第1話 喰うか喰われるか④
五限が始まって十五分ほど経過した頃、突然教室後方のドアが開いた。
一斉に振り返った私たちが目にしたのは、傍目にもわかるほどの怒気を纏った
昨日至近距離で怒りを浴びた私ですら息を呑むほどのあの形相。クラスメイトに与えた衝撃は計り知れない。
「相模。さっきの続きをしようじゃないの」
放課後、やはり苛立った様子で荷物をまとめている相模に声をかけると、周囲の生徒たちはぎょっと目を剥いて一斉に私を見遣った。現在に至るまで、相模に声をかける者は一人として現れなかったからだ。
相模が大袈裟にため息を吐く。
「あーもう。こっちはそれどころじゃないんだよ」
「もしかして昼間の?」
「……こっち来て」
と、私の手首を掴んで立ち上がった。ここでは話せない内容なのか。昼休みと同じ教室に入室するなり、相模はドアに鍵をかけて適当な椅子に腰かけた。その表情には心なしか疲労が滲んでいるように見える。
「……昼間の、そんなにヤバい話だったの?」
「妊娠したんだってさ」
妊娠? 高校生が口にするにしては些か不穏な響きだ。思わず眉を顰める。
「誰が」
「一年の女子が、俺の子供を」
「は!?」
「声大きい!」
立ち上がった相模に口を手のひらで塞がれてしまう。わかったから放してくれと目で訴えて、ようやく解放された。
「それは……えっと、ガチなの?」
「嘘に決まってるじゃん」はっと吐き捨てるように「そもそも俺年下好みじゃないし。セフレは他校にしか作らない主義だし」
んなこと聞いてねえわ。
余計な情報も得てしまったが、その妊娠騒ぎとやらは女子生徒の虚言らしい。ならばこれにて解決では、という私の考えは甘かったようだ。
「泣き崩れる一年女子と半ギレの俺。先生がどっちのこと信じると思う?」
それだけで、相模がどうしてあれほどまでの殺気を溢れさせて帰ってきたのかを察してしまった。昼休みの間みっちりと、事実確認とは名ばかりの詰問を受け続けたのだろう。釈明も虚しく一方的に叱責される苦痛は想像を絶する。
そして結局昼休みだけでは時間が足りず、この後も面談が入っているとのことだった。もしかしたら保護者も呼ばれるのかもしれない。そうなったらいよいよ大事じゃないか。
だというのに当の本人は、
「ああ、もういいや」
と力なく零して机に突っ伏してしまった。
「よくないわよ、だって無実なんでしょう?」
「どうせ誰も信じないもの、俺の言うことなんて」
「まさか……何か証拠があるって言うの」
「ある訳ないじゃん。相手の女の子のことなんて知らないしうちの一年とそんなことした覚えもない。その子も泣いてばかりでまともに説明してくれないから一方的に決めつけられて好き勝手言われて……」
深いため息を吐いて「疲れた」と消え入りそうに呟く。顔を伏せているため表情は窺い知れないが、泣いているのではないかとさえ思えた。
「さがっ」
ぐううう。
相模の腹が鳴る。こんなときに……!
「お昼食べ損ねてお腹空いたし。ほんといいことないよ。そういうことで俺忙しいから、
しっしと手で追い払う仕草をする。どうやら相模はこの件の一切を諦めてしまっているようだった。
けれど、本当にそれでいいのだろうか。
私は胸につかえていた疑念を吐き出さずにはいられなかった。
「ねえ……本当に証拠はないの?」
「しつこいな、だからないって」
「じゃあ先生たちは何を根拠に決めつけたの」
胸の内でむくむくと疑念が膨らんでいく。証拠もないのに、こんなに理不尽なことってない。いつか詳細に検査をすれば真実は明らかになるだろう。けれどそれまでの間、相模はこの理不尽に耐え続けなければいけないのだ。
「トイレで吐いてたらしいよ」
「……それだけ?」
「あとは最近の様子とか、色々総合的に見て」
「それ、もっと詳しく教えて」
相模は訝しみながらも昼の面談で得た情報を私に教えてくれた。そうしているうちに一つの可能性に辿り着く。
どうして相模のせいにしたのとか、詳しいことは本人に聞いてみないとわからない。
「相模、面談の場所は?」
「応接室。……えなに着いてくるの?」
応接室か。ならば職員室の所が一番近いはずだ。あそこなら、生徒が使うこともほとんどない。
「相模」
私から相模への最後の質問だ。
なるべく真剣な表情を作ると、相模は戸惑ったように私を見上げた。私よりも大きな体で、性格だって全然可愛くない、むしろクズなのに、その瞬間だけは相模がまだ幼い子供のように見えた。
「本当に釈明するつもりはないのね」
「……ないよ」
「そう。わかった」
相模の声には深い諦観が滲んでいた。自分が何を言っても誰にも信じてもらえないという計り知れない絶望。
そんなの、ふざけんなだ。
「なら私が証明してやるわよ」
だから私は高らかに宣言した。
相模がクズでも、そんなの関係あるか。これは相模のためなんかじゃない。ただ私が私のしたいようにやる。偽善と笑われても構わない。
理不尽を目の前にして目を背けるような、私が私に誇れないような生き方はしない。
あの子のために、そう決めたのだから。
ぽかんと口を開いて固まる相模を見ていると、不思議と笑いが込み上げてきた。いい気味だ。
さて、面談は二十分後の予定だから、もたもたしている暇はない。さっさと彼女を探しにいかなくては。
その場を切り上げて立ち去ろうとした私の手首を相模が掴んで引き留める。
「どうやって。無理だよできる訳ないじゃん」
「ああもう、めんどくせえな」
丁寧に相手してやるのも煩わしくて、私は手首を掴んでいた相模の手を振り払うと、逆にこちらから掴み上げた。
ただのクラスメイトの分際で僭越ながらも言わせてもらおう。
「黙って着いて来い」
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