第2話 悪くないじゃん③
「え、まだやってたの? 遅くない?」
机を元の位置に戻している最中に、用事を終えて戻ってきた
身の程を弁えない相模の文句に、須藤さんが小さく舌打ちをする。私も同じ気持ちだ。
「あんたが自分でやってたらもっと早くに終わってたのにね」
「あーうん。そうだね、ごめん」
「
机の上の書類を拾い上げ、須藤さんが荷物を抱えて立ち上がる。引き留めようとしたが「いいから早く帰れバカップル」と追い払われて、私たちは教室を後にした。
そうして昇降口を出たところで、私は瞬時に青ざめた。
「ああっ!」
「うわびっくりしたあ。突然奇声上げるのやめてくれる?」
「で、なに」と相模が力なく座り込んだ私を呆れたように見下ろす。私は膝に額を預けたまま、低く呻いた。
「タイムセール……」
「は?」
「スーパーのっ、タイムセールなの!」
私がいつも帰宅途中に寄っているスーパーのタイムセールが、いつも夕方五時半からの開催なのだ。現在時刻は夕方の六時。今から行ってもほとんど狩り尽くされた後だろう。
へにゃへにゃとその場に崩れ落ちようとした私の肩を、相模が「ばっちいからやめなさい」と掴んで止めた。
「そのセールってさ、そこでしかやってないの? 例えば他のスーパーとかは」
「このあたりなら県立運動場の方にある中野屋って所が六時十五分から……でも無理。ここからじゃ徒歩で三十分はかかる。もう時間ない」
「じゃあ自転車で行けばいいじゃん」
は? と返す間もなく、相模が私の腕を引いて歩き出した。引きずられるようにして私もその後を追う。
向かった先は駐輪場だった。
「中野屋なら場所わかるよ。俺チャリ通学だから、金森さん乗ってよ……あ、サドル高いかも。待って」
と、私の返答も待たずにサドルの高さを調節し始める。まさか、私に相模の自転車に乗って中野屋へ行けと言うの? 確かに自転車ならぎりぎり間に合うかもしれない。ありがたいけども。
「でも私が乗ったら相模はどうするの?」
「走る」
短く答えて、相模はしゅるりとネクタイをほどいた。
「持ってて」脱ぎ捨てたブレザーとネクタイを私に押し付けて胸元のボタンを外す。続いて、スラックスの裾を折り返して、入念にアキレス健を伸ばし始めた。
走るって、まさか自転車に並走して?
無理に決まってる。
「だってあんた運動苦手って」
「言ってないよ。金森さんが勝手に決めつけてるだけ」
すたすたと校門へ向かっていく相模を私も自転車を押しながら慌てて追いかけた。
「手加減しなくていいから、全力で漕いでよ」
私が隣に並んだのを確認すると、まるでスタートを切る直前の陸上選手のようにまっすぐに目の前を見据えた。
「かっこいいって思わせてあげる」
よーい、どん! 掛け声と同時に相模が駆け出し、私はやや遅れて相模に並んだ。
びゅんびゅんと風を切って進んでいく。もう随分走っているのに、息切れする素振りすら見せない。
道中、歩行者とすれ違うことはなかった。田舎で助かったと心底安堵する。それなりの速さで漕いでいるのに、相模は造作もなく並走してしまう。
車道をすれ違った軽自動車の助手席で、小さな子供が窓から身を乗り出すようにして私たちをきらきらした目で見送った。
追い風を背に受けながら、私はどきどきと心臓が不思議なくらい高鳴るのを感じていた。
風で相模のシャツが膨らむ。鬱陶しそうに前髪をかき上げた拍子に額の汗が小さく煌めいた。
いいじゃん。
私はほとんど無意識に口にしていた。
「何か言った?」
相模が呼吸の合間に尋ねる。私は言葉を返す代わりに、ペダルを強く漕ぎ出した。
ああ、風が気持ちいい。
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