第1話 喰うか喰われるか②

 それは手紙だった。


 授業中にこっそり回したりするような、丁寧に折り畳まれた手のひらサイズの小さな手紙。

 どうやら回収したノートに挟まれていたらしい。表面に細い文字で『相模さがみくんへ』と書かれていた。


 まさかこの時代にもなって、ラブレターを目にする機会があるなんて。動揺してつい咄嗟に隠してしまった。けれど、やっぱり正解だったと思う。


 手のひらに収まる程度のこの手紙に、一体どれだけの想いが込められているのだろう。

 考えたら、やはり私なんかが手にしてはいけないもののように思えて、早急に相模に返さなくてはとの結論に至った。


 なるべく急いで教室に戻ったが、相模は既に姿を消していた。

 それもそうか。まだ校舎のどこかにいればいいのだけど。

 念のため昇降口まで走ってみると、ちょうど下駄箱へと相模が向かうところだった。


「相模! ……くん」


 話したこともない相手を呼び捨てにするのもどうかと思って『くん』をつけてみたが、あまりの違和感に鳥肌が立つ。これには自分でも驚いてしまった。

 振り返った相模が私を視界に捉えるなり困惑したように眉を寄せた。付け足されたような笑みはやはり胡散臭いと言わざるを得ない。


「あー、さっきの。なにかあった?」

「これ挟まってたから」


 見られたらまずいものでしょう、と手渡すと、相模はしばし考えてから「ああ、これね。ありがとう」と如才なく微笑んで受け取った。


 その反応に漠とした違和感を覚えつつも、私が首を突っ込むことでもないのであっさりと身を引く。適当に挨拶して元来た廊下へ戻る途中で、やはり拭いきれない疑念に駆られ振り向いた。


 そうしてそれを目にした瞬間、私はほとんど反射のように走っていた。

 相模の手首を掴むと、驚いたように見開かれた琥珀色と視線がぶつかる。


「なにしてるの」

「なにって」

「とぼけないで」絞り出した声が震えていた。驚きか、怒りか。「捨てるつもり?」


 私が強い口調で問い詰めようと、相模は穏やかな笑みを一切崩さない。それがかえって恐ろしい。

 相模は受け取った手紙を開くこともせず、傍らのごみ箱に捨てようとしていた。


「読まないの」

「読まないよ。どうせ答えないのに読む意味ないじゃん」


 さも当然だと言わんばかりの口調と声音。意味のない質問をするなと責められているような気さえした。

 信じられない。無意識に口に出ていた。相模は何を勘違いしたのか


「だって今時手紙ってどうなの? LINEでよくない?」

「よく言うわ、あんたみたいな奴はどうせ既読もつけないんでしょ」

「よくわかったね」


 なにこれ、なにこれ、なにこれ。

 頭の中は真っ白で、ほとんど反射だけで会話をしている。「そろそろ放してくれる?」と言われて、ようやく私は掴んだままだった相模の手を解放した。


 掴まれていた手首をわざとらしく擦りながら視線を泳がせて、熟考した後、


「えーと、カネモリさん」

「カナモリよ」


 私の中の『相模真成さがみまさなり』が、音を立てて崩れていく。何が少女漫画の王子様だ。噂は所詮噂でしかない。一瞬で理解した。


 こいつ、とことん他人に興味がないんだ。


 深い失望は無意識のうちに鋭利な言葉となって唇から転び出ていた。


「そんな奴だと思わなかった」


 瞬間、相模の瞳から、声音から、温度が急速に失われる。


「じゃあどんな奴だと思ってたの?」


 相模の纏っていた穏やかな雰囲気が雲散霧消する。その声も眼差しも、先刻までと打って変わってひどく冴え冴えとしたものになっていた。

 私は相模の心のいちばん深い部分、つまり地雷を踏み抜いてしまったのだと、すぐに理解した。


「大して関わったこともないのに噂だけで勝手に決めつけられるの、迷惑なんだよね」


 心底うんざりしたように言って、相模はふっと嘲るような笑みを零した。形のいい唇を醜く歪めて、蔑むような視線を私に注ぐ。


「ちなみに俺は金森かなもりさんのこと、根暗な子だなと思ってたよ。ていうか陰キャでしょ? 金森さんて」


 肌がひりつくほどの敵意が欠片の容赦もなく浴びせられる。


 知らず知らずのうちに背筋に冷や汗が滲んでいた。豹変した相模を前に、私は完全に怯んでしまった。

 その様子を敏感に感じ取った相模が「びっくりしちゃった?」と私の顔を覗き込んでくる。

 声音にはやはり嘲笑の色が含まれていた。


「別にみんなに言いふらしたって構わないよ。金森さんと俺、どっちが信じてもらえるか試してみれば?」


 深淵を覗いたような恐ろしさにものも言えずに佇む。相模はそんな私を冷ややかな眼差しでじっと見下ろして、小さく鼻で笑った。

 そうしてふいに至近距離まで顔を寄せると、とどめを刺すみたいに耳元で囁く。


「わかったらこれ以上俺に関わらないでね」


 獣の威嚇のような、唸るように低い声だった。鋭い視線が至近距離で私の瞳を射抜く。


 驚いて固まる私に「なに、キスでもされるかと思った? 期待しちゃったんだ、意外と可愛いところあるじゃん」と淫靡な笑みを残して、今度こそ相模は嵐のように去っていったのだった。


 手のひらで握りつぶした手紙を、廊下に投げ捨てて。

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