい。


「これからソフトが同じクラスと当たるから応援に行こうと思うんだけど、二人はどう?」


 ほら、ソフトは相模もいるし。と付け加えられて、思わず視線を逸らしてしまった。


「……結城くんって、相模と仲良かったっけ」

「いや、あんまり話したことはないけど。でも金森かなもりさんが信頼してる相手なら、オレも仲良くなれるんじゃない? 付き合ってるんだよね、二人」


 私が答えずにいると、結城くんは「あれ、違った?」と助けを求めるようにひなに視線を向けた。ひなも私の様子を窺うようにちらちらと見てくる。

 悩んだ末に、結局お決まりの文句を口にした。


「付き合ってないわ。あいつが勝手に言いふらしてるだけ」

「……なんで?」

「……わかんない」


 結局私は結城くんの誘いを辞退し、ソフトボールの応援にはひなと結城くんが二人で向かった。

 




 それは昼休みも終わりに差し掛かり、まだ人気のない廊下を体育館へ向かってひなと並び歩いていたときだった。階段に差し掛かった所で、丁度上の階から降りてきた須藤すとうさんと偶然に遭遇した。


「おー金森さんじゃん。丁度よかった、これから一セット目の子たちとイチ体で練習しよって話してたんだ。金森さんも一緒にやろーよ」


 どう答えたものかと逡巡している最中、ひなが私の肩をちょいと突いた。


深琴みことちゃん。忘れ物しちゃったから、先行ってていいよ」

「え、でも……」

「大丈夫。まだ人少ないし」


 ひなだってやれるんだよ、と小さく拳を掲げてみせる。その笑顔には、彼女なりの大きな決意と覚悟が宿っているように見えた。


「……わかった」


 私が首肯すると、ひなは安堵したような吐息を零す。ひなが教室に戻っていくのを後ろ髪を引かれる思いで見送って、私は須藤さんと共に第一体育館へと移動を再開したのだった。


 それが十五分前の出来事。

 第一体育館では既に午後の部最初の試合が始まろうとしている。私はバレーボールの一セット目にエントリーしていたため、コートに立ってそわそわとしきりに周囲を見回していた。


 ひながどこにもいない。


 応援のためにコートの外で待機していた結城くんと目が合うと、「どうしたの?」と小首を傾げる。私はすぐさま彼に駆け寄った。


「あのさ、ひな見てない?」

「ひなちゃん? 見てないけど」


 全身の血の気が引いていくのがわかった。心臓が早鐘を打つ。


「ひながいないの」


 その一言だけで結城くんはすべてを察したように青ざめた。「最後に別れたのはいつ? どこ」平生の彼からは想像もできない早口で問うてくる。


「昼休みが終わるちょっと前。二階の廊下で……」

「……移動ラッシュに巻き込まれたかな」

「どうしよう」


 我ながらなんて情けない声なんだろう。


「今から探しに行って間に合うかしら」

「無理だよ。金森さん一、二セット連続でしょ?」

「結城くん、どうしよう。どうしたらいいの?」


 思わず結城くんに縋りついた。「落ち着いて」結城くんは至って冷静な声で宥めると、肩を掴んでいた私の手をそっと解いて握りこむ。


「大丈夫、オレが」

「何してんの?」


 それは混乱した場の空気を切り裂くような芯のある声だった。

 振り向くと、相模が入口の辺りで私たちを鋭い視線で見つめている。


「相模……」


 力なく呟くと、相模が瞠目する。焦った様子で足早にやってくると、「何があったの?」と私の顔をまるで幼子を諭すときのように優しく覗き込んだ。


「ひながどこにもいないの」

「宇梶さんが? 一セット目に出るんだっけ」

「違くて、ひなが出るのは三セット目なんだけど……」

「相模」


 思うように状況を伝えられない私の代わりに結城くんが言葉を継いだ。真剣な眼差しと強張った声で、丁寧に言葉を紡いでいく。


「ひなちゃんは、一人のときに大勢の人に囲まれると動けなくなっちゃうんだ」

「それってどういう……」

「詳しい話はまた後で。とにかく、金森さんと別れて一人になってから、移動してくる人の流れに吞まれてどこかで動けなくなってる可能性が高い。すぐに探しに行きたいんだけど……」


 ピーッと笛の音が結城くんの声を掻き消す。振り向くと、コートの中には既に両チームのメンバーが揃っていて、試合の開始が迫っていた。爪先から這い上がった焦燥感が脳みそを支配する。頭の中に霧が立ち込めたように真っ白に染め上げられて、正常な思考が失われていく。


「どっどうしよう。今から誰か代わりに……間に合う? でも私が行かないと、ひなが……どうしよう」

「金森さん」


 私の手を握っていた結城くんの手首を相模が掴んだ。驚いた結城くんが手を放した隙に二人の間に割り込んでくる。


「俺が行くよ」

「え……」

「俺が宇梶さんを探してくる。だから金森さんはここで試合に出て」

「でも」

「宇梶さんは三セット目だよね? なら、金森さんは宇梶さんが戻ってくるまで試合を繋いで。ちゃんと連れてくるから」


 ひどく真摯な眼差しが痛いくらいまっすぐに私を射抜いた。私は言葉を失ったまま視線に釘付けになって動けない。


「相模。オレも行く」


 結城くんが告げると、相模はやっと彼の腕を解放する。結城くんは特に気にした素振りもなく「オレは管理棟とグラウンドを見てくるから、相模は教室棟を頼む」と的確に指示を飛ばし、相模もそれに首肯をもって答えた。


 二人が校舎へ駆け出すのと同時にコートの中から名前を呼ばれる。次に振り返ったとき、そこには既に二人の姿はなかった。

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