第1話 喰うか喰われるか③
翌日、教室の中心には一昨日までと変わらない笑顔の
クラスメイトと談笑しながら昼食の準備をしている相模を、私はそっと盗み見る。
「何かあったの?」
パンを齧りながら、ひなが不思議そうに小首を傾げた。
「……あった」
「……相模くん?」
なんでわかるんだ。目だけで問うと、ひなは「えへ。
小鼻をぷくっと膨らませて誇らしげに微笑む親友が可愛らしくて、その柔らかい赤毛を撫で回したい衝動に駆られる。
私は一度広げた弁当に手を付けることなく片付けて立ち上がった。
「ごめんひな、私ちょっと行ってくる。しばらく一人でも平気?」
「え? うん大丈夫……わ」
髪を崩さないようにそっと撫でてから、相模のもとへ向かう。
「相模。話がある」
一つ息を吸い込んで、そう告げる。教室が一瞬のうちに水を打ったように静まり返った。
珍しいものを見るような、不快な視線が注がれているのを全身で強く感じる。
「……いいよ」
相模が不敵に笑むと、今度はざわめきが教室中に波紋のように広がっていく。誰かが囃し立てるように指笛を吹いた。喧噪も、注がれる奇異な視線も、私たちを包む空気の一切が不快で、私は逃げるように相模を連れて廊下へ出たのだった。
適当な空き教室を見繕って入ると、相模も私に倣って入室し、後ろ手にドアを閉める。
「さが、」
いざ本題に入ろうと振り返ったところで、相模の指が私の唇に触れるか触れないかのところに添えられた。「外、何人かついてきてる」と密やかに呟くと、親指でドアの方を指し示した。耳を澄ますと、確かに数人の控えめな話し声が耳に届く。
ボリュームをいくらか落として、改めて口を開いた。
「相模。昨日はひどいこと言ってごめんなさい」
私が丁寧に頭を下げると、相模は驚いたように声を上げた。
「は? 何急に」
「声でかい」
「……俺謝られるような覚えないんだけど」
「『そんな奴だと思わなかった』って言ったじゃない、私」
私が頭を上げると、相模はようやく思い至ったように「ああ」と首肯した。
「それで俺も言ったよね。関わらないでって」
「言ったわね」
「なのにわざわざ謝りに? 昨日あんなに怖い思いしたのに、懲りないねえ」
嘲るような声音にも昨日ほどの驚きは感じない。一晩考え抜いたおかげで、不思議と何を言われても気持ちは凪いだままだった。私が動じないのが気に食わないのか、相模が眉を顰める。
「謝罪だけならもう済んだよね? これで本当に関わらないでく」
「それは無理」
私はばっさりと切り捨てるように相模を遮った。
「これ、ちゃんと読んで」
スカートのポケットから取り出したのは、くしゃくしゃに皺のついた手紙。昨日相模が私の目の前で投げ捨てたものだった。
相模が億劫そうに整った顔を歪める。
「ゴミ持ち帰るなんて、いい趣味してるね」
「ゴミじゃないわ。相模、これを読んで、ちゃんとこの人の気持ちに答えて」
相模はミルクティー色の髪をがしがしと掻いて適当な椅子に腰かけた。机に頬杖をつき、不遜な態度で私を見上げる。
「あのねえ。俺はそもそも彼女とかいらないし、相手が誰だろうと応じる気はないの。どうせ付き合わないのにいちいち答える必要なくない?」
「なら相手にそう伝えればいいじゃない。『今は誰とも付き合うつもりはありません』って、ちゃんと理由つけて相手に伝えるのが誠実な対応ってもんでしょ」
「それで相手が引き下がるとも限らないじゃん。
言葉にはありありと煩わしさが浮かんでいた。
「ああ、」相模が何か閃いたかのように声を上げた。にやりと意地の悪い笑みを浮かべて上目遣いに私の顔を覗き込む。
「じゃあさ、金森さんが理由になってくれる?」
「は?」
「金森さんが俺の彼女になってよ」
「い……いやいや。ありえないでしょ。なんで私が」
「じゃあ口出さないで」
反射的に反駁したところで、ぴしゃりと断じられた。
「無関係の他人にとやかく言われる筋合いはない」
今度こそ返答に窮してしまう。それでもここで諦める訳にはいかないと無理やりに口を開きかけたところで、
「相模ッ!」
「ぬおっ!!」
「うるさっ」
男性教師の野太い声が響き、勢いよく教室のドアが開け放たれた。隣で相模が両手で耳を塞いでいる。おい、今の私に言ったのか?
廊下には男性教師のほかに、私と相模のゴシップ目的についてきたであろうクラスメイトが数人顔を覗かせていた。しかし不思議なことに、彼らもまた私たちと同様に困惑したような表情で男性教師を見つめている。
一体何事だろうか。
顔面蒼白の男性教師はずかずかと肩を怒らせながら入室してくると、相模の首根っこを掴んで引きずる。椅子が派手な音をたてて倒れた。それでも構わずにドアへと一直線に向かって行く。
「相模! まだ話は終わってないから!」
慌てて廊下に飛び出して、教師に引きずられる相模へ叫ぶと、相模は青い顔で「ごぎょ……っ」と短く答えた。……大丈夫かあれ。
結局、相模が昼休み中に戻ってくることはなかった。
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