第3話 大切だから②

 第一体育館には絶えずどこかのクラスの掛け声が響いている。


 サッカーとソフトボールに出場する男子は屋外のグラウンド、バレーボールとバスケットボールに出場する女子は体育館に分かれてそれぞれ最後の練習に励んでいた。

 クラスの女子を二つのグループに分けて、それぞれでパス練習を行う。私とひなは同じグループ。隣のグループには須藤さんがいて、目が合うと胸の前で小さく手を振ってくれた。


 輪になってレシーブを繋いでいく。ひながレシーブしたボールがあらぬ方向に飛んでしまい、長く続いていた流れが途切れてしまった。

 ふと、誰かが短く息を吐く。


 そこに意味はなかったのかもしれない。けれど、たったそれだけのことでひなはたちまち萎縮してしまう。

 三年生の方へ転がったボールを回収し戻ってくるまで、その場には居心地の悪い空気が充満していた。


「あの……ごめんなさい」


 ひながか細い声で謝罪を口にするが、ボールを抱えた女子は「あ……うん。大丈夫」と目を合わせることなく首肯するのみだった。


 開会式に参列するために体育館を出た所で、硝子に背を預けて佇む相模さがみを見つけた。こちらに気が付くとにっこり笑みを浮かべて手を振ってくる。


 その些細な仕草だけで、相模の周囲にいた生徒たちの視線が一斉に私へ向けられるのだった。


 ……自分が耳目を集める存在であるという自覚を持って行動してほしいものだ。


「お疲れ。開会式一緒に行こ」

「ひなと行くから待たなくていいって言ったじゃない」

「っていう照れ隠しで、本当は俺といたいんでしょ?」

「包み隠さぬ本音ですけど?」


 いつも通りのやり取りをしている最中、ふいにひなが私の服をちょいと引っ張った。


深琴みことちゃん。ひな、先行ってるね」

「え、でも」

結城ゆうきくん見つけたから大丈夫。深琴ちゃんも相模くんと二人でおいでよ」


 柔らかく微笑んで、そのままグラウンドへと走り去ってしまった。その横顔に翳りがあったと感じるのは、おそらく気のせいではない。体育館での出来事を気にしているのだろう。


 せめて傍で見守っていないとと一歩踏み出したそのとき、相模が静かに口を開いた。


宇梶うかじさんって浮いてるの?」


 驚いて振り返る。相模は冷めた瞳でグラウンドを眺めていた。


「練習中もなんか様子変だったよね」

「……見てたの」

金森かなもりさんがクラスの人とあんま話さないのって、もしかして宇梶さんのせい?」

「はあ?」

「そうでしょ? 宇梶さんが浮いてるから仲良くしてあげてる金森さんも一緒に浮いてるんじゃん」


 一瞬のうちに全身の血が沸騰していくような感覚を覚える。顔に熱が集中して、目の奥がつんと熱くなった。


「……私もひなも別に浮いてないし、仮にそう見えたとしてもひなは悪くない」


 震える声を抑えつけなんとか紡ぎ出す。しかし相模はひどくつまらなそうに吐息を漏らして、呆れたような眼差しで私を睥睨した。


「あのさあ、そうやっていちいち人のために心砕くの、疲れない?」

「疲れるかもね。でも自分で選んだ生き方だから」相模の声に被せるように断じる。「後で自分を責めるくらいなら、苦しくても初めから他人事に首突っ込んだ方がマシ」

「……意味わかんな」

「わからなくて結構よ」


 それも賢い生き方の一つだ。所詮相模と私では、住む世界が違うのだろう。


「私が自分の意思でひなといるの。部外者に口出しされる筋合いはない。気に入らないなら私のことなんか構うのやめて、さっさと別の女に乗り換えればいいじゃない。どうせ私のことなんて、何とも思っていないんだから」


 それまで眉一つ動かさずに耳を傾けていた相模が、その言葉で初めて目つきを変えた。

 薄い唇が幽かに戦慄く。


「……部外者じゃないよ」


 けして大きな声ではなかったのに、不思議とクリアに鼓膜を揺らした。

 声音には感情を押し殺したような響きがあるのに、その瞳は寂し気に揺れている。


「俺が金森さんを選んだのだって、俺が自分の意思で決めたことだよ。部外者じゃない。君のことが好きな男の子だよ。だから、俺は……」そっと長い睫毛を伏せる。「ただ、俺は金森さんに幸せになってほしくて……。宇梶さんのせいで、金森さんが不幸になってるなら、」

「やめて!」

「……金森さんのために言ってるのに。どうしてわかってくれないの」


 どうして信じてくれないの。

 苦し気な表情に、胸が痛む。


 やめて。そんな目で私を見ないで。

 耐えられなくて、私はグラウンドへと逃げだした。

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