第1話 喰うか喰われるか⑥

 昇降口に腰かけて放課後の空気に酔いしれていると、柔らかい声が頭上から降ってきた。


「待っててくれたんだ」

「首突っ込んだなら、一応最後まで知る義務があると思って」


 この様子なら無事に解決したのだろう。予想よりもずいぶん早く解放されたみたいだ。私が退室してから三十分も経っていない。


「あんたは最後まで聞かなかったのね」

「そりゃそうでしょ。男が女子トイレの外で突っ立ってる絵面ヤバくない? 人来ないかひやひやしてそれどころじゃなかったんだから」


 自然な動作で隣に腰かけてきた相模さがみが自嘲気味に笑った。その笑みがどこか晴れ晴れとしたものに見えたのは、おそらく気のせいじゃない。

 はじめて、相模の笑顔を好ましいと感じた瞬間だった。

 ……忘れそうになったけど、これだけは確認しておかなければ。


「ねえあんた、あの子のこと知ってたでしょ」

「あーうん。そうみたい。忘れてたけど」

「告白されたとき、あの子になんかひどいこと言ったんじゃないでしょうね」


 ただ振られただけならここまでの事態にはならなかったはずだ。彼女に極度のストレスを与え追い詰めたのは、相模の態度に問題があったはず。ほとんど確信して尋ねると、相模はしばし逡巡した後、


「あ、『痩せてる人がタイプ』的なことは言ったかも」


 私は反射的に相模へ頭突きをかましていた。


「ごっ……! ぉあ、い…………ッた~~~~!」

「全部あんたのせいじゃねえか! このクズ野郎!」

「は!? 俺ちゃんと適当な理由つけて答えたじゃんそれが誠実ってことでしょ!?」

「あんたのそれは悪戯に人を傷つけてるだけなのよ!」


 最低! 最低! 最低!

 怒りに任せて相模を何度も殴りつける。相模は額を抑えて大袈裟に痛がってみせた。


「いって! ……てか待ってほんとに痛い。うわ! すっげ腫れてるんだけど!」

「え、ごめんつい……」

「つい頭が出るの!? 闘牛かなにか!?」


 前髪の隙間から覗く赤く腫れた相模の額を見ていたら、さすがに少し申し訳なくなって保健室へ連れていくことにした。おかしいな、私全然平気なんだけどな……。


 保健室につくなり相模は「そこの冷蔵庫に氷入ってるから」と偉そうに指図して慣れた様子でソファーに沈んだ。腹立つな、もう一発かましてやろうかしら。


 指示された通り冷蔵庫を開けると、ビニール袋に氷が詰められているのを見つけた。それを拝借して相模の元へ戻る。


「ん」と氷嚢を差し出すと、「ん」と前髪をかき上げて腫れあがった額を見せつけられた。

 仕方ないな……。大きくため息をついて相模の隣に腰かける。氷嚢をそっと額に当ててやったら相模が満足気に笑みを浮かべたので強く氷嚢を押し当てた。


「いったい! もっと優しくして」

「前髪鬱陶しいわね。切りなさいよ」

「やだ。恥ずかしいじゃん」

「何に照れてんのよ」


 その顔で照れる必要なんてないでしょう。もちろん口には出さないけど。

 そのとき、すっと相模の手がソファーに置かれていた私の手に重なった。誤って触れただけにしては、やけに長い。訝しんで顔を上げると、柔和な微笑を浮かべ、甘えるような声音で呟いた。


「ねえ金森かなもりさん、俺たち付き合おっか」


 ……はい?


「付き合うっていうのは、どこに」

「あ、そういう小ボケはいいから」


 にべもねえ。

 

「やっぱり俺たち付き合おうよ。絶対にお似合いのカップルになれるよ」

「あんた彼女なんていらないって言ってたじゃない」

「言ったねえ、そういえば」

「なんで今さら」

「そっちの方がいいと思って」

「ふざけんな!」


 そんな訳のわからない理由であんたなんかに告白されてたまるか。

 すると相模は「じゃあ好きだから」と言葉を重ねる。じゃあってなんだよ。私の反応を見て楽しんでいるのだと、完全に確信した。


「いい加減に」

「俺の気持ちには応えてくれないんだ?」


 一瞬何のことを言われたのか理解が追い付かなかった。


「散々偉そうに語っておいて、俺が真剣に告白したら応えてくれないんだ」


 ちょいと小首を傾げて、試すように私の顔を覗き込む。


「……応えるわよ。それが真剣ならね」だけど。私は強い確信をもって断じる。「あんたのそれは、私を弄んでいるだけよ」


 相模はそっと目を伏せると「結構本気なんだけどな」と呟いた。吐息が重なりそうな距離でそれを見つめながら、私はぼんやりと「少女漫画のワンシーンみたい」なんて考えていた。

 長い睫毛を持ち上げて、相模の瞳が私を映す。ソファーの上ではそっと手を握りこまれた。まるで、恋人たちの逢瀬のように。


「なら、金森さんに好きになってもらえるように、俺頑張るよ」

「他に頑張りどころがあるでしょうよ」

「じゃあせめて傍にいさせて?」

「嫌よ。あんた無駄にでかくてかさばるもの」

「いいじゃん。大きめの犬が傍にいると思えばいいんだよ。お喋りで君のことが大好きなわんこ、可愛いでしょ?」


 わんっと犬の鳴き真似でアピールしてくる相模。全然可愛くない。でかくてうるさくて鬱陶しいだけだ。

 そこでふと時計を見上げて、私は大変なことに気づいてしまった。


「ちょっと待って。もう五時半になるじゃない」

「あー、そうだね」

「こんなことしてる場合じゃない!」

「わぷっ」


 氷嚢を相模の顔面に押し付けて慌てて立ち上がる。足元の鞄を抱き上げて、一直線にドアへと向かった。


「えなに、この状況で帰るの?」

「ごめん急いでるから。おでこよく冷やしなさいよ。じゃ、お疲れ」

「嘘でしょ!? ほんとに帰んの!?」


 悪いけど、恋愛沙汰にかまけている暇はないのだ。私にはもっとやるべきことがある。

 ……ああそうだ、せめてこれだけ言っておこうかしら。

 廊下へ飛び出す直前で、振り向きざまに呼びかけた。


「相模」


 ソファーに倒れ込んで頭を抱えた相模が、整った顔立ちを困惑で歪めて唸っている。

 

 胡散臭い微笑みといい紡ぎ出す甘い言葉といい、恋愛経験のない女をからかってやろうという意図が見え見えなのだ。戯れとわかっていて、なぜ私がまともに取り合ってやらなければいけないのだろう。


 だから私も一つ息を整えて断言した。


「私は猫派よ」


 あんたには靡かない、絶対に。

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