第2話 悪くないじゃん①

 それは全校集会に向かう廊下での出来事である。


 のろのろと一向に進まない集団に混じって、いつものようにひなと並び歩いていた最中。

 どこからか、不穏な視線と囁き声を感じた。


「……あれじゃね?」

「なに?」

相模さがみの彼女」


 言い終わると同時に私は声のする方をきつく睨みつけた。ぎょっと目を見張った男子生徒二人が気まずそうに顔を逸らす。その顔には「なんで聞こえたんだ」と大きく書かれている。悪かったわね、地獄耳で。


 相模のやつ、一体どこまで言いふらしているんだ。おかげで妙な噂が校内に広まり続けている。最悪だ。

 小さく舌打ちをして歩みを進めると、後ろから同じ声で


「こえー、相模の彼女」


 だから彼女じゃないっつーの!

 腹が立つので、体育館に到着するなり先に一組の列に並んでいた相模の脇腹に拳を叩き込んだ。


「いって!」

「おい」


 清々しい朝には到底似つかない声が出た。けれど相模は動じない。「あれ? 朝の挨拶がないなぁ」などと私を挑発してくる始末である。


「おいコラおはようございます」

「はい、おはよう。なんか怒ってる?」

「見てわかんない?」

「わかんないなぁ。ちゃんとそのお口を使って教えて?」


 と、私の唇に触れようとした人差し指を横から掴み上げた。


「なに、もしかして先行ったの怒ってる?」

「違う。例の噂」

「ああ。なんだか学校中公認の仲になっちゃったね」


 照れる〜と呑気に微笑んだ脇腹にもう一発拳を捩じ込む。


「いたっ痛いよ! 怒ってるのはわかるけどさ、いきなり殴るのはひどくない? せめて肩パンにしてよ」

「届かねえんだよ、言わせんな」


 ああもう、なんで朝からこんなにイライラしなくちゃいけないの。


 保健室で相模に交際を迫られた日から一週間。

 どうやら校内に、私と相模が交際しているという根も葉もない噂が流れているらしい。


 しかも質の悪いことに、その噂の出所が相模本人だというのだ。

 本人に問いただしたところ、


「だって金森かなもりさん、全然俺に興味持ってくれないんだもん。外堀から埋めた方が早いかなって」


 などと言ってのけた。そんな相模に怒りの頭突きをかまそうとして躱されたのがつい二日前の話。


 厄介な存在に懐かれた。それを強く実感したのは、全校集会の翌日のことだった。


「ていうことだから、金森さん。俺の代わりにお願~いっ」

「あ?」


 きゅるんとかわい子ぶった猫なで声で『お願い』してきた相模に、私は不快感から目を眇める。私にこの手のぶりっ子が通じないことは相模も重々承知しているので、次の瞬間には「いやだからさあ」とすっかりいつもの調子に戻っていた。


「来週球技大会あるじゃん? あれの選手登録票の提出が今日までなんだけど、俺放課後どうしても外せない用事があるからさ、金森さん代わりに書いて提出してくんない?」

「嫌よめんどくさい」

「お願いっ。金森さんしか頼める相手いないんだよ」

「嘘つけ!」


 お前がいつも侍らせてる取り巻きはどうした!

 相模は秘めた性格にこそ難があるものの、普段は如才なく振舞っている。おかげで交友関係も広く、校内では男女問わず常に誰かが傍にいる状態なのだ。


「……なんで私なのよ」

「俺にとって一番気を遣わなくていい相手って金森さんじゃん?」

「だから、なんでそれが私になるのよ!」


 あの日突然交際を申し込まれた理由だって、今もわからないままなのだ。


「私みたいなじゃじゃ馬、相模に釣り合うはずがないわ。そもそも相模ならそこら中の女子を釣り放題じゃない。わざわざその中から私を選ぶ理由って何よ」

「んー……まあ確かに金森さんって思ってたよりじゃじゃ馬だし、俺は女の子釣り放題だけど」


 しばし考え込んでから、何かを閃いたように私を指さした。


「顔?」

「相模」

「ん?」

「指差すな」

「あいったぁ!」


 目の前に掲げられた相模の人差し指を関節の向きと逆方向に曲げた。相模は涙目で人差し指をふうふうしながら、「そういうところだよ」などと言葉を付け加えた。


「だーからどういうところよ」

「普通の女の子は人の関節を逆方向に折りたたんだりしないの」

「へえへえ、普通じゃなくて悪うございます」

「悪くないよ、そこがいいって言ってるんじゃん」

「へいへい、話が通じなくて悪うございます」

「それわざとやってるでしょ。ちゃんと聞いてる?」

「wow wow」

「もーっ」


 ちゃんと聞いてる、なんてこちらのセリフだ。

 まともに取り合う気がないってことはよーくわかった。これ以上の会話は無駄である。適当にあしらってその場を切り上げようとしたが「じゃああれよろしくね」と添えられて、そういえば面倒事を押し付けられていたのだったと思い出した。


「大丈夫。俺の他にもう一人女子の担当の子がいるから、その子に聞きながらやっておいてよ」

「じゃあその人に全部頼めば……」

「可哀想じゃん」

「私に申し訳ないとか思わないわけ?」

「思うわけないじゃ~ん!」


 ……一発強めに殴っても許されるんじゃないかしら。

 ふと、興味本位で「相模は何に出場するの?」と尋ねてみた。結城ゆうきくんはサッカーに出場すると言っていたはずだ。


「一応ソフトボールになってるけど。でもどうせサボるよ」

「なに、もしかして運動苦手?」

「別にそういうんじゃないけど」

「恥ずかしがることはないわよ。誰にでも得意不得意はあるもの」


 相模は苦み走った笑みを浮かべると、仕切り直すように肩を竦めた。


「俺みたいのはさ、運動できないくらいが釣り合い取れて丁度いいんだよ。ほら、俺輝いちゃうから。汗とかさ、弾けてキラキラって、煌めいちゃうから」


 やかましいわ。

 

 そうして放課後、私は張り倒してでも拒絶しておくべきだったと後悔する羽目になる。


 相模の言う『もう一人女子の担当の子』というのは、相模の取り巻きの女子を指していたのだった。

 ……シメられたりしないかしら。

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